女領主とその女中

あべかわきなこ

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領主と幽霊

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「お待ちしておりました、ルクルス様」

 アルフレッドを屋敷で出迎えてくれたのは、随分と年若い栗色の髪の女中だった。
 フリルも控えめなおとなしい給仕服で地味めにまとめているが、化粧をせずとも透き通る若々しい肌と、少女らしい丸い瞳が新鮮だ。
 彼の屋敷にも女中は何人かいて、定期的に新しい人材を雇うのだが、どうやら新人いじめが横行していて新しい者はすぐにやめてしまう。今残っているのは彼が幼い頃からずっと務めているような強者ばかりで、こんな十代の、可憐な女中を見るのは珍しい。

「あの、なにか?」
「あ、いや失敬。貴女ほど若いメイドは私にとっては珍しくて」

 まじまじと眺めてしまったことを恥じ、アルフレッドは慌てて帽子を脱いだ。
 決して嫌らしい目で見ていたわけではないが、羞恥で顔が赤くなる。

「お気になさらず。田舎では珍しくないのですよ」

 少女は上品に微笑むと、彼を屋敷の中へと案内した。
 こんな野花のような少女がうちの屋敷にひとりでもいてくれればなあとアルフレッドは心底思った。



 領主の館は彼の想像以上に質素なつくりをしていた。
 ルクルス家の屋敷が必要以上に派手に作りこみすぎているのかもしれないが、それにしても、ここは並みの貴族の屋敷より控えめな印象だ。
 それに、他の使用人の姿も見えない。
 まさかとは思うが、使用人はこの少女だけなのだろうかとすら思えてしまう。

 客間の扉の前で、彼を先導していた女中の少女は急に立ち止った。

「ルクルス様、しばしだけ扉の前でお待ちくださいませ。中を確認いたしますので」
「中?」
「前科がありますので」
「?」

 なんのことかわからないまま、アルフレッドはとりあえず頷いた。
 少女は扉を少しだけ開けて部屋の中に滑り込むように入っていった。

 すると、部屋の中から

「またそんなお召し物を! ご用意したドレスは!?」
「だってコルセット締めるの面倒だったんだもん。寝間着じゃないだけ今回はマシでしょ?」
「殿方の前で寝間着は論外です! あああもう、髪ももう少し梳いてくださいよッ、台無しです台無し!」
「わかった、わかったからもう少し声を抑えたほうがいいよマリア。多分お客様に筒抜けだからね……」

 ……ちょっとした口論のようなものが聞こえたか聞こえなかったかしている間に、再び女中の少女が扉から姿を現す。

「お待たせしました、どうぞお入りください」

 心なしか余裕のない笑顔で、少女は扉を開けた。
 少しだけ緊張して、アルフレッドは部屋に踏み入る。

 客間テーブルの前に、件の領主は立っていた。

「遠路はるばるようこそ、ミスター・ルクルス。
 私がクロワ家当主、ロア・ロジェ・クロワだ」

 彼女を見た途端、アルフレッドは再び同じ過ちを犯すことになった。

 グレイのシャツに、黒のスーツパンツを纏ったその貴婦人は、「天涯孤独の令嬢」というよりかは「奔放自在の麗人」のようだった。

 大地の色に似た赤茶色の長い髪に、中性的で凛とした顔立ち。
 都でも珍しい金色の瞳は、落ち着き払って彼を真っ直ぐに見据えている。

 まるで紳士のような恰好をしている一方で、彼女の女性としてのスタイルは抜群だった。
 コルセットなどなくとも、十分すぎるほどその女性らしい身体のラインが主張されている。

 端的に言うと、ボルドウ領主はとても魅惑的だった。

「長旅でお疲れだろう、かけていただいて構わないよ。マリア、お茶を持ってきてくれ」

 領主の言葉にはっとして、棒立ちしていたアルフレッドは慌ててソファーに座る。
 自らの顔が赤くなっているのを自覚して、彼は思わず首元を緩めて暑がっているフリをした。

 ところで、アルフレッドはルクルス3兄弟のうちで一番の美男である。
 これまで社交界で数多の貴婦人たちに言い寄られたが、どんな女性の甘い誘惑も彼の心には響かなかった。
 彼が女性に対して頬を染めるのは、幼い日の初恋以来だろう。

