彼女の方が魅力的ですものね

ヰ島シマ

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35.子は親を選べないのに ― 3

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「私だってずっとあなたの子供が欲しかった……子供さえいれば周囲から祝福されて、つらい現実の支えになってくれると思ったから……! でも今はいなくてよかったと心から感じているわっ……親の不都合を解消するために生まれてきた子供なんて、幸せな人生を送れるはずがないもの!!」
「どう感じるかなんて子供自身にしか分からないことだ!! 不自由を味わわせないように手をかけて育ててやればいい!! 君は何事も深刻に捉えすぎだ!!」
「あなたは短慮が過ぎるわ!! どうせ手をかけて育てるのも私の役目なのでしょう!? 少しくらいはご自身も家庭の問題に取り組んでくださいよっ!!」
「俺は元より瘴気被害が落ち着けば、一線をしりぞいて自領へ戻ってくるつもりだったんだ!! 自らの手で子供を教育したかった!! 今まで蓄えた持てる知識の全てを我が子に受け継がせれば、必ず優れた跡継ぎとなる!! 決して無計画でいたわけではないっ……今はまだ子育てに取り組む時期ではなかったんだ!!」
「そういうところが勝手だと言っているのですっ!! 知りませんよあなたの頭の中にしかない計画なんてっ……!! 私は初夜以降触れてくれない方と、今更夜を共にする気はありませんっ……! 昔恥を忍んでこちらからお誘いした際、『品のない服を着てみっともない』と言われ、私がどれだけ情けない思いをしたか……!」


 真っ赤な顔で悲痛な胸の内を吐露とろするイリファスカの勢いに気圧され、セルヴェンは少々たじろいだ。

 新婚時代、薄着で迫ってきたイリファスカを拒否したことは、セルヴェンの記憶の中にもちゃんと残っていた。

「あれはっ……! あの時はだなっ……俺はもうすでに年がいっていて、なのに君は若くて美人だし……その……誘ってくる姿が何というか……慣れているような感じがして……結婚前に他に男がいたんじゃないかと、つい邪推じゃすいしてだな……」
「……つまり身持ちの悪い女だと思われていたと?」

 イリファスカは呆れたようにフッと笑みを見せてから、悲しげに大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。


 『品のない服だな……みっともない』―― ……そう言い放った当時の光景が、セルヴェンの脳内でよみがえる。

 硬直したイリファスカが無言で寝室を出ていったきり帰ってこなかったので、突き放しすぎたかと直後は反省したが……翌朝の彼女が何事もなかったかのように振る舞っていたので、本人も一晩寝て水に流してくれたものと思い込んでいた。

 まさか七年経った現在も引き合いに出してくるほど、大きな傷となっていたとは……。

 セルヴェンは自責の念に押し潰されそうな自らの心を守るために、いけないと分かっていても、イリファスカへの責任転嫁をやめられなかった。

「当然、君はそんな女性ではないとすぐに理解した……! だがっ……そういう“不満”があるならっ、もっと前から伝えてほしかったんだっ……!! 俺は鈍いからっ、面と向かって話してくれないと分からなかった……!!」
「本当に私とのやり取りを覚えていらっしゃらないのですねっ……!! 昔から私が研究の進み具合を尋ねたり、公務の相談を持ち掛けたりしたら、あなたは決まって顔をしかめましたよねっ……? 『君に専門職の話が理解できるのか?』……『疲れているから後にしてくれ』……じゃあ後でお話ししたら、『その程度で泣き言を漏らしていては侯爵夫人は務まらない』と冷たく吐き捨ててっ……! 機嫌を損ねないように努力していたのにっ、今度は『もっと自己主張をしろ』……!? いい加減にしてよっ……!!」
「……っ」

 ……思い返せば、そんな風に突き放したこともあったかもしれない。
 先程の新婚時代の夜の件についてもそうだが、結婚したての頃は今ほどイリファスカの存在が自分の中で膨らんでおらず、細かなやり取りなど気にしたことがなかった。

