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領主と女中の未来の約束
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マリア・マグナスが知る限り、ロア・ロジェ・クロワという人は、とても臆病な女性だった。
『叶わないことを言うのが怖くて言えなかった』
あの時彼女自身が吐露したように、以前の彼女は決して、不確かな約束をしない人だった。
例えばお酒。
いつもひとりで葡萄酒を嗜む彼女に、マリアは幾度か問いかけた。
「お酒ってそんなに美味しいんですか」
彼女は決まってすまし顔で、「美味しいよ」と答える。
そして言うのだ。
「マリアも早く飲める歳になるといいね」、と。
どこか突き放すような、涼しい声で。
マリアが飲酒できる年齢――大人になるまであと数年。
けれど彼女は決して「早く一緒に飲みたいね」と言ったことはなく。
暗に、一緒に酒を愉しむことは出来ないだろうと、常々言葉の裏に含ませていたのだ。
* * *
今日のロアは朝からどこかそわそわしていた。
居間の窓ふきをしているマリアは、その不審な動きを勿論察知していた。
そして、その理由も。
「ねえマリア、もうすぐ誕生日だね。プレゼントは何がいい?」
マリアの誕生日はちょうど1週間後に控えている。
ロアは朝からこれを聞きたくてそわそわしていたのだ。
マリアはそれを理解しつつ、しかし即答する。
「何も要りません」
マリアの返答は毎年同じだ。
勿論ちゃんと理由がある。
「御厚意は嬉しいのですが、貴女の財はボルドウ領民の皆さんからの税収がほとんどです。生活に必要なものならともかく、私ごときの誕生祝いに使うのは間違いです」
マリアがそう言うと、ロアはいつも「わかった」としょぼくれて、大抵マリアの誕生日当日は彼女の好物のチョコチップクッキーをせめて二箱贈る、という流れが常だった。
が、今年のロアは違った。
「今年もそう言われると思ってね、実はロア様バイトをしてみましたー!」
「バイト?」
予想だにしなかった言葉の登場に、マリアは思わず窓ふきの手を止める。
相当怪訝な顔をしていたのか、ロアは慌てて付け加えた。
「怪しいバイトじゃないよ? 隣町に新しく出来た大型商店の開店セールイベントで着ぐるみに入ってたんだ。割が良くてね」
……ああ、とマリアは納得した。
先日、あの出不精のロアが、珍しく日中に出掛けていたのはそのためだったのだ。
リィの言葉にやきもきして損をしたと思うと同時に、マリアの胸は急に熱くなる。
だって、わざわざ。あの面倒くさがりでずぼらなロアが、そのために外出をして、あまつさえ慣れない労働をしてきたというのだ。
「だからね、これはマリアのために稼いだお金だから、何か贈らせてほしいな」
そしてそのロアの言葉に、マリアは嬉しさのあまり赤くなった顔を俯いて隠さざるを得なくなった。
胸が詰まって言葉が出ないとはまさにこのことで、そんなマリアの沈黙を、ロアは優しく見守った。
マリアはようやく口を開く。
「…………あの、でも、実際欲しいものも特にはないといいますか……」
言ってしまってから、しまったとマリアは反省する。
嬉しいのに。とても嬉しいのにこれではとても可愛げがない。
しかし実際、特に欲しいものがないというのは事実で、この屋敷での生活には何の不自由も感じていないのだ。
一方、ロアはそんなマリアの返答に気を悪くした風もなく、
「そう? じゃあアクセサリーとかどうかな。マリアあんまりそういうの持ってないよね?」
「あの、私一応修道女なので、そういった装飾品はちょっと………」
「え!? 教会ってアクセサリー禁止なの!?」
「いえ、そういうわけではないですが……」
知人の悪魔祓いの中に魔除けの石を埋め込んだ派手なピアスを好んでつけていた女性もいたし、教会の重鎮でも無駄にキラキラした指輪をいくつもはめている男性を見たことがあるので、禁止というわけではないようだ。
しかしマリアが幼い頃お世話になった孤児院兼修道院は質素倹約を美徳としているところだったので、マリアにはあまりそういったものになじみがない。
それに。
「貴女のような女性ならともかく、装飾品は私のような小娘にはまだ似合わない気がします。貴女のその行動だけで、もう十分ですよ」
ありがとう、と。
マリアは嘘偽りない胸の内をロアに伝える。
すると、ロアは少しだけ逡巡するように目線を泳がせた。
そして、にこりと笑ってマリアの顔を覗く。
「じゃあ、マリアが二十歳になったら贈るよ。
それまでにもっと貯めておくから、その時一緒に選びに行こう?」
マリアは少しだけ、耳を疑った。
夢でも見ているんじゃないかと。
けれど胸の高まりが、こみ上げる喜びが、これは現実なのだと教えてくれる。
――二十歳になったら、一緒に。
『マリアも早く飲める歳になるといいね』
あれだけ頑なに未来を語らなかったロアが、ようやく「未来の約束」をくれたのだ。
自然と口元がほころぶ。
