世界と世界の狭間で

さうす

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第12話

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 僕の意識が戻ったとき、そこは暗い廃墟……ではなく、お化け屋敷の中だった。
 そして、すぐに目に飛び込んできたのは、ルシフが魔女を相手に必死で戦っている姿だった。
 僕は壁にもたれていた。
 身体に力が入らない。
 ルシフの体力がもう尽きてきている証だ。

「小僧。使い魔が目を覚ましたようじゃぞ」

 魔女がこっちを見て不気味な笑みを浮かべた。

 どういうことだ?

 なんで魔女は、僕をすぐに殺さなかった?

「どうして僕を殺さなかったのか、と思ったじゃろ?
 簡単なことじゃ。小僧の魔力を奪うためじゃよ。お主が死ぬと、小僧も死んでしまうからの」

 ルシフの魔力を、奪う……?

「なぜ魔力を奪う必要があるのか……気になるか?
 魔法が使えなければ、お主らは何の抵抗もできぬ。どんなに痛めつけられようと、辱められようと、何もできぬ。せっかく殺すなら、じわじわと苦しめて殺した方が面白いじゃろ?」

 相変わらず無茶苦茶だ、この魔女……。

 たしかに、ルシフの魔力が徐々に薄れている。恐らく、魔女に力を吸い取られているのだ。
 ルシフが魔法を使えなくなる前に、この魔女をどうにかしないと……。

「二人掛かりでかかってきてもいいぞ?遊ぶには人数が多い方が楽しいからの」

「だったら、遠慮なくお言葉に甘えさせてもらおう」

 ルシフが僕に向けて魔法を放った。
 同時に僕は魔女に向けて先端に苦無のついた鎖を放つ。
 苦無が燃え盛る炎を纏い、魔女の腕を斬りつけた。

「ほう、連携を強化したか。……面白い」

 魔女が僕に魔法陣を向けてきた。ルシフが僕の前に魔法陣を出現させる。魔法陣の光と光がぶつかり合った瞬間、僕は魔女めがけて大量のナイフを降らせた。
 魔女は魔法陣を引っ込めて後ろに飛び退いた。
 そこにルシフが雷を落とす。
 それが魔女の足を掠めた。
 魔女は気にも留めず、ルシフの方に氷をを落とした。
 僕が鎖でそれを叩き落とす。
 ルシフが魔法陣を僕の前に階段状に並べた。それを駆け上がっていくと、ルシフが僕の手元に銃を出現させた。
 僕は魔女を狙って銃を乱射した。
 魔女は素早くそれをかわす。
 僕はルシフの足に青い炎の玉を投げつけた。
 火を纏った足で、ルシフは魔女の顔を回し蹴りした。
 魔女が床に倒れたところに僕はいばらの蔓を伸ばして拘束しようとした。
 それを避け、魔女は高速で僕の方に迫ってきた。
 ルシフが僕の前にバリアを張った。
すると、魔女は有り得ないほどの瞬発力で、僕ではなくルシフに針を投げた。
 その針がルシフの肩に刺さった。
 ルシフは呻き声を上げてうずくまった。

「毒じゃよ。死なない程度のな」

 やられた……!

 僕がほんの一瞬、動揺したのがいけなかった。

 魔女はその一瞬の隙に、僕の腕に血の入った注射器を刺した。
 僕はすぐにそれを引き抜いたが、身体が反応して、また全身に痛みが走った。
 そのとき、魔女が僕の腕を掴んで投げ飛ばした。
 僕が叩きつけられた壁がガラガラと崩れた。

「使い魔風情が生意気なんじゃよ。魔法使いと同じ土俵に立てると思うなど」

 ビュンッと魔女の後ろから矢が飛んできた。
 ルシフが魔法で飛ばしたのだ。
 魔女はそれを素手で捕まえた。

「怒ったか?小僧」

「何にも知らねえクソババアが、ベルを馬鹿にするな」

 ルシフの殺気に、魔女はまるで動じない。
 魔女はにやりと笑い、手に持っていた矢をブスリと僕の腹に突き刺した。

「小僧。冷静さを欠いたな。こうなることが予想つかなかったのか?」

 魔女は笑いながら、僕の腹を抉るように矢を奥深く差し込んだ。

「うっ……!!ああぁっ……」

 痛い。めちゃくちゃ痛い。

「やめろ!!」

 ルシフが魔女に光魔法を放つ。
 魔女はそれを魔法陣で跳ね返して防御すると、その魔法陣から凄まじい雷を放った。
 それを防ぎきれずに食らったルシフはその場に倒れこんだ。

