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閑古鳥と中庭の薔薇

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「本当に暇になってしまった……。いや、いいことなんだろうけれど」

 ひとりごちた言葉は、誰に届くもなく虚空に消える。
 ミレディ様による一斉回復で、騎士団・魔法師団から負傷者がいなくなり、治療院もすっかり閑古鳥が鳴いている。訓練で怪我人が出ても、ポーションで治療できる程度なので、私の出番はなくなってしまった。
 それなりに時間をかけて騎士様・魔法師様方と信頼関係を築き上げ、治療を施してきたと思っていたけれど、転がり落ちる時はあっという間だなあとしみじみ実感してしまった。

「何があっても、聖女は君だけだよ」

 ルクス殿下は、そんな風に言ってくれるけれども、自分には強大な魔力もカリスマ性もない。それを一番わかっているのは私自身だ。
 やり場のなさと肩身の狭さを抱えながら、私は侍女服姿でルクス殿下の執務室をお掃除中だ。
 ここ数日、ゲリラ的に光魔法を大盤振る舞いして、派手なパフォーマンスを見せたミレディ様と第二王子殿下一行は、一躍脚光を浴び、あちこちで引っ張りだこになっている。魔物による被害がより酷い地方にも赴いて、治癒の奇跡を分け与えて欲しいなどという話も上がっているのだとか。ただ、案の定というか、仕事を奪われてしまった薬師たちから盛大な反発を食らっているらしい。
 ぼんやりとハタキを動かしながら思い出すのは、数日前にミレディ様と偶々出くわした時のことだった。




 ここ数日で、私の影はめっきり薄くなっていた。治癒の聖女といえばミレディ様。そんな図式が既に出来上がっていた。私の他に手早く一斉に治癒できる光魔法使いがいたら、そちらを歓迎するのは当然だ。
 治療院での仕事もなく、私はエマ様を連れて、すごすごと部屋に戻ろうとしていた。
 すると、相向かいからミレディ様が歩いてくる。いつだったかと同じ構図だ。以前より侍女も護衛も倍くらいついていて、仰々しいことこの上ない。
 どうやら、あちらも私に気づいたようで、目を丸くした。

「あらあら。貴女まだ王宮にいらっしゃったの? 随分と図太いのねえ」

 すれ違いざま、ミレディ様が扇の陰で嗤った気がした。それに合わせて、背後の取り巻きたちもくすくすとさざめく。

「より強い光魔法を持つ私がいるんですもの、二人も聖女なんて必要ないでしょう? どこの馬の骨ともわからぬ者は、さっさと出ていきなさい。貴女の居場所なんて、ここにはございませんのよ? 目障りですわ」
「わたくしだったら、恥ずかしくて外を歩くなんてできませんわ」
「ミレディ様がいらっしゃるのですもの。我が国は安泰ですわね」
「まあ、ありがとうございます。さあ、みなさま参りましょう。側妃様がお待ちですわ」

 獲物を甚振ってでもいるつもりなのか、非常に感じが悪い。
 紅を差した唇に毒を載せるだけ載せて、ミレディ様は優越感たっぷりな様子でその場から去っていった。




 エマ様はなんて失礼なと憤慨してくれたけれども、正直ミレディ様の嫌味は私の胸にじわじわと侵食した。そうだよなーなんて同意してしまうくらいには。もちろん、それが正論だとは思わないが、実際私の治癒などミレディ様の魔法に比べたら微々たるものだ。
 しかも、報酬に釣られて作り上げられた4時間だけの紛い物。
 世の中、綺麗事だけで成り立っているわけではないとはいえ、イメージ戦略でゴリ押してきた役割に対して、結局拭いきれない申し訳なさと後ろめたさは、ずっと私の心の片隅に燻ったままだ。
 もちろん、ミレディ様に聖女らしさがあるかと言われると疑問でもあるけれど、きちんと人を選んで本性を出しているみたいで、市井からの評判はさほど悪くない。伊達に高位貴族の令嬢を長年やっているわけじゃない。

(やっぱり、こんな仕事、受けなければよかったのかもしれないなあ……)

 はあとため息を零しながらも、執務室に併設する仮眠室のシーツを取り換え、ぴしりとベッドメイクをこなす。皴一つない綺麗なベッドを見て、ちょっとした満足感を得た。
 やはり侍女のほうが性にあっているよなあ……。洗濯メイドにシーツを託しながら、私は改めてそう思う。
 ルクス殿下たちは、ジャック様を執務室に残して、各々どこかしらへ出かけている。元々、スタンピード対策で大詰めだったところに、第二王子派の横やりで計画の修正を余儀なくされた。その上、西部に出張している巫女長様と神官長様からの連絡によると、瘴気濃度や魔物の動きがどうにもおかしいらしい。人手が足りなさそうだったので、エマ様は私が送り出した。
 ベッドはここ毎日誰かしら利用していて、忙しなさが伺える。ろくに顔を合わせる暇もない。私の光魔法の調査も、宙ぶらりんになっていた。

「ユユア嬢、少し頼みたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「あっ、はーい。お任せ下さい」

 洗濯場から戻った私に、疲れでよれよれになったジャック様が声をかけた。

「この書類を、至急魔法省まで提出しにいってもらえますか。はー、殿下も人使いが荒いったら……」
「かしこまりました。ジャック様、テーブルに焼いてきたお菓子を置いてありますので、一息入れてくださいね。では、行ってまいります」
「ありがとうございます、いただきますね。くれぐれも気を付けてください」

 魔法省は王宮のはじ、軍部とは逆方向にある。途中通る中庭は、噴水が涼やかに水を散らし、庭師の手で整えられ芳醇な香りを放つ薔薇が咲き誇り、お使いするのが密かに楽しみな場所でもあった

「ルクス様っ!」

 なのに、聞き覚えのある声が響いて、私は反射的にそばの柱の影へと身を隠してしまった。今一番合いたくない人の声だ。
 しかし、聞き捨てならない名前が呼ばれていたのが気になって、おずおずとそっと頭だけを覗かせる。
 そこには、衝撃の光景が待っていた。とっさに書類を手から落とさなかった自分を、褒めたいくらいに。

「え……」

 ミレディ嬢とルクス殿下が、抱き合っている。それは、薔薇に囲まれた花壇の一角で、ともすれば密会する恋人同士の甘い一時のよう。
 柱からは距離があって、二人が何を話しているのかまでは詳しく聞こえない。親密にこそこそと内緒話をしている風にも見える。一体何を話しているのだろう。そもそも、いつからそんなことになっていたのか。
 よくよく考えれば、魔法をこよなく愛しているルクス殿下にとって、私も巫女長様も使えない範囲治癒魔法は、これ以上もなく魅力的に映るはずだ。きっと、あの日、私の魔法に興味を示したみたいに。
 とくとくとくと、己の心臓が早鐘を打つのが、やけに耳にうるさくて。
 私がじっと息をひそめている間に、夢見るような笑みを浮かべたミレディ嬢をエスコートして、ルクス殿下は中庭を離れていく。寄り添い歩く金と銀の一対の美しい姿は、はっと目を惹かれてしまうほどで。なんてお似合いの二人なんだろう。
 そういえば、ミレディ嬢は、ルクス殿下がお好きなんだった。
 ぎゅううと胸が締め付けられるように、痛んだ。

「なに、これ……」

 どうして私はこんなに狼狽えているのだろう。
 処理落ちした頭は、もう真っ白で。私はその後自分がどういった行動をとったのか、さっぱり覚えていなかった。

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