そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

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第二章 帰郷

35.考えなし共

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「お前とはここでお別れだ」

 宿を出る前にベルトリウスから淡々と告げられたスビは、瞳に戸惑いの色を浮かべて視線を返した。

 連日の疲れでつい先程叩き起こされるまで熟睡していたスビは、起き抜けの頭で理解が及んでいなかった。
 今まであれをしろ、これをしろといいように利用していたくせに、突然解放すると宣言されれば逆に不安になるというものだ。それでなくてもテリーの一件がある……また言葉遊びをするみたいに、”解放はするが口止めのために直後に殺す。約束通り、解放はしてやっただろう?”、なんてことをやってのけるかも分からない。
 スビはベルトリウスの真意を確かめようと、恐る恐る探りを入れるように尋ねた。

「あの、オレはお役に立てませんでしたか……?」
「いや、よくやってくれた。だから解放してやるんだろう?」
「それは……」
「何だ、もっと嬉しそうにしろよ。別れた後に闇討ちでもされると思ってんなら安心しろ。別に他意はない。この後どこで何しようがお前の勝手だ」
「はぁ……そう、すか……」

 心を読まれたかのようにこちらの気掛かりについて言及され、スビは短い返事しか出てこなかった。安心しろと言われても、目の前の男を信用できるわけがない。丘の一軒家で出会った時はこんな危なっかしい二人組とは早くおさらばしたいと願っていたはずなのに、いざ別れが迫ると、先行きの見えない現状でこの選択が正しいのか疑問を抱いてしまう。

 スビは故郷の村で暮らす母と、勘当かんどうに近い喧嘩別れをしていた。仲間と飲みの席で盛り上がり、その場の気分で参加を決意した反乱……あれに関わったのが間違いだった。死別した父の分まで女手一つで育ててくれた母は、家を出る自分を今まで見たことのない顔で叱った。
 帰りづらい……いや、帰れない。
 結局スビを反乱に誘った地元の仲間達は暴動中に死んでしまったし、今や自分も人殺し。今更どの面下げて会おうというのだ……。


 悶々と考えながら無意識にベルトリウスの背中を追って歩いていると、気付けば宿の出入口に立っていた。夜は閑散としていた前の通りだが、陽があるうちは老若男女が練り歩き、にぎわっている。

「じゃ、短い付き合いだったな」
「えっ、あっ、待ってください!」

 軽く挙げた手をヒラヒラと振って人混みに消えようとするベルトリウスに、スビは思わず身を乗り出して制止を求めた。

「あのっ、この後ってどうするんですかっ?」
「それ聞いてどうすんの?」

 間髪入れず突き返されたスビは焦った。自分でも何故こんなことを口走っているのだと思ってはいるが、その勢いは止められなかった。

「た、例えば、昨日情報を集めてた相手を襲う……とか……っ」

 慌てたせいか、少し大きな声が出てしまった。”襲う”という物騒な単語に、通りを行き交う人の中にはチラリとこちらに目を向ける者もいた。

 この二人が領主を襲おうとしているのは会話の端々から分かることだった。
 スビの予想だと、彼らは”刺客”だ。ベルトリウスはカイキョウ出身ではないと言っていたので、よその国か……はたまた何かしらの理由でユージャムル本土から派遣された者か……。
 他国に乗っ取られた国の、その国唯一の出身者である領主というのは何かと目障りなのだろう。スビはしがない農民であったが、無学な人間にしては知恵が回った。仲間内でも自分が一番賢く立ち回れるという自負があった。
 もし彼らに付いていって使える人間だと証明できれば、故郷の村など当てにせずとも、そこそこ安定した暮らしを望めるのではないか?

 そんな淡い期待を抱き、スビは浅はかにも賭けに出た。ベルトリウスは目を細めて含み笑いをするだけだったが、マギソンは窪んだ目をかっ開いて射殺さんばかりの殺気をスビに放った。
 スビは喉から悲鳴が上がるのを何とか耐え、ベルトリウスの返答を待った。彼はこちらに向かって歩みを進めると立ち塞がる壁のように対面し、変わった色の瞳を愉快そうに歪めて囁いた。

「俺らが何するのか気になる?」
「えっ……と……」
「実は俺は人間の格好をした魔物なんだよ。マギソンは昔死んだって言われてた赤黒卿の弟」
「……え?」
「お前もどこかの鎮圧で見てきたんだろう? あの顔……そっくりだと思わねぇか?」