 “言われてみれば”……という、己がしでかしたあやまちが多すぎる。
 だがイリファスカは一つ一つ記憶し、律儀に従っていたのだ。


 次々と襲い来る過去の失態に、セルヴェンはこたえるものがあり押し黙ってしまったが……感情が冷めやらないイリファスカは、積年の思いを容赦なくぶつけ続けた。

「そもそも私を愛しているとおっしゃいますが……本当に愛があるのであれば、七年間も妻を放っておきませんよね……?」
「……悪かった……」
「嫁ぎ先の領地で孤立した私がどんな扱いを受けてきたか……どんな気持ちで毎日戦ってきたか……考えてくださったことはございますかっ……? 貴婦人達からは仕事を押し付けられた都合のいい女扱いされてっ、役人達からは無知な小娘扱いっ! 領民達からは体の良い不満のはけ口にされてっ……侍女のカジィーリアが慰めてくれたからどうにか耐えられていたんですっ……! なのにあなたは私の大切な人の名前も忘れてるしっ、私を愛していると言いながら私自身に興味なんてないしっ……!!」
「悪かったって……!! 興味はあるっ……!! あるからこれだけ色々気を回してるんだろうがっ……!!」
「気を回してくれたことなんてありましたかっ……!? 興味があるのなら好物くらい聞いてきませんかっ……!? 趣味とかっ、実家での暮らしぶりとかっ……!! あなたは私について何も知ろうとしないのに、一度だって贈り物をしてくれたこともないのに、それで私のどこを愛しているとおっしゃるのですかっ……!? 顔―― ? 体―― ? それとも反発しないところ―― !? これだけ意にそぐわない態度を取れば、そろそろ私のことをうとましく思ってきたのではありませんかっ!?」
「―― だから悪かったと言ってるだろう!! どうすれば気が済むんだっ!? 永遠に頭を下げ続けなければならないのか俺は!?」
「謝られたら必ず許さないといけないの!? 私は怒ることもできないの!? 七年も我慢を続けてきたのにっ、ここでも引き下がって我慢しろと言うの!?」
「だからっ……チッ……! なんでそう噛み付いてくるんだよっ……!!」
「あなただってなんでそうすぐ人の意見を抑え込もうとするのよ!! 一度くらい私の気持ちを素直に受け止めてよ!!」


 ……イリファスカは全てのよどみを出し切ったかのように、鼻をすすりながら指で涙をぬぐった。

 セルヴェンの苦々しい表情はぼやけてよく見えなかったが、それでもしゃくりを上げながら、切実な願いを最後に投げ掛けた。

「……私にはっ……あなたの研究内容やっ、開発に伴う悩みを理解することはできませんっ……! しかしっ……ミフェルナ様であれば可能ですっ……! 彼女は優秀でっ、正義感が強くてっ、将来有望でっ……研究所で見たお二人のやり取りはっ、私にはとてもまぶしく映りましたっ……! い、嫌味などではなくっ……気軽に触れ合って話し合うお姿がっ、本当にお似合いでっ……うっ……―― うらやましかった!! 私があなたの笑顔を引き出したかったけれどっ……私はあなたを不快にさせてばかりだしっ……同時に自分も傷付いてっ……病気になって、みんなに迷惑かけちゃうしっ……! もっ、もう無理なのっ……!! みじめさに耐えられないっ……!! お願いだからっ、こんなつらい役目から解放してくださいっ……!!」


 幼子のように声を震わせて泣きじゃくるイリファスカを見て……セルヴェンは


 妻への罪悪感はある。
 己の不甲斐なさも身に染みている。


 死を願うこともあったというイリファスカを離婚という形で解放してやるのが、夫としてできる唯一の詫びなのかもしれないが……。

 ―― 初めて目の当たりにするイリファスカの人間らしい姿。
 ―― 人形のように美しく、静かに佇む彼女の弱くもろい一面。

 完璧な淑女として生きてきた妻の不完全で生々なまなましい表情に、セルヴェンは苛立ちとは違う不思議なもどかしさを感じていた。


 セルヴェンは両者を隔てていたテーブルを避けてイリファスカへと歩み寄ると、彼女を優しく抱き締めて、そして穏やかな声で囁き掛けた。

「俺の気持ちは変わらない……離婚はしない……今はお互いに頭を冷やそう……」
「……っ、わっ、私の本心をっ……興奮から出た強がりだとでもっ……!?」
「近いうちに国から報奨ほうしょうが出る……金品は君の好きなように使ってくれ……今まで苦労を掛けた分、たくさん贅沢ぜいたくをさせてやる……俺は感情という抽象ちゅうしょう的なものを言葉で表現するのが苦手で、君のどこに惹かれたとかも上手く説明はできないが……それでも本当に愛しているんだ……こんなにも心を繋ぎ止めたいと思うのはイリファスカだけだ……どれだけ身勝手な人間と思われようと、俺の元から去ることは絶対に許さない……」

 体を離したセルヴェンは大きな両手でイリファスカの頬を包み込み、親指で涙の跡をぬぐってやると、テーブルの上の書類を掴み取って寝室を後にした。


「どうして……あなたの許しが必要なのよっ……」

 一人残されたイリファスカはそう呟いて、結局要求を呑んでくれなかったセルヴェンへの怒りや悔しさから、ソファーに倒れ込んでうつ伏せの状態で生地をガリガリと爪で引っ掻き回した。





 午前中に繰り広げられた口論は尾を引き、イリファスカもセルヴェンも昼食を取る気になれないと各自使用人に伝えて、それぞれ部屋に引きこもっていた。

 厨房の料理人達が『夕方からでも食事を取れるように、早めに準備しておこうか』などと話し合って、献立を変えて下ごしらえに取り掛かろうとした頃だ。

 やけに廊下で使用人達がざわついていると思ったら、一人が厨房に顔を出し、『追加で二人分の食事を用意しておいてくれ!』と叫んだ。


 そうして、急な来客の知らせはイリファスカとセルヴェンの元にも届けられた。

 到着したのは前侯爵夫妻……セルヴェンの両親だった。

 義理の娘の不調を聞き付けた二人が、折悪おりあしく見舞いに訪れたのだ。
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