世界と世界の狭間で

さうす

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第5話(過去編)

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 これは、僕がルシフと契約する前の話。


 真夜中、僕が屋根裏部屋……つまり先生の部屋を覗くと、先生はソファーに座って魔法書を読んでいた。

「どうした?眠れないのか?」

 先生はいつものように優しい声で僕に尋ねた。僕が頷くと、先生は僕を隣に呼び寄せた。

「どうせ眠れないのなら、少し俺の昔話を聞いてくれないか」

 先生は自分のことを話したがる人ではなかったから、少し不思議だった。
 僕の耳元で先生はこう囁いた。

「ちなみにこれはルシフも知らない話だ」

 ルシフも知らない、先生と僕だけの内緒話。
 僕は嬉しくて、先生に早く話してくれと急かした。すると、先生は困ったように笑った。

「ごめんな、ベル。これはそんなに楽しい話じゃないんだ。だけど、ベルには話しておきたい」

 なぜ先生が突然こんな話をしたのか、この時の僕にはわからなかった。


 先生の魔法の才能は天性のものだった。その上、先生はとても努力家で、幼い頃から魔法の修行に一生懸命励んでいた。
 魔法学校を首席で卒業し、魔法書を何冊も書き上げ、若くして大魔導師となった先生は、ユートピアの長閑な街で魔法屋を営む傍ら、人々の役に立つような新しい魔法を研究していた。

 この頃、魔法使いたちの国『ユートピア』の隣国として、『エデン』と呼ばれる国と『サタン』と呼ばれる魔族の国が存在した。
 先生には、エデンとサタンにそれぞれ大切な友人がいた。

 それは、エデンの騎士団長の青年と、サタン帝国の皇帝だった。

 エデンの民というのは、ユートピアの魔法使いと比べてしまうと上級魔法を使いこなす能力はそれほど高くなかったが、一つ特殊な力を持っていた。
 ーーそれが、魔族と契約を結び、自由に使役できる能力である。

 初め、エデンとサタンは友好関係にあった。
 貿易も盛んで、2つの国が協力すれば、大国ユートピアと対等に渡り合えるほどだった。
 ……だが、人間とはやはり愚かなもので、エデンの民には次第に欲が出始めた。サタン帝国の魔族たちに契約を押しつけ、権力を振るうようになったのだ。
 サタン帝国の魔族たちはエデンの民に搾取され、虐げられ、所有物のように扱われた。
 そして、このままエデンに支配され続けることを恐れた魔王……つまり、僕の父は、エデンに対して反乱を起こした。
その結果、エデンとサタンは大戦争をすることになった。

 先生の2人の友人は、憎み合う宿敵となってしまったのだ。

 ……結局、この戦争で、エデンは滅んでしまった。

 先生の友人だったエデンの青年の妻も、幼い息子を遺して死んでしまったという。

 戦争に勝利したサタン帝国はすぐに復興し、徐々に力を増していった。

 この頃からユートピア王国とサタン帝国はきちんとした交流を持つようになったのだが、ユートピアの魔法使いたちは、契約しなければ力を発揮できないサタンの魔族に対して差別的だった。

