彼女の方が魅力的ですものね

ヰ島シマ

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10.裏切りの味 ― 3

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 ミフェルナから解放されたセルヴェンは、いつの間にか皿で埋め尽くされていた卓上たくじょうを見て少々驚きながらも、『さぁ、いただこう』と各自に飲食を促した。

 そうして、ぎくしゃくとした空気の中で始まった会食は、しばらくの間、誰も発言を行わない静寂せいじゃくの時間が流れた。

 三人の黙々と咀嚼そしゃくする音が、下階の客のにぎわいに掻き消される。
 そんな気まずいひとときをどうにかしようと初めに動いたのは、意外にもセルヴェンであった。

 彼は深く思案してから、伏し目がちに食事を取るイリファスカに向かって話し掛けた。

「最近の……領地の様子はどうだ?」
「最近、ですか……? そうですね……今は夏の作物の出来を注視しております。全体的に見れば収穫量は平年と変わらずですが、お手紙でもお知らせいたしました通り、ガンカン地区の一部の耕地の土壌状態が変化してきています。主に麦を育てている地域ですが、このままでは別の種を植えねばなりません」
「それでいいじゃないか。今度の収穫が終われば耕地主に言って作物を変更させろ」
「それが、そちらの耕地主はご高齢の男性なのですが、若い頃から育て上げてきた土壌に絶対的な自信をお持ちのようで……去年から何度も作物の変更を提案しているのですが、『土壌は次の月には回復するはずだ』の一点張りで……」

 イリファスカはパッと思い付いた悩み事を挙げた。
 侯爵であるセルヴェンが自領の内情をまったく知らずにいるわけにもいかないので、イリファスカは緊急の用事がなくとも毎月彼に便りを送り、その月ごとの領地の大まかな様子を伝えていた。
 それに対しての返事が届くことはあったりなかったりだが……さらりと話に乗ってくる辺り、一応目を通してはいるみたいだ。

 セルヴェンはイリファスカからの話を聞いて、間を置くことなく答えた。

「令を出して無理矢理にでも従わせればいい。領主の指示ならば断りもできんだろう」
「反感を買うやり方はいけません。わずかな疑念が後々の蜂起ほうきに繋がるのです。多くの農民を率いる耕地主なのですから、ここは穏便に済ませませんと……」
「指示に従わない耕地主が悪い」

 吐き捨てるように言ったセルヴェンに、イリファスカもカッと怒りが沸いた。

「……その方も、先祖代々受け継いだ土地に心血しんけつを注いで向き合っておられるのです。セルヴェン様にとっての“研究”と同じですわ。己の中の譲れない部分というのが、ご老体にとっての“耕地”なのです。簡単に処理してよいことではございません」
「立派な考えだが……そんな人間……そんな耕地はどうせ他にもあるのだろう? 一軒一軒に時間をかけていては切りがない。処理が遅いと他に悩みを抱える領民達からの不満の声が高まり、それこそ蜂起に繋がる。時には非情な判断も必要だ」
「……貴重なご意見ありがとうございます。領地に戻ったら役人達と話し合ってみます」

 夫婦の会話というより公人こうじんの討議会に近い内容に、ミフェルナはほほをヒクつかせながら『ちょっと失礼しますねぇ~~……!』と、イリファスカに一言断りを入れてからセルヴェンの腕を引っ張って、またもテーブルの下へと隠れた。


 今度の“緊急会議”は、並べられた料理を食べ進めながら待った。
 ラ・ビンカの料理は色鮮やかな食材を使って調理されていて、目にも楽しいものだったが、イリファスカには肝心の味が分からなかった。

 土壌問題に関してのセルヴェンの言い分にも一理いちりある。
 多くの仕事を抱える公人が一つの物事に掛かりっきりになり、他をなおざりにしていては未処理の問題が積み上がってゆくだけだ。

 それにしたって……言い方というものがあるだろう?
 現地の視察に参加もしたことのないセルヴェンが、大きな顔で語っていい話題ではない。

 イリファスカは『現場を知らない人間が憶測おくそくで物を言うな』と、喉までせり上がってきた言葉を何とか呑み込んで抑えた。
 話を始めてしまったのは自分なのだからと、自分で打ち止めにすることにした。


 切り分けた鳥肉のソテーを口に入れ、モソモソと静かに咀嚼を繰り返す。
 分からない。何も分からない。
 料理の味も、今の自分の気持ちも表情も、そして眼前の二人が考えていることも……。


 ―― ふと、右手首にかゆみを覚えたイリファスカは、ナイフとフォークを置いて軽く該当部分を指で掻いた。

 その瞬間、刺すような痛みが手首に走った。
 何か突起物とっきぶつを引っ掻いたような感覚に見舞われたイリファスカは、恐る恐る服の袖をめくって確認した。
 そこには真っ赤に浮き出た発疹ほっしんが、おびをなして肘に向かって伸び広がっていた。

 イリファスカはドキリとした。
 もしかして、これは感染症なのか?
 であれば、こんなところで会食をしている場合ではない。

 セルヴェンとミフェルナは今が一番大事な時期なのだ。新薬の完成祝賀会で主役が休むわけにはいかない。しかもそれが、自分が二人に移した病気が原因となると……考えたくもない醜聞しゅうぶんだった――。


 イリファスカが焦れば焦るほど、発疹はジクジクと熱を帯びてかゆみを誘発した。
 テーブルの影に隠れている二人は、彼女の異変に気付かなかった。

 イリファスカはまだ手を付けていない料理がたくさん残っているにも限らず、この後の展開も考えずに勢いに任せて立ち上がってしまった。

「わっ、わたし急ぎの用を思い出しましたっ!! せっかくのお食事なのにすみませんっ、領地に戻らせていただきますっ!!」
「えっ、奥様っ―― !?」
「あっ、おいっ、君っ―― !!」

 血相を変えて駆け出したイリファスカに、二人は驚いたように声を張り上げた。


 貸し切りの上階から駆け足で階段を降りてくる身なりの良い美女の姿に、下階の客は『何だ何だ?』と好奇の目を向けた。

 カジィーリアやその他の使用人達も、慌てて主人の後を追いかけてくる……。
 イリファスカは涙を浮かべて、御者が待つ侯爵家の家紋かもん入りの馬車へと駆け込んだ。
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