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ネゴシエーション②〜sideルクス
しおりを挟む医務室のベッドに身を起こしぼんやりしていたエマは、僕の顔を見るなり深々と頭を下げた。寝具を掴む手が、ぶるぶると震えている。ユユア嬢を攫われ、誰よりも悔しさを覚えているのはエマだろう。
「……殿下、私の力が足らずユユア様をお守りし切れず、申し訳ありません。処罰はいかようにも」
「闇魔法の使い手がいたらしいと聞いている。さすがに分が悪い。とはいえ、罰は与えるよ。半年の減俸と、今から数日謹慎ね。救出時に働いてもらう予定だから、そこで挽回するといい。それよりも、詳細を報告してくれ」
「……はっ。ありがとうございます」
エマが頭を垂れた。我ながら手ぬるい罰だとも思うが、時間も人手も足りない現状、この辺りが落とし所だろう。一応でもきちんと示しをつけておかないと、どこかで軋轢を生む。
僕は部屋全体に音声遮断の魔法をかけた。常勤の医師は既に退出しているから、医務室にいるのは僕らだけだ。
息を吸い表情を改めたエマからの状況報告を聞きながら、僕は眉を顰めた。
「リボンを奪った少年も、金で雇われたとみるべきだな。まさかユユア嬢がそこまであのリボンを大事にしてくれていたとは……」
他に盗めそうなものがなかったとはいえ、僕のあげたリボンが彼女をおびき寄せるための餌として使われてしまっては、素直に喜べず複雑な心境だ。
「はい。私がユユア様を発見した際には、すでに幻惑魔法を解かれた後でした。犯人たちは、ユユア様が聖女だとあらかじめ知っていたように見受けられます」
「闇魔法師がいたとて、あのブレスレットが魔道具だと初見で見破るのは難しい。どこからかユユア嬢の情報を突き止められたと見るのが妥当か……これは僕の失態だな」
「となると可能性が一番高いのは、やはり彼女の治癒魔法目的でしょうか」
「ああ。闇取引があるのかもしれないな。その筋を洗うのと、念のためオルヴィスの動きを監視しておけ。影を使って構わない」
「かしこまりました」
命を受けたディディエが、颯爽と医務室を出ていく。
国家として禁止している人身売買のルートが浮き彫りになってくるとなると、頭が痛い。わらわらと問題が増えていくが、上手くいけば一網打尽にできるチャンスでもある。
「ユユア嬢を探すにしても、手掛かりがなくてはなかなかに骨が折れるな……。ああ、そうだ。陛下に現状を報告したが、近日中にスタンピードが起こる。それはオルヴィスたちに任せることになったから、僕らはユユア嬢の捜索に注力する」
先ほどから広範囲に渡り、魔力を探ってみている。南東方面にうっすらとした気配を感じるものの、王都近辺は未だ彼女の魔力が混ざりすぎていて雑音が多い。せめて、ユユア嬢がネックレスを身に着けていたら、また話は違ったのだが。犯人側にも用心深い者がいるとみた。
「ええ、オルヴィス殿下にですか!? それは大丈夫なんですか!?」
「大丈夫かといわれたら大丈夫じゃないけどさあ。これだけひっかき回してくれているんだ。そのくらいやってもらわないと帳尻が合わない。最終的にはマティアスがうまく収めるだろうさ」
ジャックがあからさまな不安の声を漏らすのは、当然と言える。普通に考えてろくすっぽ経験もないオルヴィスに陣頭指揮をとらせるには、あまりにも心もとなさ過ぎる。だが、オルヴィスが王太子の座を手に入れるためには、否が応でも大規模災厄でしゃしゃり出る必要がある。マティアス曰く、「最高のお膳立てですよ。うまくやれるのであれば、ね」だが。
「それにしても、先ほどから殿下はスタンピードを既に確定されたもののように扱いますね。まだ余裕があると仰っていたのに」
「そりゃあ、聖女であるユユア嬢が、予定外に王都から連れ去られてしまったからね。起こるよ」
僕の言葉に、ジャックとエマがきょとんとする。クロードだけは事情を察しているから、うんうんと静かに頷いた。
「聖女の代名詞みたいになっている治癒魔法って、希少ではあるものの、聖女だけが持つ力でもないだろう? 光属性でも、更に希少になるが闇属性でも治癒を使えるものは生まれる。しかし、その者たちを聖女とは呼ばないよね。たとえば、効果は弱くあるものの一応治癒魔法を使える巫女長様は、今も昔も聖女などとは呼ばれていない。まあ、さほど知られていないし、あのお方の真骨頂は、結界術だけど」
「……言われてみると、確かにそうですね。え? で、では、何故殿下はユユア様を聖女だと?」
「何が聖女を聖女たらしめるのか? どこで伝承がねじ曲がって解釈されたのかはわからないし、僕が治癒と光魔法をブラフとしたのも原因の一つだけど、本来は、魔を払うとされる聖魔法――浄化を使える存在を聖女と呼ぶんだ」
「聖魔法……」
ノルンディードの歴史で、表に出たのは過去にたった一度きり。
それは、我々が普遍的に持つ7つの属性――火、風、水、地、光、闇、無――とはまた異なる、女神に選ばれし聖女のみが使用できる特殊属性。その血は、絶えることなく脈々とブルーマロウ子爵家に受け継がれていたというわけだ。
「ユユア嬢は、その浄化魔法の常時発動スキルをその身に宿している。彼女が存在するだけで、近辺の瘴気や魔物は浄化・弱体化されるんだよ」
「それって……っ! つまり、スタンピードが今まで押しとどめられていたのは……」
「そう、彼女が国の中央に位置する王都にやってきて、無意識に垂れ流している浄化魔法の広がりを、この魔道具でコントロールしていたからさ」
ポケットから取り出し掌の上に広げたのは、ユユア嬢に身につけさせていたネックレスだ。碧色の魔石には、拡散と統制と強化の陣が刻まれている。
初めてユユア嬢に出会ったあの日、視たこともない魔力の文様に心を奪われたあの日。すぐに辺り一帯に広がる、包み込むような清らかで美しい魔力が、自覚のなく彼女から発せられているスキルだと気づいた。
ただでさえ、自分の浄化魔法を意識していないユユア嬢に、スキルのコントロールなどできるはずもない。元々彼女の魔力の大半がつぎ込まれている浄化魔法が担う範囲は、ユユア嬢をとりまく不恰好な円形で、狭くかつ強力だった。それは、ちょうどブルーマロウ子爵領を覆う程度の広さ。かの領地に魔物がほとんど出没しないのは、土地柄もあるが(秘密裏に調べたら、領地に聖女が残したと思しき魔法陣が埋まっていて僕は興奮した!)、やはりユユア嬢の存在が大きい。
何せ、呪いレベルに強力な瘴気をはらむ穢れ切ったナイフでつけた傷でようやく拮抗できるほどの浄化能力だ。なお、あのナイフは実験の最中に完全浄化され切ったのだから、僕がニコニコしてしまうのも致し方ないだろう。
そして、魔力を視られる僕が魔道具で方向性を与え、王国全土に幅広く浄化がいきわたるよう定期的に調査と称して確認をしていた。治癒など浄化に比べれば、おまけの副産物にすぎない。
ジャックがごくりと息を呑む。
「つまり……今はまだ漂っているであろう彼女の浄化魔法が効力をうしなえば……弱体化されてどうにか均衡を保っていた魔物たちが活性化し……」
「スタンピードが起こるっていう寸法さ。国から聖女を、僕から大事な人を奪った報いは、きちんと受けてもらわなくてはね」
やんわりと呟き、僕はにこりと笑った。
顔を青褪めさせたまま、「殿下、目が笑っていません」と突っ込みを忘れないジャックは、やはり僕の良き側近だ。
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