40 / 48
39.これで最後だから ― 1
しおりを挟む
上階へ向かったイリファスカは、一度客間に顔を出してから義両親と二言三言話をして、自身の寝室へと戻った。
セルヴェンと相性が悪いために待機を命じておいたカジィーリアは、グリスダインと何やら話し込んでいたようだった。
開扉の音を耳にするなり、彼女は居ても立っても居られない様子で、部屋の端っこから駆け寄ってきた。
「大事ありませんでしたか……!? 何か失礼なことを言われては……!?」
「……カズ……ごめん……私ね……」
イリファスカは応接間での出来事を正直に話した。
セルヴェンの卑劣なやり口と、様々な不安に駆られた自分が同調してしまったこと……そして、キラジャの来訪についても。
「キ……キラジャ様がこちらにっ……!?」
想定外の人物の名が飛び出すと、カジィーリアは両手で口元を覆い隠し、落ち着きなく視線をさまよわせた。
―― カジィーリア……姓を“カグラー”と言う。
彼女はカグラー子爵家の末の令嬢であり、とある過ちが原因で、入学して間もなく貴族学校から退学処分を受けた、言わば生家の厄介者であった。
親に修道院送りにされかけていたところで、折よく屋敷を訪問したのがルーゼンバナス伯爵夫妻だった。
彼らは『生涯を娘に捧げてくれる侍女候補を探していた』と言って、酔狂にも訳あり人間相手に好条件を持ち掛けた。
カジィーリアの両親である子爵夫妻は『そちらで問題を起こしても責任が取れないので』と申し出を断っていたが、最終的には世間体を選び、頭を下げて娘の身柄を引き渡した。
修道院行きが嫌だったカジィーリアにとっても、二人からの誘いはまさに渡りに船だった。
主人となるイリファスカは、当時から目下の人間にも礼節をもって接する出来た子供であったし、本来貴族学校で学ぶはずだった学習については、キラジャが教育係を付けてくれたので補完が間に合った。
失墜した身には勿体ないくらいの整った環境に、カジィーリアは日々伯爵夫妻への感謝を口にしていた。
狂気の矛先が、自分に向かってくるまでは――。
「今まで領地をまたいでやって来たことなんかなかったのにっ……ヴェラハーグ様ったら余計なことをっ……!!」
「……流石に、侯爵家の敷地内で酷いことはしてこないと思うけど……」
弱々しく呟くイリファスカを物言いたげに見つめると、あるじは焦ったように身を縮こませた。
……カジィーリアも、イリファスカの閉塞感に追われた末の行動には、一定の理解を示していた。
七年前、キラジャは娘が侯爵家に嫁ぐと、途端に幼少期から延々と続けてきた束縛を解いてしまった。
まるで興味の失せた玩具を放り投げる幼児のように、一切の未練なく接触を断ち、それまで敷いていた異常な監視体制も崩したのだ。
昔はカジィーリアのように、嫁入り時にイリファスカに付いて出てきた伯爵家側の使用人達が何人もいた。
しかし彼ら、彼女らは身内の不幸などを理由に次々と退職を申し出て、屋敷を去っていってしまった。
イリファスカに残された味方はあっという間にカジィーリアだけとなり、正当な理由があったとはいえ、立て続けに退職者が出た事実に侯爵家側の使用人達は『若奥様に仕えると身内が死ぬぞ』と、馬鹿な陰口を叩いて笑っていた。
この退職者達がキラジャの手駒であったことは、言わずもがなであるが……イリファスカもカジィーリアも、キラジャの妙な配下の動かし方に意図が読めず、困惑していた。
たとえ向こうの気まぐれによるものだとしても、自由を得られたのであれば喜ぶべきだろうが、キラジャは気まぐれを起こす人間ではない。
しばらくは“何か仕掛けてくるはずだ”と気を張り続けた二人であったが、いつまで経ってもキラジャが動きを見せることはなく、それどころか体裁を気にして手紙を送った際には、『頻繁に連絡を寄越してくるな』と何故だか突き放されるようになり……。
そうして伯爵家の人間とまともなやり取りをするのは、大きな会合や催し物で直接顔を合わせた時のみとなっていた。
ただ、一方のしがらみが緩まったところで、新たな家庭での問題は山積みであった。
侯爵代理としてやっていくための、不足分の知識を毎日寝る間も惜しんで詰め込み……支えてくれる義両親に感謝しながらも、跡継ぎの催促を受けて神経をすり減らし……。
いくら忘れ難きつらい過去と言えど、目先の困難に集中する時間が長くなると、心の奥底へと追いやられてかすんでゆく。
二人はいつしか伯爵家ではなく、侯爵家からもたらされる問題に感情を揺さぶられるようになっていた。
今回は意外な方向からキラジャが絡んできたので、カジィーリアもつい取り乱しかけたが……長子だからと徹底した“教育”を施されたイリファスカは、なおのこと突然で恐ろしかったのだろう。