 耳を撫でるように紡がれた言葉は、どれもスビの想像をくつがえすものだった。
 魔物? 弟? 何の話をしているんだ?
 だって目の前にいるベルトリウスは肌の色こそ痛々しいが普通の人間に見えるし、領主の顔なんて戦場じゃ焦ってまともに覚えられな―― 。

「これで信じるか?」

 ベルトリウスはスビの顔の前に、少し内側に曲げた両の手のひらを差し出した。それは水を手で掬う際の形だった。何もない手の中を”見てろ”と命じるベルトリウスに従い、混乱するまま赤黒い手のひらを見ていると……手のひらからは何の前触れもなくプクプクと茶色い液体が湧き上がり、一瞬で溢れ落ちそうなくらいに溜まった。

 スビは血の気が引くのを感じた。
 この茶色い液体は丘の一軒家で反乱軍の仲間を溶かしたアレだ。たった一滴でじわじわと人を骨まで溶かしたアレ、手品なんかじゃない、この男は本当に魔物なんだ―― !

 共にいて不利益こそあれど、得なことは何一つない。
 付いて行こう? なんて馬鹿なことを考えたんだ。思えばマギソンも魔術を使用していた。貴族以外で魔術を扱える人間など聞いたことがない。だとすれば、彼は本当にダストンガルズ家の……。

 スビはジリジリと後退した。

「今から殺りに行くから、巻き込まれたくなかったら遠くへ所に逃げた方がいいぜ。共犯だと思われたくないならな。よく働いてくれた餞別に教えておいてやる」
「お、オレ……っ!」
達者たっしゃでな」

 いつの間にか手の中の液体を消していたベルトリウスは静かに背を向けると、マギソンと共に通りを流れる人の波に乗って消えてしまった。
 一人残されたスビは、二人の姿が見えなくなった後も宿の前で立ちすくんでいた。



◇◇◇



 屋敷がある高台へと向かう二人は、しばし無言のまま昨夜通った裏路地を進んでいた。
 しかし、石段を上る最中に急に立ち止まったマギソンに、ベルトリウスも足を止めて振り返った。

「さっき、あいつに何て言った」

 鋭い目をしたマギソンが、上段にいるベルトリウスを見上げながら言った。彼はスビの存在を危惧きぐしていた。ベルトリウスが何やら脅していたのは知っているが、このまま放っておいて律儀に大人しくしている男だとも限らない。
 今すぐにでも戻って口封じをしなければと、焦りから憤りを募らせるマギソンをよそに、ベルトリウスは普段の軽い調子で答えた。

「俺とお前の正体を教えた」
「……それは何か意味があってのことか?」

 握り締めた拳を震わせるマギソンを前に、流石に不味いと感じたベルトリウスは暴力を振るわれる前に釈明に走った。

「流石の俺でもあんな秘密を気分でバラすわけねぇよ! 勿論、意味があってのことだぜ!」
「……そうか。もし意味のない行動だったら今ここでお前を焼くところだった」

 冷たく吐き捨てるマギソンは本気の目をしていた。
 ベルトリウスは空笑そらわらいでその場をやり過ごすと、歩みを再開させながら襲撃について話を切り出した。

「お前が寝てる間に色々考えてみたんだが、いまいちいい作戦が浮かばなくてな。マギソンさえよければ、正面から殴り込みに行こうと思う」
「……それは正気じゃねぇ。というか、ただの馬鹿だ。死ぬだけだぞ」
「俺はお前以外に魔術師を相手にしたことがねぇからなぁ。お前を当てにしようにも付き合いが短いから、何ができて何ができないのかも知らねぇ……つまり作戦の練りようがねぇ。今回はこの身一つで勝負よ」
「……そうだな。真面目に話したことはなかったか……」

 マギソンはまた立ち止まって人がいないか辺りを確認すると、渋い顔付きで語り始めた。

「魔術師ってのはその家系ごとに得意な術の系統がある。”火”、”水”、”土”、”風”の四大元素と個人の素質の噛み合いだが、ほとんどの術師は全ての元素の初歩的な術を展開可能と考えていいだろう。魔術を用いた戦闘では大抵、そいつの得意な元素で攻撃してくる。俺の家系は火を扱うのに長けてるから、初手では炎を使った攻撃を仕掛けてくるはずだ」
「まぁ、赤黒卿って呼ばれてるくらいだしな……。この体、ある程度の熱なら耐えられるって昨日試してみて分かったから多分大丈夫だよ」
「優れた魔術師を甘く見るな。焚き火なんかのちっぽけな火とは比べ物にならない……熱も威力も、戦場で活躍するぐらい大規模なものなんだぞ」
「はぁ……じゃあ、お前はどんな術を使えんの?」

 ”それを言おうとしてたんじゃねぇの?”と言われ、マギソンは若干話がそれていたことに気が付いた。

「俺は……俺が使える術はそれほど多くない。魔物を殺す聖魔術と、習いたての子供が使うような風魔術……あとは短時間の肉体強化くらいだ。お前はどれも見たことがあるだろう。他の元素とは縁がなくてな……だから……この程度じゃ、やり合いになったら確実に負ける」
「んー……まぁ、あれだな。お前は”持ってる人間”の目線で物を見すぎだな。すぐ同じ世界に立って戦おうとする。昔っから相手というか、舞台が悪かったんだよ。合いの相性ってのはさ、それこそ噛み合いじゃん? お前は魔物に強くて、魔物は魔術師に強い。で、他の魔術師はお前に強い……みたいな? 三すくみってやつ? お前が兄貴達に勝てねぇってんなら、代わりの奴が相手をしてやればいい。この場合は俺だな。わざわざ相性の悪い敵を選んで、勝負に出る必要なんてないだろう?」
「おまっ……だから、魔術師を甘く見るなっ! どうしてお前なんかが熟練の術師に勝てると思って……っ、……はぁ……お前と話してると疲れるな……」
「へへっ。いや、言いたいことは分かるよ。楽観視するな、だろ? でも、どうにもならないことをうだうだと考えてても話は進まないぜ? 案外出たとこ勝負の方が上手くいくって時もある」

 完全にベルトリウスの調子に乗せられたマギソンは、良くない流れに徐々に肩の力が抜けていった。だが、不思議と悪い感覚ではない。ベルトリウスが口にすると、何事も上手くいくような気がする。これはまさしく楽観視だ。戦場では命取りの原因となるが、自分にはもっと必要な感性なのかもしれない。

 しかし、そうは思っても屋敷への足取りが軽くなることはない。
 マギソンはからからと笑うベルトリウスとは対象的に、今後披露するであろう己の失態に顔を曇らせた。

「屋敷に行ったら俺は……使い物にならねぇ……と、思う……」
「わーかってるよ、そんくらい。お前はただ思い残すことがないように、溜まりに溜まった胸の内を身内に向かってブチまけりゃあいいんだ。攻撃されたら俺が代わりに受け止めてやるからさ」
「……」
「大勢に囲まれちまった時は、クリーパーを呼んで地獄へ逃げればいいしな。いつでも引き上げてもらえるように昨日のうちからエカノダ様に頼んどいたから、あいつの名前を念じるだけですぐに迎えに来てくれるはずだぜ」

 そう言って、ベルトリウスはマギソンの顔の前に自身の人差し指を突き立てて見せた。爪の先には小さな青色のコバエがじっとしがみ付いていた。
 コバエは止まっていた指先を飛んで離れると、マギソンの肩に止まって鎧の上をちょこちょこと渡り歩き、不健康そうな色の肌が少しだけ覗く首元に移動した。

「お前、直接肌に触れてないとダメなのか? 服とか鎧にすり潰されねぇように気ぃ付けろよ」

 人の言葉を理解しているのか、コバエはベルトリウスの注意に答えるように、首の上を歩いて小さな円を描いた。

「小さすぎて、いるのかいないのか分からねぇな。戦ってるうちに巻き込まれて死んでそうだ……」
「今まで俺にくっ付いてて生きてんだから大丈夫だろ。あ、そういやエカノダ様が通信してる時に、お前に”頑張れ”って言っとけ、って言ってたぜ。あれでも結構心配してるみたいだな」
「ふっ……”言っとけ”って言っとけって……それに何だその雑な言伝ことづては……伝える価値もないだろう……」

 マギソンは呆れた口調で返しつつも、少しだけ口元を緩ませていた。
 
「俺が死んだら……ってか、もう負けるって確信した時点でクリーパー呼んどけ。俺は死んでも生き返るが、お前は一回で終わりだからな。構わず一人で逃げろ」
「……言われなくともそうする」

 何のためらいもなく告げるベルトリウスに、マギソンの表情はまたいつものように暗くなった。ここに来て仲間意識が芽生えてしまったせいか、シュンと俯いた様子は大人にさとされる子供のようであった。

 二人は目前の戦いに備えて申し訳程度の意見交換を行いながら、互いに足を進めた。
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