彼女の方が魅力的ですものね

ヰ島シマ

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12.捨てる神あれば拾う神あり

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 王都を発ってから、すでに三日――。

 街道をゆく揺れる車内では、宿屋から買い取った掛け布団を何枚か重ねて作った布の山に、赤い顔のイリファスカがもたれ掛かって、荒い呼吸を繰り返していた……。

「お嬢様、ご気分の方は……?」
「……最悪よ……自分から屋敷に帰りたいと願ってしまうほどに、最悪……ごめんねカズ? 昨日は取り乱しちゃって……今も……迷惑かけてるわね……」

 昨夜から熱に悩まされ始めたイリファスカの力ない笑みに、カジィーリアは胸を痛めながら柔らかく微笑み返した。

「迷惑だなんて思ったことはございませんよ。お嬢様がご無事であれば、それでよいのです。もう一、二枚、頭の下にタオルを挟みましましょうか?」
「ううん……大丈夫……この高さがちょうどいいわ……」
「そうですか……お水もたっぷり用意してございますからね。我慢なさらずに、何でもお申し付けくださいね」
「うん……ごめんね、本当にありがとう……」

 カジィーリアは向かい側の席から身を乗り出し、汗ばむ主人の額を優しくハンカチで軽く押さえるようにしてき取った。


 行きの道と違い、帰路は何の問題なく進み続けた。
 このまま順調に走れば、明日の昼過ぎには屋敷に到着する。

 イリファスカは先触れとして騎士を一名隊列から抜けさせ、事前に侯爵家お抱えの医師の元にまでことづてに向かわせていた。
 これで、帰宅してすぐに診察をしてもらえるはずだ。

 イリファスカはカジィーリアから水筒を受け取り、一口水を飲んでまた返した。
 そして先日の王都での己の滑稽こっけい醜態しゅうたいを思い出して、自嘲気味に笑って言った。

「カズも見たでしょう、あのミフェルナって子……正義感が強くて、真っ直ぐで、自分の生き方に誇りを持っていて……私とは正反対な人だわ……旦那様が惹かれるのもよく分かる……」
「お嬢様、こんな時に暗いお話はよしください……! それに……それを言うならっ、お嬢様だって全部当てはまっておりますよっ!? お嬢様は完璧ですっ!! 優しくて聡明でっ、あなた様を超えられる女性など現れはしませんっ!」
「ふふっ……そうかしら……?」

 カジィーリアの身内贔屓びいきがおかしくって、イリファスカは思わず顔を伏せた。

 こんな卑屈ひくつで根暗な人間……ミフェルナと比べるのもおこがましい。
 あのセルヴェンの笑顔が全てを物語っているのだ。
 自分には見せることのなかった彼の表情が……声が……全身から溢れ出る幸せそうな雰囲気全てが、セルヴェンとミフェルナの関係を祝福していた――。

「もっと嫌な人だったら、こっちもやりようはあったのにね……あんなにいい子じゃ、どうしようもないじゃない……」
「……いい子じゃないですよ。いい子だったら、奥様の気持ちを無視して夫婦の食事に割り込んだりしませんわっ……!」
「……私ね、旦那様が笑うところ、初めて見たの……七年も夫婦を続けていて、初めてよ……? なのにあの子は、日常的に見て慣れている風だった……軽口を叩き合って、小突き合って……腹が立つほどお似合いだわ。ふふっ……私のことなんて、早く追い出してくれればいいのにね……そしたらみんな、幸せに……ふふっ……ふっ、ふふっ―― !」

 イリファスカの笑い声に、カジィーリアは身をこわばらせた。

 また座席から彼女の元まで身を乗り出そうとしたその時……カジィーリアはイリファスカのあごの先から、ポタポタとしずくがこぼれ落ちていることに気が付いた――。

「もう嫌よカズ……早く屋敷を去りたい……!! どうしてよその女と笑い合っている男の仕事を私が全てこなさければいけないのっ……!? こんな病気になっちゃって、また社交場で変な嫌味を言われるに違いないわっ……!! 私の気も知らずにセルヴェン様は勝手なことをおっしゃるしっ、今度の視察でどうせまた領民に不平不満を口うるさく訴えられるしっ……もうどうしたらいいか分からないっ……!! どうして私ばかりが耐えなければならないのっ……!? もう嫌よっ、嫌っ……イヤイヤイヤっ……何もかもがイヤっ……!! もう限界よっ……どこか遠くへ行きたいっ……! 早く役目から逃げ出したいっ……!」

