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ムラサキカガミ
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今日は親友の十代最後の夜。
日付が変わった瞬間に乾杯しようとコンビニで買い込んだ酒を片手に公園のベンチでだべっていた時のことだ。
ふとした思い付きで、僕はイタズラを仕掛けることにした。
「ところでさ、【ムラサキカガミ】って知ってるか?」
「ムラサキ……、サガリ?」
「サガリじゃなくてカガミ!」
「なんだそれ」
不思議そうな顔をして親友はスマホに目を落とす。検索でもするつもりだろうか?
バレたら怒られるんだろうなぁと思いながら、僕も釣られてスマホの画面をつけた。
十一時五十分。
乾杯まであと十分か。
【ムラサキカガミ】という言葉を二十歳になるまで覚えていたら不幸になると最初に言い出したのは誰だろう。
とある人は事故に遭って半身不随になったとか、とある人は恋人に振られてそのまま橋の上から身投げしたとか、審議の定かでない噂もいくつか聞いた。
そのインパクトのせいで定期的に頭の片隅に浮かび上がるこの言葉を完全に忘れ去ることができないまま二十歳を迎えて早三ヶ月。
僕の身には特にこれといって不幸なことは起こっていない。
親友はビビりだから、【ムラサキカガミ】の正体を知ったらきっと怒るだろう。
なんて考えていたら案の定わき腹を小突かれた。
「呪いの呪文じゃねーか」
「バレたか。まあまあ怒るなって。まだ五分あるんだからさ、せいぜい頑張って忘れる努力をしろよ」
笑って流しながら、レジ袋の中に入っていた缶チューハイを取り出す。
キンキンに冷えたそれを親友の頬に押し付ければ、怒りに目を吊り上げていた親友の表情もいくらか緩んだ。
「……だよなー。アレを覚えてたお前もピンピンしてるもんな」
なにやら一人で呟く親友。
さっそく「アレ」なんて呼んで触れないようにしているのが笑えてくる。
「……お! もう時間だぞ」
「ホントだな」
「ごー、よんっ、さんっ、にー、いちっ!」
「「かんぱーい!!」」
ぷしゅ、っという小気味いい音を合図に僕らの酒盛りは始まった。
咽喉を下っていく炭酸の刺激が気持ちいい。
「ぷはーっ!」
「ははっ、いい飲みっぷりだな。……あ、お茶買い忘れた」
「あとでまたコンビニ行けばいいだろ。ついでにおかわりも、な?」
一口飲んだだけなのに親友はすでに上機嫌になっている。
まあ、今日はお祝いだから良いということにしておこうか。
「お前が変な呪文のことを言い出した時はほんっとビビったんだからな」
「悪りぃ悪りぃ」
他愛のない話をしながら酒を飲んでいると、不意にまばゆい光が僕らを照らした。
公園の中にはいるはずのない、大型の車。
それが猛スピードで突っ込んできている。
「危ないっ!」
僕は半ば悲鳴のような声を上げながらトラックの進行方向にいた親友にタックルした。
チューハイの缶が潰れる音と、それより鈍い音。
僕のタックルでは親友をトラックの軌道から完全に外すことはできなかったらしい。
僕自身も腕がトラックと軽く接触したのを感じた。
「きゅ、きゅうきゅう、しゃ……」
ポケットから転げ落ちたスマホに手を伸ばす。
トラックに跳ね飛ばされた親友は、聞いたこともない声を漏らしていた。
このまま放っておくわけにはいかない。
でも、正直見るのも怖かった。
恐る恐る近付いてみて、思っていたよりグロい状態ではなかったことに安堵する。
周囲の砂地にじわりと血が滲んではいるがざっと見た感じだと傷口は見当たらない。
骨折くらいで済んでいるといいんだけど。
「……き、……が……」
「っ! 大丈夫か!?」
