そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

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第三章 口腹の幸福

47.嫌な男 ― 1

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 酔いは隙を生む。故に、ケランダットは生家を出てから飲酒を控えていた。一時は溺れかけたこともあったが、ちょうどその頃にラトミスと出会い、依存の対象はそちらへ移った。

 この世界で信じられるのは自分だけ。

 同じ団に所属する傭兵との付き合いすら避けていた彼は、露営ろえいの際も一人外れた場所で休息を取っていた。
 だから、こうして誰かと飲食の席を共にして居心地が良いと感じたことなど……もしかしたらダストンガルズ家の次男として真面目に生きていた頃でさえ、ありえなかったことかもしれない。

 ケランダットは空っぽだった心が満たされてゆく感覚の裏で、どうしようもない焦燥感にさいなまれていた。
 人は大きな喜びを手にすると、それを失うことを極度に恐れるからである。



◇◇◇



「さて、腹は膨れて、金には余裕がある。次に向かうべき所は……風呂屋だな」
「馬鹿かお前は」

 オマケ事件から立ち直ったベルトリウスは、店先で品のない提案を披露した。
 ”風呂屋”……つまりは、女性と店である。

 コバエを指先に止まらせ、これからしばらく通信を止めておくようベルトリウスが命じていたので、一体何を始める気かと思えば……ケランダットは上司の目を気にしてまで向かわねばならぬ場所かと、呆れて溜息も出なかった。

 全く乗り気でないケランダットに対し、ベルトリウスは首を傾げて言った。

「だって、時間はあるだろ? 最近働いてばっかだったしさ、ちょっとくらい休んだってバチは当たんねぇぜ」
「休むなら宿屋だろう。そんなくだらない場所へ寄る暇はないはずだ」
「ははっ、真面目だなぁ……少しは息抜きしようぜ? 金はあんだからお前も好みの女を指名すればいい。ってか、お前の好みってどんななの? 判断比重は顔か? それとも体?」
「お前は……低俗だな。俺は女は嫌いなんだ」
「はーん、そりゃあ……男が好きってこと?」

 ベルトリウスの一言に、ケランダットは”ビキッ”と音が聞こえるくらいのくっきりとした青筋を額に浮かべ、とつとして重い拳を褐色の頬へと打ち込んだ。
 防衛態勢を取る間もなかったベルトリウスは勢いよく地面に倒れ、強く打ち付けた側頭部を手でさすりながら、驚いた様子でケランダットを見上げた。

 だが、上げた顔にさらに追撃が入る。
 ベルトリウスは伸びてきた大きな手に前髪をぐしゃりと掴まれ、後頭部を何度も地に打ち付けられた。黙って猛撃に耐えていると、揺れていた視界がある時点でいきなり鎮まり、暴力の嵐から解放されたことを知らせてくれた。

「俺はカマ野郎がこの世で一番嫌いなんだっ!!!! 次にそんなくだらねぇこと言ってみろっ、頭の天辺からぶった斬って真っ二つに裂いてから焼き殺してやるからなっ!!??」
「お、おぅ……悪かったよ……お前、薬やめてからキレやすくなってないか……?」

 ベルトリウスは今一度、倒れた状態からケランダットの顔色をうかがった。ただでさえ縦に大きい男が、自身の真上に立ち酷く息巻く姿は、暴行死を覚悟するほどの迫力だった。

 店前で堂々と騒いだせいか、近場の人々はチラチラとこちらを盗み見ていた。
 他の都市であれば、牢に入るか街を出て行くかを迫られる危なっかしいやり取りではあったものの、そこは流石喧騒の街というべきか……二人の様子を見物していた人間の中に、警備兵を呼びに行こうとする者はいなかった。


 ケランダットの爆発力もすごいが、突然痛め付けられのに平然と口を開くベルトリウスもある意味すごかった。
 もっとすごいのは、これだけやられて尚、風呂屋を諦めていないことだ。

「でもほら、その雰囲気じゃ経験が……ないんだろ? 恥じることはないさ、誰だって最初はゼロだ。今日こそ記念すべき初体験を決めようじゃねぇか」

 手を借りることなく自力で起き上がったベルトリウスは、ケランダットを刺激しないよう物理的に距離を取りながら無謀な説得にかかった。
 そんなりないベルトリウスに苛立ちをつのらせながら、ケランダットは息を整えてから、けんもほろろに答えた。

「別に恥じてねぇ。俺は宿に向かう。勝手に一人で行ってろ」
「なぁ、いいじゃねぇか。友達ってこうやっての話をし合うもんだぜ? ただの遊びだ、一回くらい付き合ってみろよ」

 そう言われ、ケランダットは血管が浮き出るほどに握り締めていた力こぶしを僅かに緩めた。

 ”友達”

 この何気なしに放たれた言葉は、人生で一度も友人を得たことのないケランダットに対して凄まじい威力を発揮した。むずがゆくなるような生温かい何かが全身を巡り、沸き立つ怒りを秒速で塗り替えていく……。

 明らかに様子が変わったケランダットを見て、”これは行ける”と確信したベルトリウスが最後のひと押しにかかった。

「それに、さっきの賭けの罰がまだだろ? 罰はズバリ、”一発ヤる”、だ! なぁ、俺はもっとお前と仲良くなりてぇんだ。一緒に遊んでこうぜ?」

 狙って発言しているのかと思うくらいに急所を突く言葉の連続に、ケランダットは渋々頷いた。



◇◇◇



 第五市場。正門から一番遠いガガラの一角。
 俗に言う、”夜店通り”である。

 店頭では客引きの男女が、前方を過ぎゆく人々に見境なく声を掛けている。
 ベルトリウスは怖い顔をしているケランダットに、”困った時は女に身をゆだねろ”とささやかな助言を与えると、比較的大きな建物を選んで入店した。

「いらっしゃい! 湯浴みだけなら八イズ、はイイ子が付いてたったの十二イズだよ!」
「女付きで二人」
「あいどうもー! でもごめんなさいねー、今ちょうど空いてる子が二人だけなんでねー、指名は無理なんですよー。ご理解くださいねー」
「別に気にしない。美人の方をこいつに当ててくれ」
「あいよっ! ―― お二人様ごらいてーん!」

 受付の男が奥の部屋に向かって声を張り上げる。
 先払いの料金を支払っていると、廊下の奥から白い無地の薄布ワンピースを着た二人の若い女が歩いてきた。女らはそれぞれベルトリウスとケランダットの横に付き、そっと腕を取ると、己の体を密着させて個室へと案内をした。



 人間時代にこの手の施設によく通っていたベルトリウスと違い、やはり夜店はケランダットにとって気の休まらぬ場所だった。
 部屋中に点々と配置された蝋燭ろうそくは、うっすらと光る橙の明かりで色気ある空間を演出している。隅っこの方にはベッド、中央には大人の男でもすっぽりと入りそうな湯が張った大型の桶が置かれていた。

 貼り付いて取れなくなっていた鉄仮面は、自尊心を守るのによく役立ってくれた。
 部屋の入口で固まっていると、手を引いていた切れ目の女がするりと離れ、柔らかそうな尻を揺らしながら桶の前に移動した。

「ねぇ、そんな所で突っ立ってないで、こっちに来て服を脱いでくださいな。アタシを見つめたい気持ちも分かるけど、そんなの体を洗った後に好きなだけ見せてあげるから」

 女はフッと微笑み、細く白い手で桶の湯をひと掬いし、自身の胸元に落としてケランダットを誘った。
 ほの暗い部屋の中で、体の線を強調させた女のなんと妖艶ようえんなことか……。


 しかし……ケランダットは一向に動こうとはしなかった。
 女は一瞬笑みを崩したが、またすぐに表情を繕って彼の元へ寄っていった。

「脱がないの? それとも……脱がせてほしいの? うふふっ、いいわよ……おにいさん背が高いから、こっちの方も期待できそう……」

 そう言ってケランダットの胸に添えた手を徐々に下に這わせてゆくと、着込まれた防具の留め具を一つ一つ外していった。
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