 イリファスカは掛け布団の山に顔を突っ伏せ……くぐもった声で悲嘆におぼれた。


 カジィーリアは……自身も大粒の涙を頬に伝わせながら、イリファスカの頭を穏やかな手付きで何度も撫でた。
 美しい金糸きんしの髪が、熱により出た汗でぐっしょりと濡れていたが……不快な感触など気にも留めず、カジィーリアはイリファスカにだけ聞こえる声で、優しく囁いた。

「領地に戻ったらすぐにお嬢様だけの私兵しへいを雇いましょうね……口が堅く、腕の立つ者です……カジィーリア自らが街へ行って探して参りますわ。わたくしと……お嬢様と……その私兵の三人で……機を見て行方をくらますのです。残された者がどうなろうと知ったものですか……」

 カジィーリアの言い聞かせるような話し方に、イリファスカはこくこくと静かに頷いた――。


 カジィーリアには分かっていた。
 何だかんだと言って、結局イリファスカは自ら領地を去ろうとはしないだろう。

 自ら役目を放棄するほどの勇気がない……イリファスカはそういう女性だ。
 主体性がなく、上の命令にただ従うだけの、美しい生き人形のような子……生家せいかにいた時からそうだった。あの伯爵夫婦が自分達の都合に合わせて動く子供となるよう育て上げた。

 可哀想なお嬢様イリファスカ……カジィーリアは頭を撫でていないもう片方の手でギュッと力こぶしを作り、主人を馬鹿にする全ての人間への憎悪をこめて強く握り締めた――。





 ……結局、無事屋敷へ到着した頃にはイリファスカの気の沈みは回復していた。

 しかし、体の方は絶不調だった。
 無理がたたって常に微熱状態が続くようになり、発疹は肩口にまで伸びてしまった。
 それでもイリファスカは着いて早々に執務に向き合った。色んな地区から送られてきた様々な種類の承認願書が、作業机に積み上がっていたからだ。

 万が一誰かに病気を移してしまうことを恐れて、仕事はできるだけ自室で進めた。
 時々、最寄り街から役人達が公務の報告がてら見舞いにやって来たが、彼らは痛みをこらえて平然と振る舞うイリファスカを見て、『話に聞いたよりも元気そうだ』と勘違いして帰っていってしまった。

 カジィーリアや家令はイリファスカにせ我慢をやめるよう呼び掛けたのだが、彼女は『仕事に穴を空けてはいけないから』と、聞いてくれなかった。



 帰宅から数日が経過したある晩……イリファスカが眠りについたのを確認すると、カジィーリアはひそかに話をつけておいた懇意の御者の老爺ろうやに馬車を動かしてもらい、最寄り街まで乗せていってもらった。

 この老爺はスラータルといって、カジィーリアの貴重な雑談仲間だった。
 屋敷に食料や雑品を届けに街から上がって来る配達人で、若い頃は博徒ばくととして生活しながら、馴染みの酒場で傭兵ようへい斡旋あっせんを行っていたとして、その武勇伝ぶゆうでんでカジィーリアを大変驚かせた人物である。

 斡旋事業はとっくの昔に引退しているものの、未だに人脈には自信があると言うスラータルに、カジィーリアは事情を説明した。
 彼は元より、屋敷の関係者では数少ないイリファスカに好感を持つ側の人間だったので、カジィーリアから聞かされた“悲劇”に大いに涙して、快く協力を承諾しょうだくしてくれた。