親友が苦しそうに何か伝えようとしている。
119に電話を掛けるも、呼び出し音が続くばかりでなかなか応答がない。
もどかしくなってその場をグルグル歩き出した時、親友が細く目を開いた。
口をぱくぱくさせて何か訴えようとしている。
「どうした」
親友の口元に耳を寄せる。
わずかにアルコールの匂いがした。
「……さき、……がみ」
「ん?」
「むら……さき、か……がみ」
「っ、おい、大丈夫か!?」
助けを求める言葉でも、痛みを叫ぶ悲鳴でもなかった。
ついさっき僕が教えてしまった不幸になる呪文。
それを彼は一心に唱えている。
「ムラサキカガミ、ムラサキカガミ……」
「ご、ごめん……。こんなことになるなんて思わなくて」
「ムラサキカガミムラサキカガミ、ムラサキカガミムラサキカガミムラサキカガミムラサキカガミムラサキカガミムラサキカガミ!!」
親友の声はいつしか怒鳴り声になり、ギャハハハハと大爆笑しながら飛び起きた。
ぽっきりと折れて曲がった首が、僕の顔をじっと見つめている。
大爆笑しているのに無表情な顔で。
じわり、じわりと近付いて。
電話の呼び出し音が響いて……――。
「おい、どうしたんだよ急にボーッとして」
親友の声がして、ばんと肩を叩かれる。
驚いてそちらに目を向けるといつも通りの親友がそこにいた。
トラックに轢かれてひしゃげてもいないし、狂気じみた目もしていない。
もしかしたら一瞬眠りかけていたのだろうか。
スマホの画面をつけて時間を確認してみる。
十一時五十分……。
事故が起こる前に戻っている。
何があったのかは分からないけど、とりあえず安心していいんだと思う。
「なんかあったのか?」
「いや、ちょっと考え事をしてただけだよ」
適当に誤魔化してみたけれど、嘘をついているのはバレバレだろう。
話題を変えようと僕は切り出した。
「ところでさ……」
「知ってるよ。【ムラサキカガミ】だろ?」
そう言った親友の顔が、醜悪に歪んだ。
日付が変わった瞬間に乾杯しようとコンビニで買い込んだ酒を片手に公園のベンチでだべっていた時のことだ。
ふとした思い付きで、僕はイタズラを仕掛けることにした。
「ところでさ、【ムラサキカガミ】って知ってるか?」
「ムラサキ……、サガリ?」
「サガリじゃなくてカガミ!」
「なんだそれ」
不思議そうな顔をして親友はスマホに目を落とす。検索でもするつもりだろうか?
バレたら怒られるんだろうなぁと思いながら、僕も釣られてスマホの画面をつけた。
十一時五十分。
乾杯まであと十分か。
【ムラサキカガミ】という言葉を二十歳になるまで覚えていたら不幸になると最初に言い出したのは誰だろう。
とある人は事故に遭って半身不随になったとか、とある人は恋人に振られてそのまま橋の上から身投げしたとか、審議の定かでない噂もいくつか聞いた。
そのインパクトのせいで定期的に頭の片隅に浮かび上がるこの言葉を完全に忘れ去ることができないまま二十歳を迎えて早三ヶ月。
僕の身には特にこれといって不幸なことは起こっていない。
親友はビビりだから、【ムラサキカガミ】の正体を知ったらきっと怒るだろう。
なんて考えていたら案の定わき腹を小突かれた。
「呪いの呪文じゃねーか」
「バレたか。まあまあ怒るなって。まだ五分あるんだからさ、せいぜい頑張って忘れる努力をしろよ」
笑って流しながら、レジ袋の中に入っていた缶チューハイを取り出す。
キンキンに冷えたそれを親友の頬に押し付ければ、怒りに目を吊り上げていた親友の表情もいくらか緩んだ。
「……だよなー。アレを覚えてたお前もピンピンしてるもんな」
なにやら一人で呟く親友。
さっそく「アレ」なんて呼んで触れないようにしているのが笑えてくる。
「……お! もう時間だぞ」
「ホントだな」