仕方ない、理解は示せる。
理解は示せるが、カジィーリアももう限界を迎えていた――。
「大丈夫よ……ただお見舞いに来るだけだから……振られる話にちゃんと返事をしていれば大丈夫……私兵の雇用さえ内緒にしておけば、他にやましいことはしていないのだから……今まで何も起こらなかったんだから、今回だってきっと……」
黙り込むカジィーリアが怖かったのか、イリファスカはもごもごと口を動かして言い訳を並べた。
カジィーリアは哀れな主人を見つめながら、お互いに交わした少し前のやり取りを振り返った。
あの日……新薬の完成を知らされた朝の支度時……カジィーリアはとても嬉しかったのだ。
イリファスカが初めて己の誘いに乗り、一緒に新天地を目指してくれると答えてくれたから。
過去に何度か、その場の勢いで『公務を放棄して遊びに出掛けよう』と誘ってみたことがあった。
『逃げよう』ではなく、『遊ぼう』だ。小さな切っ掛けでよかったのだ。人並みの楽しみを味わえば、イリファスカもその気になってくれるのではないかと考えた。
しかし彼女は『勝手なことできないわよ』と言って、いつも笑いながら拒否をした。
それが初めて……最後に大きな病に苦しめられはしたが、初めて頷いてくれたのだ。
セルヴェンへの思いにも踏ん切りをつけたと言ってくれた。
これでようやく真の新たなる人生を歩み出せると思っていたのに、結局イリファスカは最後の最後で尻込みをしてしまった。
向こうに他者を振り回している自覚はないのだろうが、カジィーリアにはもう、主人を支える自信がなくなっていた……。
だから、今回ではっきりさせたかった。
イリファスカが誰の手を取るのかを。
自分か、セルヴェンか、伯爵家か――。
カジィーリアは最後の誘いを口にした。
セルヴェンと相性が悪いために待機を命じておいたカジィーリアは、グリスダインと何やら話し込んでいたようだった。
開扉の音を耳にするなり、彼女は居ても立っても居られない様子で、部屋の端っこから駆け寄ってきた。
「大事ありませんでしたか……!? 何か失礼なことを言われては……!?」
「……カズ……ごめん……私ね……」
イリファスカは応接間での出来事を正直に話した。
セルヴェンの卑劣なやり口と、様々な不安に駆られた自分が同調してしまったこと……そして、キラジャの来訪についても。
「キ……キラジャ様がこちらにっ……!?」
想定外の人物の名が飛び出すと、カジィーリアは両手で口元を覆い隠し、落ち着きなく視線をさまよわせた。
―― カジィーリア……姓を“カグラー”と言う。
彼女はカグラー子爵家の末の令嬢であり、とある過ちが原因で、入学して間もなく貴族学校から退学処分を受けた、言わば生家の厄介者であった。
親に修道院送りにされかけていたところで、折よく屋敷を訪問したのがルーゼンバナス伯爵夫妻だった。
彼らは『生涯を娘に捧げてくれる侍女候補を探していた』と言って、酔狂にも訳あり人間相手に好条件を持ち掛けた。
カジィーリアの両親である子爵夫妻は『そちらで問題を起こしても責任が取れないので』と申し出を断っていたが、最終的には世間体を選び、頭を下げて娘の身柄を引き渡した。
修道院行きが嫌だったカジィーリアにとっても、二人からの誘いはまさに渡りに船だった。
主人となるイリファスカは、当時から目下の人間にも礼節をもって接する出来た子供であったし、本来貴族学校で学ぶはずだった学習については、キラジャが教育係を付けてくれたので補完が間に合った。
失墜した身には勿体ないくらいの整った環境に、カジィーリアは日々伯爵夫妻への感謝を口にしていた。
狂気の矛先が、自分に向かってくるまでは――。
「今まで領地をまたいでやって来たことなんかなかったのにっ……ヴェラハーグ様ったら余計なことをっ……!!」
「……流石に、侯爵家の敷地内で酷いことはしてこないと思うけど……」
弱々しく呟くイリファスカを物言いたげに見つめると、あるじは焦ったように身を縮こませた。
……カジィーリアも、イリファスカの閉塞感に追われた末の行動には、一定の理解を示していた。
七年前、キラジャは娘が侯爵家に嫁ぐと、途端に幼少期から延々と続けてきた束縛を解いてしまった。
まるで興味の失せた玩具を放り投げる幼児のように、一切の未練なく接触を断ち、それまで敷いていた異常な監視体制も崩したのだ。
昔はカジィーリアのように、嫁入り時にイリファスカに付いて出てきた伯爵家側の使用人達が何人もいた。
しかし彼ら、彼女らは身内の不幸などを理由に次々と退職を申し出て、屋敷を去っていってしまった。