 それに腹を立てたサタン帝国は、今度はユートピア王国への侵攻を開始した。

 ユートピアはサタンに滅ぼされることを恐れ、1人の勇者と、大魔導師である先生に、魔王討伐を依頼した。
勇者と先生はサタン帝国に向けて旅立った。

 しかし、勇者の本当の目的は、魔王討伐などではなかった。
 勇者は先生にこう宣言した。

「俺の妻を殺した魔族どもを、皆殺しにしてやる」

 勇者は、かつてエデンの騎士団長だった青年だった。勇者は正義のためなんかではなく、自分の復讐のために、サタン帝国を潰すつもりだったのだ。

 そして、先生の目的は……勇者と魔王を止めることだった。


「昔は……勇者も、魔王も、良い奴だったんだ。2人とも、強くて優しい俺の自慢の友達だった。どうしてこんなことになってしまったんだろうなぁ……」

 先生は僕の頭を撫でて寂しそうに言った。


 先生はその時こう考えたそうだ。エデン対サタンという国同士の戦いまではさすがに止められなくても、勇者対魔王という友人同士の戦いなら止められるかもしれない、と。
 先生は勇者と魔王を説得して和解させようと必死で試みたそうだ。
 先生の力なら、2人を力ずくで止められたはずだ。でも、先生はそれをすることに抵抗があったらしい。
 2人が昔のような自慢の友達に戻ってくれることを望んでいたのだろう。あるいは、力ずくで止めることで大切な友人である彼らから憎まれるということを恐れたのかもしれない。

 だが、それがかえって最悪の結果を招いてしまった。

 勇者と魔王は激闘の末、相討ち。

 結局、先生は目的を果たせず、友人を2人とも死なせてしまったのだ。

 魔王が死に、サタン帝国は大混乱に陥った。物心つく前の幼い僕が魔王になったけど、そんな子供に帝国を率いる力があるはずもなく、サタン帝国は相次ぐ内乱で滅んでしまった。

 ユートピアは、滅びたエデンとサタンを支配下に置き、エデンの民と魔族の契約を禁じた。力を失ったエデンとサタンの民衆はみんなユートピア王国の捕虜や奴隷にされた。

 先生はサタン帝国の侵攻を止めたユートピアの英雄となったが、そんな状況に納得がいくわけがなく、それ以来エデンとサタンの民衆を解放するようにずっとユートピア国王に訴え続けていたのだという。

 民衆から見れば、先生は祖国を救い、かつ種族の違う弱者にも手を差し伸べる聖人だった。
 エデンの民、魔族、ユートピアの民衆、みんなから先生が支持されているのはそれが理由なのだと僕はそれを聞いて初めて知った。

 一方で先生は、勇者が遺した幼い息子と、魔王が遺した僕のことを探し出し、育てることにした。

 勇者が遺した息子……それがルシフだった。


 そんな話をひとしきりした後、先生は突然

「もう一つ、お前に伝えないといけないことがある」

と言い、僕に告げた。

 何の脈絡もない告白だった。

「俺が死んだら、俺の力を全てルシフに受け継いで貰うことにした」

 とにかく衝撃が全身を突き抜けた。
 先生が死んだら、なんて考えたこともなかったし、その力を一番弟子の僕ではなく二番弟子のルシフが手にすることが、すぐには受け入れられなかった。
 「どうして?」と尋ねたかったけれど、何となく怖くて、できなかった。先生もその理由を自分から打ち明けてはくれなかった。

 僕は何も言えずに、ただ先生を見つめて、次の言葉を待った。先生はそれを察したのか、僕に何らかの反応を求めることはせず、代わりに僕にこう頼んだ。

「ルシフには、俺の力は重たすぎるかもしれない。ルシフは強がって無理するところがあるからな。
 だから、ベル。ルシフが壊れてしまわないように、あいつのそばにいてやってくれ。
 俺の勝手な想いなんだが……せめてベルとルシフには、幸せになってほしい」

 僕はその口ぶりに何となく嫌な予感がした。
 どうして急にそんなことを言うのかと聞くと、先生は笑って「気まぐれだよ」と言った。

「ベル。今言ったこと、守ってくれるか?」

 先生に問われ、僕は頷いた。
 あとでよく考えれば、それはとんでもなく難しい言いつけだったのだが、その時の僕にとって先生の言うことは絶対だったから、頷く以外の選択肢はなかったのだ。

「ありがとう、ベル。約束だぞ」

 僕は先生と指切りをした。
 この約束の奥にどんな想いが込められているのかもわからずに。
 今思えば、先生はこの時点でもう、これから何が起こるのか悟っていたのかもしれない。


 三ヶ月後、先生はルシフに殺された。
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