 彼がどうにかひととおりの定型的な挨拶を交わしていると、先ほどの女中がお茶を持ってきてくれた。
 妙な緊張から喉がからからに乾いていた彼は、出された紅茶を一気に飲んで、

「ごふッ!」

 雫が気管に入って盛大にむせた。

「大丈夫ですか!?」

 女中の少女が慌ててタオルを持ってくる。

「す、すみません、床にまでこぼしてしまって」
「古い屋敷だ、構わないよ。マリア、ルクルス殿に水を」
「承知しました」

(何をやってるんだ僕は……)

 アルフレッドが涙目になりながらコップの水を飲んでいると。

「ところでルクルス殿、少し話が脱線するんだけど、いいかな」

 領主が突然そんなことを言ってくるので、アルフレッドは「なんですか?」と尋ねた。
 すると領主は妙に真剣な顔で尋ねてくる。

「最近の都はそんなに物騒なんだろうか」
「え? ええ、物騒といえば物騒ですが、前からですよ。都に何か用事がおありなんですか? 近々来られる予定があるとか」
「いや、そういうわけではないんだけど。どうも、都からのお客様には妙なおまけがついてくるのでね」
「?」

 アルフレッドが首を傾げていると、領主はおもむろに立ち上がり、客間テーブルをまたいで彼の目の前で片膝をついた。

「へ?」

 突然距離が縮まって、アルフレッドは目を丸くする。

「少しはらわせてもらうよ」

 そう言って領主はアルフレッドの肩を軽くはたいた。
 すると瞬間、彼の肩から風の塊のようなものがぶわりと舞い起こり、

「きゃ!?」

 スカートが風で舞い上がったためか、扉付近に立っていた女中が悲鳴を上げた。

 いや、そもそもおかしい。
 今日は外気が冷たいためか、部屋の窓は開いていない。
 だというのにどうして室内で風が起こるのか。

 というか、今なお彼女のスカートは風をはらみ続けており、少女は必死にスカートの裾が舞い上がるのを押さえている。

「~~ロア様これ! どうにかしてください!!」

 少女は真っ赤な顔で懇願した。
 それを見た領主は、目の前のアルフレッドに告げた。

「ミスター、しばし目を閉じていてくれ。少しでも開けたら君を殺すかもしれない」

 据わった眼で言われ、アルフレッドは意味も分からないままその命令に従った。

 彼が目を閉じたのを確認し、ロアはマリアのもとに歩み寄る。

「捲るよ」

 一声かけて、ロアはマリアのスカートに手をかける。
 裾から大胆にたくし上げると、彼女のスカートに隠れていた霊体がぶわりと飛び出してきた。

「この」
「このセクハラ幽霊! 女性のスカートに入り込むとは何事ですか!」

 ロアが手を出すより先に、マリアが霊体にビンタをかました。
 殴られた霊体はそのまま吹き飛び、

「「あ」」

 運悪く、目を固く閉じていたアルフレッドの頭にぶつかって、再び彼にとりついてしまった。
 しかも

「……はは! 愉快愉快、霊になるとこういうことまで出来るのか!」

 アルフレッドは突然ソファーにふんぞり返り、大口を開けて愉快げに笑った。
 先刻までの彼とは振る舞いが別人のよう。
 彼はどうやら完全に、亡霊に身体を乗っ取られてしまったらしい。

「……マリア」
「すみません」

 生きた人間を完全に乗っ取った霊ほど祓いにくいものはない。
 あの手この手で剝がすより、霊がその人間に飽きて離れるのを待ったほうが早いのだ。

「ボルドウ領主、想像以上に面白い女だな。せっかくなので少し語ろうぞ。ボルドウの美味い酒はあるのだろう?」

 アルフレッドに憑いた霊は、ソファーにふんぞり返ったままそう言った。
 ロアはため息をつきながら、しぶしぶ対面に座る。

「マリア、客人に赤の葡萄酒を。父の蔵ならどれをとっても間違いない」
「……承知しました」

 マリアは不服そうにしながらも、葡萄酒を取りに部屋を出た。
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