イリファスカに残された味方はあっという間にカジィーリアだけとなり、正当な理由があったとはいえ、立て続けに退職者が出た事実に侯爵家側の使用人達は『若奥様に仕えると身内が死ぬぞ』と、馬鹿な陰口を叩いて笑っていた。
この退職者達がキラジャの手駒であったことは、言わずもがなであるが……イリファスカもカジィーリアも、キラジャの妙な配下の動かし方に意図が読めず、困惑していた。
たとえ向こうの気まぐれによるものだとしても、自由を得られたのであれば喜ぶべきだろうが、キラジャは気まぐれを起こす人間ではない。
しばらくは“何か仕掛けてくるはずだ”と気を張り続けた二人であったが、いつまで経ってもキラジャが動きを見せることはなく、それどころか体裁を気にして手紙を送った際には、『頻繁に連絡を寄越してくるな』と何故だか突き放されるようになり……。
そうして伯爵家の人間とまともなやり取りをするのは、大きな会合や催し物で直接顔を合わせた時のみとなっていた。
ただ、一方のしがらみが緩まったところで、新たな家庭での問題は山積みであった。
侯爵代理としてやっていくための、不足分の知識を毎日寝る間も惜しんで詰め込み……支えてくれる義両親に感謝しながらも、跡継ぎの催促を受けて神経をすり減らし……。
いくら忘れ難きつらい過去と言えど、目先の困難に集中する時間が長くなると、心の奥底へと追いやられてかすんでゆく。
二人はいつしか伯爵家ではなく、侯爵家からもたらされる問題に感情を揺さぶられるようになっていた。
今回は意外な方向からキラジャが絡んできたので、カジィーリアもつい取り乱しかけたが……長子だからと徹底した“教育”を施されたイリファスカは、なおのこと突然で恐ろしかったのだろう。
仕方ない、理解は示せる。
理解は示せるが、カジィーリアももう限界を迎えていた――。
「大丈夫よ……ただお見舞いに来るだけだから……振られる話にちゃんと返事をしていれば大丈夫……私兵の雇用さえ内緒にしておけば、他にやましいことはしていないのだから……今まで何も起こらなかったんだから、今回だってきっと……」
黙り込むカジィーリアが怖かったのか、イリファスカはもごもごと口を動かして言い訳を並べた。
カジィーリアは哀れな主人を見つめながら、お互いに交わした少し前のやり取りを振り返った。
あの日……新薬の完成を知らされた朝の支度時……カジィーリアはとても嬉しかったのだ。
イリファスカが初めて己の誘いに乗り、一緒に新天地を目指してくれると答えてくれたから。
過去に何度か、その場の勢いで『公務を放棄して遊びに出掛けよう』と誘ってみたことがあった。
『逃げよう』ではなく、『遊ぼう』だ。小さな切っ掛けでよかったのだ。人並みの楽しみを味わえば、イリファスカもその気になってくれるのではないかと考えた。
しかし彼女は『勝手なことできないわよ』と言って、いつも笑いながら拒否をした。
それが初めて……最後に大きな病に苦しめられはしたが、初めて頷いてくれたのだ。
セルヴェンへの思いにも踏ん切りをつけたと言ってくれた。
これでようやく真の新たなる人生を歩み出せると思っていたのに、結局イリファスカは最後の最後で尻込みをしてしまった。
向こうに他者を振り回している自覚はないのだろうが、カジィーリアにはもう、主人を支える自信がなくなっていた……。
だから、今回ではっきりさせたかった。
イリファスカが誰の手を取るのかを。
自分か、セルヴェンか、伯爵家か――。
カジィーリアは最後の誘いを口にした。
25
あなたにおすすめの小説
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?
木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。
彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。
公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。
しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。
だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。
二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。
彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。
※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる