そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

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第二章 帰郷

29.眠れぬ子に捧げる歌

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「本当に行っちゃうの? うちなら……お父さんならもっと居てもいいって、言ってくれると思うんだけど……」
「あんまり長居するわけにもいかないよ。奴らの仲間がこの家にやって来るより先に対処しないと」
「そっか……あの、ごめんなさい。お父さんが無理矢理泊まらせたせいで巻き込んじゃって……」
「いやいや、みんな無事でよかったよ。お陰でおいしいご飯を食べることもできたし、一宿一飯の恩義ってやつだ。気にしないで」
「……っ、本当にありがとう! それにしても、おいしいご飯? ふふっ、お世辞でも嬉しい。もっといい物を出せればよかったんだけど……」
「お世辞なもんか! いつも日持ちするだけの、それこそ味のしない物しか食べてなかったからさ。久しぶりに温かい料理にありつけたよ。いつかまた会える日が来れば、その時はもう一度、君の作ったパンやスープが食べたいな」
「えっ!? ぁっ……もちろんっ! いつかなんて言わず、近くに来たらいつでも寄ってってよ!! 今度はもっとおいしい料理を作るからっ!!」
「はは、本当? 嬉しいな……」










 ……納屋の前に立っていたマギソンとスビは冷めた目でベルトリウスを迎えた。特にマギソンの方はご機嫌斜めで、体中から黒いモヤが浮き出ているような、おどろおどろしい雰囲気を纏っていた。やはりきちんとした寝方をしないから虫の居所が悪くなるのだと昨日の自分なら指摘しただろうが、恋愛ごっこで気分を良くしていたベルトリウスは軽く笑って流した。

「何人も殺した後によく口説けるもんだな」
「女は機会さえありゃ唾付けとかねぇとな。何だお前、あの娘のこと狙ってたのか?」
「……」
「くくっ、冗談だよ! そんな怖い顔すんなって! ほら、出発しよう!」

 尚も睨み付けてくるマギソンと黙りこくっているスビを引き連れ、ベルトリウスは一家の住まう地を離れた。少し歩いてから振り返ると、直前に甘い言葉を囁いてやったリリアが家の影から大きく手を振っているのが見えた。ロスとリアーナも屋内で小さく手を振っているのが分かり、人ならざる者は答えるように手を振り返した。
 スビはその様子を尻目に、昨夜のおぞましい出来事を思い返した……。



 ……昨夜、スビは自らの手でテリーを撲殺ぼくさつし、他の仲間と同じ穴に埋めた。

『生き埋めにするか、殺してから埋めるか。好きな方を選んでいいぞ』

 この台詞を吐き掛けられた時は何てことを言うんだと尻込みしたが、すでに満身創痍のテリー見るに、いっそ一思いに終わらせてやった方が彼のためなのではないかと……手にしていたシャベルで仲間だった男を動かなくなるまで何度も殴打した。
 私生活でも反乱でも、今まで盗みしかやったことのなかったスビにとって直接的な殺人はこれが初めてだった。テリーを手に掛けた時もそうだが、遺体に土を被せている時は喉から心臓が飛び出てきそうなほどの強い動悸どうきと吐き気に襲われた。
 スビは何も考えないようにしていた。自分だけ生き延びて悪かったと懺悔ざんげの気持ちも抱かない。今埋めているのは使わなくなった古い道具だ。必要のない物を捨てるのは悪い行為じゃない。自分は悪くない。悪くない……悪くないんだ……。


 そうして青々とした草原で不自然に盛り上がり、色の変わった部分を見て立ち尽くしているスビにベルトリウスは再び声を掛けてきた。いわく、イユロウ地方にある都市、オーレンへ案内してやれば生かして解放してくれるとのことだった。
 スビはしつこく確認した。またテリーの時のように屁理屈を並べるつもりではないか? 本当に傷一つ負うことなく無事に解放してくれるのか?
 ベルトリウスは全ての問いに肯定して頷いた。
 疑わしいが、だからといって反発できる立場にないスビは了承する他なかった。幸いにもイユロウ全域で活動していた自分にとって、この条件は容易くこなせるものだった。やっと光明が見えてきたスビは仲間のことなど忘れて安堵していた。

 その後、結局作業の間ずっと近場で横になっていたマギソンを起こすと、ベルトリウスは二人に納屋で休むよう言った。何もかもに疲れていたスビは大人しく奥の隅に積まれた藁山で横になり、マギソンも定位置に座った状態でうつらうつらとしていた。

 二人が起きた……というか、起こされたのは昼になってからだ。
 ベルトリウスは早朝、一家に”襲撃者には仲間がいた”と報告しておいたらしい。生き残りにねぐらまで案内をさせて撃退してくる……などと、もっともらしい話を披露して謝礼の物資を獲得したと中身の詰まった袋を自慢げに見せられた。
 支度が整って納屋の戸を開けると、そこには夫妻の娘であるリリアが立っていた。出発前に少しだけ話がしたいと言って、彼女はベルトリウスを連れて畑の方へ行ってしまった。

 スビは共に残された隣の男に気まずさを覚えていた。腕組をして外壁に寄り掛かり、じっと二人の後ろ姿を見つめているマギソン……やる事はむごいが、一見した雰囲気は柔らかく、どちらかと言うと話し掛けやすいベルトリウスに対して、マギソンは人を突き放すような近寄りがたい圧を放っていた。周囲との間に見えない壁を立てているというか、ここにいる自分を完全無視だ。
 元来おちゃらけ気質なスビにとって、堅苦しいマギソンは相性の悪い人種だった。重い雰囲気に耐えられず自分も畑の二人を眺めると、ちょうど双方がはにかんで近付き合い……。

「うわ」

 思わず声が出た。
 仲良く話し込んでいると思ったら影が重なった。口付けを行ったのだ。
 会いに来た時の女の表情で、それが色恋に関するものと分かってはいたが……スビは正気を疑った。昨晩四人、いや五人を殺してヘラヘラしている男の方も、そんな男の残忍さを知らず恋慕している女の方も。

 一家を襲ったことなど棚に上げて、スビは自らが受けた仕打ちをベルトリウスに返してやりたい気分だった。女に昨夜の彼の行いを知らせ、そんな酷い人間と唇を重ね合ったことを後悔させてやりたい。いや、それだとベルトリウスへの仕返しにならない。何かいい手はないかと頭をひねっていたところ、ふと隣から先程の比ではない凄まじい圧を感じた。
 今度こそ上手いことマギソンの顔を盗み見ると、その鋭い目はまさしく穴が空くほどと言った具合に、まばたきもせず二人を射殺さんばかりに睨み付けていた。
 スビはさっさとこの男達とオーレンで別れたくて仕方なかった。別れて、そして……たらふく酒を飲んで何もかも忘れたかった。



◇◇◇



 イユロウ地方の中心都市、オーレン。
 都市全体を包囲する巨大な塀に、東西にそびえ立つ大門。アーチ状に架かる橋や民家まで、全ての建造物が石造りでできている一般的な地方都市だ。
 特徴的な点を挙げるとすれば、オーレンには周辺を取り囲む底深く幅の広い急流の川が存在しており、この自然と人知が重なった防壁を越えて市内入りすることは不可能に近く、開放されている橋を渡って門をくぐるしか中へ向かう方法はないというところか。

 そして今、ベルトリウス達はその橋を渡れないでいた。


「身元証明書がないと通れないよ。最近難民が押し寄せていてね、仕方ないから一時的に出入りを規制してるんだ。病気を持ってないかとか手配書に載っていないかとか、役人から身元聴取を受けて許可された者だけが証明書を貰える。すでに順番待ち状態だから、自分の聞き取りの番が回ってくるまでキャンプで待ってるといい」

 人の良さそうな門番はそう言って、点在する焚き火を取り囲む各集団を指差した。
 一家と別れて何日も歩き詰めで無事オーレンに辿り着いたかと思えば、橋の前でこのていたらく。人がごった返す中、通行止めの理由を聞いてこいと一人向かわされたスビに対して、門番は何十回と繰り返してきたであろう説明を嫌な顔ひとつせずしてくれた。

「どれくらい待ちます?」
「う~ん、今日はもう夜だから終了してるし……この人数だと君達が見てもらえるのは二日、いや三日後かな? 一人一人確認してるし、許可が降りないとごねる者もいるからね。役人もこのところ忙しいから、あんまり進みは良くないよ」
「そっすか……」

 スビは礼を言って門番から離れた。後ろで待っていたベルトリウスとマギソンに聞いたことをそのまま伝えると、ベルトリウスは目を細め、責めるような視線をスビに向けた。

「お前らのせいじゃん。難民押し寄せてんの」
「ちょっ、ここでそいこと言わないでくださいっ! つーか、難民作るまで暴れた奴らのせいだし……オレとは別の組だから関係ねぇし……っ」
「んなの連帯責任だろうが。……はぁ~ぁ、二、三日かぁ。暇だなぁ……」

 ベルトリウスはぼやくと天を仰いだ。何故こんな橋の周りで人混みが発生しているのか理解した。暮らしを追われた者が最後に頼るのは領主だ。オーレンはイユロウの中心都市だし、周辺の難民はこぞってやって来るのだろう。
 厄介なのは証明書を発行するための聴取だった。スビは下手を打たない限り難なく通るだろうが、この肌色や所々脱毛症のように髪が抜け落ちた頭では自分は病気持ちだと思われて弾かれるだろう。それにマギソンの方も怪しい。十年も前に軽い接点があっただけのロスでさえ怪しんだのだ。より領主に近い存在の役人が見れば、ひと目で身元が割れる可能性がある。
 ベルトリウスは自分とマギソンが何とか忍び込める場所を夜間に探してみるかと頭を悩ませていた。その時――。


「もし、そこの方」


 雑踏の中から、澄んだ穏やかな声質の男の呼び声が聞こえた。
 大声だったわけでもないのに、よくこんなざわついた場所で響いたものだと思いつつ、ベルトリウスは呼び掛けを無視した。すると、もう一度……。

「そこの方、包帯を巻いているあなた」

 ほとんど名指しされたような呼び掛けを受けて、ベルトリウスはキョロキョロと辺りを見回した。他の人間には聞こえていないのか、急に何かを探す素振りをみせたベルトリウスを同行者の二人は怪訝けげんそうに見つめていた。

「こっち、こっち」

 しっかりと後方から聞こえた声を頼りに振り返ると、ボロを纏って焚き火を囲んでいる集団の中に一人、小綺麗な格好の若い男が弦楽器を抱えて座っていた。
 鳥の羽が挿し込まれたつばの長い大帽子に、装飾の付いた服、深い茶褐色の高価そうな楽器……誰が見ても吟遊詩人ぎんゆうしじんと思える風体だった。

「よろしければ一曲聴いていかれませんか? お連れの方も是非」
「……まぁ、そうですね。折角なので……」

 侵入の案も浮かばず、気分転換に丁度良いかと男の誘いに乗ったベルトリウスは渋るマギソンを引っ張って、集団の輪に交じり地べたに腰を下ろした。おおかた、目の前の詩人は時期悪くオーレンを訪れて規制に引っ掛かった一人だろう。ボロの集団に派手な格好の男と武装した三人の組み合わせはやや浮いて見えたが、夜のとばりが下りてしまっているせいか誰も気にする素振りはなかった。
 詩人は持っていた楽器……リュートの弦を撫でるように演奏を始めた。ポロンとひとたびかなでられれば、優しい音色が辺りを包み込み、焚き火さえ喜びに踊った。
 ベルトリウスは隣の中年女性が抱いている赤子に目をやった。細い腕の中で、すぴすぴと寝息を立てながら気持ち良さそうに眠っている。隣から注がれる視線に気付いた女性は、疲労の溜まった顔で柔らかく微笑みかけてきた。

「さっきまで泣いていたのよ。長い間おぶわれ続けて疲れたんでしょうね。歌を聴いたら眠ってくれて……素晴らしい詩人さんだわ」

 女性は赤子の頬に付いたすすをぬぐって言った。ベルトリウスは”そうですか”と、小さく笑みを返した。ずっと遠い所から子を抱えてオーレンまで逃げて来たのだろう。間にマギソンを挟んで左隣に座っていたスビは、何とも言えなさそうな顔で火の揺らめきを見つめていた。

 一曲が終わると、一呼吸置いてまた違う曲が流れ始める。詩人の奏でる音色は、まどろみを誘う不思議な響きを持っていた。睡眠を必要としなくなった体だというのに聴き続けていると頭がぼーっとしてくる。久しく忘れていた、眠りに落ちるあの瞬間に似ている……。
 本当に眠れるわけではないだろうが、ベルトリウスはゆっくりとまぶたを閉じた。


 ……。


 ……。


 ……この輪に入ってからどれほどの時間が経過しただろう。ひたすらに歌のない演奏が流れ続け、気が付けば騒がしかったはずの橋の前でたむろう人々の声はピタリと鳴り止んでいた。
 ベルトリウスは閉じていた目を開けた。離れた所に立っている門番以外に人の姿はない。忽然こつぜんと消えた人影に、あんなに美しいと感じていたリュートの音が急に不穏に思えてきた。
 焚き火を囲んだ人間を見ると、こちらも皆一様に眠っている。難民は勿論、スビや見知らぬ人間の前で気を抜くような男ではないマギソンでさえも。

 ベルトリウスは正面に座る詩人に意識を集中させた。この静まり返った世界の中で、自分と詩人だけが目を開けていた。

「眠れないのかな?」
「……」
「正確には眠らない、だね。魔物は……」
「あんた何者だ」

 詩人は演奏していた手を止め、ずっと伏せ気味だった顔を上げた。
 今まで隠れていた目元が露わになる。初めは何の変哲もない黒目だったものが、次第に青、緑、白と、何色にも変化してゆく。

 ベルトリウスは手のひらに相当の力を注いだ強力な毒を生成した。決して対面する詩人からは見えないような角度と自然な動作で行ったというのに、彼はこちらの行動を把握しているかのように唇でを描くと、表情を覆い隠していた大帽子を脱いだ。
 
「初めまして、同胞よ。私はスニカ。管理者スニカ」

 どうぞよろしく。

 そう語った男の柔らかな白髪から覗く金の瞳に囚われ、ベルトリウスは浮き足立つ気持ちを抑えられなかった。
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