 ―― 翌朝。

 カジィーリアは明け方過ぎに帰ってくると、一睡もしないまま定刻通りにイリファスカの寝室を訪れ、普段と変わらぬ調子で身支度の手伝いをしながら、嬉々として成果を報告した。

「良さげな人間と契約してきましたよ! 傭兵上がりですが、礼儀正しく真面目そうな青年です! 少々抜けていそうな印象も受けましたが……裏がある者よりかはいいでしょう!」
「カズ……本当に探しにいったの……? あの時は気持ちが弱っていたけれど……もう大丈夫よ。私兵は必要ないわ」
「お嬢様……わたくし、もう限界ですの。お嬢様だけが不幸に苦しめられる姿を、指をくわえて眺めているだけだなんて……そろそろ怒りで血管が焼き切れてしまいそうです。これは”備え”と思ってください。本当に出ていくかどうかはその時に判断するとして、いつでも姿を消せるように準備だけはしておきませんと」

 目の下に青黒いクマを作ったカジィーリアがニッコリと微笑んで言うと、イリファスカは困ったように小さく笑い返すしかなかった。
 ここまで尽くしてくれるカジィーリアの思いを無下むげにしたくなかった……と言えば聞こえはいいが、本音では、いつでも逃げ出せる環境が整いつつあることに安堵していた。

 傭兵は粗暴な印象しかないが、カジィーリアが自分のために選んでくれた男なのだから、きっと悪い人間ではないのだろう。

「ありがとうね、カズ。頼れるのはあなただけだわ……」
「フフンッ! その一言でカジィーリアは報われますっ! お嬢様のためならば、たとえ火の中、水の中! 今度迎える私兵にも、お嬢様至上主義の精神を叩き込んでやりましょう!」
「ふふっ……あまり強く言い過ぎると、逆に私のことを嫌いになっちゃうかも……」
「ウムゥ……それは困りますねぇ……では、ほどほどにしておきましょう!」
「それがいいわ」

 いつぞやのカジィーリアの返事の仕方を真似して言うと、二人は声を揃えて穏やかに笑い合った――。



◇◇◇



 街の酒場では、まだ日も暮れないうちから酔いを決め込む客がチラホラと湧いていた。

 その中の一人……白髪頭の老人スラータルは、明日の配達前に“英気”を養おうと、昼間っから酒をいただきに来ていた。

「―― んでねぇ、奥様は侯爵夫人という高位のご身分にもかかわらず、領民の声を聞こうとよぉ~~く遠い地区の視察にも出掛けられているワケさ! んなのにねぇ~、どいつもこいつも変な噂に踊らされちまってねぇ……グスッ……! オレっちが街で、奥様の悪口をくっちゃべってたバアさんどもをしかりつけてやったって話をしたらだよぉ? したら奥様ぁ~、『あなたの立場が悪くなったら嫌だから、これからは無視して通りすぎた方がいい』……ってさ! ヴゥッ……! イイ人すぎるだるぉ~~!? こぉ~んなよぉ~……ヒック……! たかだが配達人のジジイすらも気にかけてくれるお人がよぉ~……ヒック……! 美人だからって、何か欠点があるはずだって言われて……オトモのカズちゃんも、屋敷で嫌がらせ受けてるらしくてさぁ……ヒック……!」

 “ウィィ~~……”と、如何にも酔っ払いが口にしそうな唸り声を上げて、スラータルはさらにコップを傾げて酒をあおった。
 はテーブルの端に置いてあったピッチャーを手に取り、空いたスラータルのコップに酒を足してくれた。

「おっとととぉ~っ……悪いねにいちゃん! ……―― ブァァァ~~~~ッ! たくよぉ~……しょうもねぇ~時代になっちまったモンだよぉ、まったくぅ……! ……んだからねぇ、アンタぁ~……奥様をよろしく頼むよぉ~? 本当に美人で……お優しくて……おかわいそうな方なんだよぉ……グスンッ……!」
「……それは、お会いするのが楽しみですね」

 スラータルが泣きながらゴクゴクと豪快に喉を鳴らす様を見つめながら、向かい席の青年は興味深そうに目を細めて言った。
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