喜びで上気した頬を隠すことなく、マリアは少女らしい笑顔で頷いた。
「はい。楽しみにしていますね」
ロアは照れ臭そうに笑った。
『叶わないことを言うのが怖くて言えなかった』
あの時彼女自身が吐露したように、以前の彼女は決して、不確かな約束をしない人だった。
例えばお酒。
いつもひとりで葡萄酒を嗜む彼女に、マリアは幾度か問いかけた。
「お酒ってそんなに美味しいんですか」
彼女は決まってすまし顔で、「美味しいよ」と答える。
そして言うのだ。
「マリアも早く飲める歳になるといいね」、と。
どこか突き放すような、涼しい声で。
マリアが飲酒できる年齢――大人になるまであと数年。
けれど彼女は決して「早く一緒に飲みたいね」と言ったことはなく。
暗に、一緒に酒を愉しむことは出来ないだろうと、常々言葉の裏に含ませていたのだ。
* * *
今日のロアは朝からどこかそわそわしていた。
居間の窓ふきをしているマリアは、その不審な動きを勿論察知していた。
そして、その理由も。
「ねえマリア、もうすぐ誕生日だね。プレゼントは何がいい?」
マリアの誕生日はちょうど1週間後に控えている。
ロアは朝からこれを聞きたくてそわそわしていたのだ。
マリアはそれを理解しつつ、しかし即答する。
「何も要りません」
マリアの返答は毎年同じだ。
勿論ちゃんと理由がある。
「御厚意は嬉しいのですが、貴女の財はボルドウ領民の皆さんからの税収がほとんどです。生活に必要なものならともかく、私ごときの誕生祝いに使うのは間違いです」
マリアがそう言うと、ロアはいつも「わかった」としょぼくれて、大抵マリアの誕生日当日は彼女の好物のチョコチップクッキーをせめて二箱贈る、という流れが常だった。
が、今年のロアは違った。
「今年もそう言われると思ってね、実はロア様バイトをしてみましたー!」
「バイト?」
予想だにしなかった言葉の登場に、マリアは思わず窓ふきの手を止める。
相当怪訝な顔をしていたのか、ロアは慌てて付け加えた。
「怪しいバイトじゃないよ? 隣町に新しく出来た大型商店の開店セールイベントで着ぐるみに入ってたんだ。割が良くてね」
……ああ、とマリアは納得した。
先日、あの出不精のロアが、珍しく日中に出掛けていたのはそのためだったのだ。
リィの言葉にやきもきして損をしたと思うと同時に、マリアの胸は急に熱くなる。
だって、わざわざ。あの面倒くさがりでずぼらなロアが、そのために外出をして、あまつさえ慣れない労働をしてきたというのだ。
「だからね、これはマリアのために稼いだお金だから、何か贈らせてほしいな」
そしてそのロアの言葉に、マリアは嬉しさのあまり赤くなった顔を俯いて隠さざるを得なくなった。
胸が詰まって言葉が出ないとはまさにこのことで、そんなマリアの沈黙を、ロアは優しく見守った。
マリアはようやく口を開く。
「…………あの、でも、実際欲しいものも特にはないといいますか……」
言ってしまってから、しまったとマリアは反省する。
嬉しいのに。とても嬉しいのにこれではとても可愛げがない。
しかし実際、特に欲しいものがないというのは事実で、この屋敷での生活には何の不自由も感じていないのだ。
一方、ロアはそんなマリアの返答に気を悪くした風もなく、
「そう? じゃあアクセサリーとかどうかな。マリアあんまりそういうの持ってないよね?」
「あの、私一応修道女なので、そういった装飾品はちょっと………」
「え!? 教会ってアクセサリー禁止なの!?」
「いえ、そういうわけではないですが……」
知人の悪魔祓いの中に魔除けの石を埋め込んだ派手なピアスを好んでつけていた女性もいたし、教会の重鎮でも無駄にキラキラした指輪をいくつもはめている男性を見たことがあるので、禁止というわけではないようだ。
しかしマリアが幼い頃お世話になった孤児院兼修道院は質素倹約を美徳としているところだったので、マリアにはあまりそういったものになじみがない。
それに。
「貴女のような女性ならともかく、装飾品は私のような小娘にはまだ似合わない気がします。貴女のその行動だけで、もう十分ですよ」
ありがとう、と。
マリアは嘘偽りない胸の内をロアに伝える。
すると、ロアは少しだけ逡巡するように目線を泳がせた。
そして、にこりと笑ってマリアの顔を覗く。
「じゃあ、マリアが二十歳になったら贈るよ。
それまでにもっと貯めておくから、その時一緒に選びに行こう?」
マリアは少しだけ、耳を疑った。
夢でも見ているんじゃないかと。
けれど胸の高まりが、こみ上げる喜びが、これは現実なのだと教えてくれる。
――二十歳になったら、一緒に。
『マリアも早く飲める歳になるといいね』
あれだけ頑なに未来を語らなかったロアが、ようやく「未来の約束」をくれたのだ。
自然と口元がほころぶ。
喜びで上気した頬を隠すことなく、マリアは少女らしい笑顔で頷いた。
「はい。楽しみにしていますね」
ロアは照れ臭そうに笑った。
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