「ごー、よんっ、さんっ、にー、いちっ!」
「「かんぱーい!!」」
ぷしゅ、っという小気味いい音を合図に僕らの酒盛りは始まった。
咽喉を下っていく炭酸の刺激が気持ちいい。
「ぷはーっ!」
「ははっ、いい飲みっぷりだな。……あ、お茶買い忘れた」
「あとでまたコンビニ行けばいいだろ。ついでにおかわりも、な?」
一口飲んだだけなのに親友はすでに上機嫌になっている。
まあ、今日はお祝いだから良いということにしておこうか。
「お前が変な呪文のことを言い出した時はほんっとビビったんだからな」
「悪りぃ悪りぃ」
他愛のない話をしながら酒を飲んでいると、不意にまばゆい光が僕らを照らした。
公園の中にはいるはずのない、大型の車。
それが猛スピードで突っ込んできている。
「危ないっ!」
僕は半ば悲鳴のような声を上げながらトラックの進行方向にいた親友にタックルした。
チューハイの缶が潰れる音と、それより鈍い音。
僕のタックルでは親友をトラックの軌道から完全に外すことはできなかったらしい。
僕自身も腕がトラックと軽く接触したのを感じた。
「きゅ、きゅうきゅう、しゃ……」
ポケットから転げ落ちたスマホに手を伸ばす。
トラックに跳ね飛ばされた親友は、聞いたこともない声を漏らしていた。
このまま放っておくわけにはいかない。
でも、正直見るのも怖かった。
恐る恐る近付いてみて、思っていたよりグロい状態ではなかったことに安堵する。
周囲の砂地にじわりと血が滲んではいるがざっと見た感じだと傷口は見当たらない。
骨折くらいで済んでいるといいんだけど。
「……き、……が……」
「っ! 大丈夫か!?」
親友が苦しそうに何か伝えようとしている。
119に電話を掛けるも、呼び出し音が続くばかりでなかなか応答がない。
もどかしくなってその場をグルグル歩き出した時、親友が細く目を開いた。
口をぱくぱくさせて何か訴えようとしている。
「どうした」
親友の口元に耳を寄せる。
わずかにアルコールの匂いがした。
「……さき、……がみ」
「ん?」
「むら……さき、か……がみ」
「っ、おい、大丈夫か!?」
助けを求める言葉でも、痛みを叫ぶ悲鳴でもなかった。
ついさっき僕が教えてしまった不幸になる呪文。
それを彼は一心に唱えている。
「ムラサキカガミ、ムラサキカガミ……」
「ご、ごめん……。こんなことになるなんて思わなくて」
「ムラサキカガミムラサキカガミ、ムラサキカガミムラサキカガミムラサキカガミムラサキカガミムラサキカガミムラサキカガミ!!」
親友の声はいつしか怒鳴り声になり、ギャハハハハと大爆笑しながら飛び起きた。
ぽっきりと折れて曲がった首が、僕の顔をじっと見つめている。
大爆笑しているのに無表情な顔で。
じわり、じわりと近付いて。
電話の呼び出し音が響いて……――。
「おい、どうしたんだよ急にボーッとして」
親友の声がして、ばんと肩を叩かれる。
驚いてそちらに目を向けるといつも通りの親友がそこにいた。
トラックに轢かれてひしゃげてもいないし、狂気じみた目もしていない。
もしかしたら一瞬眠りかけていたのだろうか。
スマホの画面をつけて時間を確認してみる。
十一時五十分……。
事故が起こる前に戻っている。
何があったのかは分からないけど、とりあえず安心していいんだと思う。
「なんかあったのか?」
「いや、ちょっと考え事をしてただけだよ」
適当に誤魔化してみたけれど、嘘をついているのはバレバレだろう。
話題を変えようと僕は切り出した。
「ところでさ……」
「知ってるよ。【ムラサキカガミ】だろ?」
そう言った親友の顔が、醜悪に歪んだ。
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