「お主、随分と愛されておるのう」

 魔女は僕に微笑を向けた。
 僕が魔女から逃れようとすると、魔女は僕の手に杭を打ち込んで拘束した。
 手からだらだらと血が流れていく。

「苦しいか?それとも怖いか?」

 挑発してくる魔女を僕は黙って睨みつけた。

「憎いか。良い目をしておるのう」

 魔女がパチンと指を鳴らすと、そこに大きな一本のボトルが現れた。

「霧にするのに使った聖水の余りじゃ」

 そう言って魔女はその栓を抜き、僕の頭を掴んで上に向けると、僕の口に瓶の飲み口を押し込んでドバドバと中身を流し込んできた。

「大丈夫。まだ殺しはせんよ」

 普通の水責めでも苦しいのに、聖水責めは異次元の苦痛だ。
 僕がもがいているのを魔女は楽しそうに見ている。
 また身体が痺れて、熱くなって、頭がぼーっとしてくる。
 僕が動けなくなったところで、魔女はボトルを投げ捨てた。

「さて、そろそろ小僧と遊ぶとするかの。お主はそこで、見ておるが良い」

 魔女は倒れているルシフへと近づいていった。

「お主が弱いせいで、お主の大事な使い魔はもう動くこともできぬ」

「この、クソババア……」

「世界一可愛い魔女様と呼べ」

 魔女は容赦なくルシフを蹴りつけ、ルシフの腕に小さな魔法陣を描いた。
 魔法陣から黒い植物の蔦が現れ、ルシフに絡みついていく。
 服の中に潜り込み、シュルシュルと巻きつき、あっという間にルシフの全身にギチギチと食い込んで、締め上げた。
 魔女が自分の指先にふっと息を吹きかけると、そこに火が灯った。魔女はその火を蔦の端に放った。
 火が蔦を伝わって広がり、ルシフの身体を焼いていく。
 ルシフが苦しげな声を漏らす。
 今すぐ助けに行きたいのに、僕の手を貫通した杭が床にめり込んだまま、ちっとも動かない。
 蔦が燃え尽きると、魔女はルシフの服を捲り、火傷で爛れたルシフの背中を晒した。そこに針を刺し、滲む血で魔法陣を描いていく。
 魔法陣が出来上がった瞬間、ルシフは電気ショックを受けたみたいに身体を震わせた。
 同時に、ルシフの身体を突き破るように、星屑のような光が一気に溢れ出した。
 先生の魔力だ。

「妾の魔力……ようやく戻ってきた」

 魔女は満足げに微笑んだ。

「気まぐれで作った息子……失敗作じゃった。正義感なんてくだらぬもので、妾に反抗しようとするとは……。殺して、妾が与えた魔力を返してもらおうと思ったが、死体をいくら切り裂いても、魔力は出てこんかった。小僧に譲っておったとはのう。小賢しい真似を……」

 この女、先生のことを、物みたいに……。
 怒りが湧いてくる。それなのに、戦えない。
 もどかしくてたまらない。

「これでもう、お主は師匠の魔力を使えぬ。僅かに残ったお主の魔力が尽きるのも、時間の問題じゃの」

 そうやってルシフを嘲り、足蹴にする。

「小僧の使い魔……お主には、此奴がこんな風に蹂躙されても絶対に泣かぬ理由がわかるか?」

 魔女が僕を見て言った。

「そういう風に育てられたからじゃ。弱みを見せればつけ込まれる。泣けばさらに痛い目に遭う。大人たちにそう刷り込まれてきたからじゃ。……哀れじゃろう?」

 ルシフの指が微かに震えたのを確認すると、魔女はルシフの耳元に囁いた。

「火傷が痛むか?冷やしてやろう」

 魔女は立ち上がり、ルシフの頭上に手をかざした。
 その手からバケツをひっくり返したみたいに、水がバシャバシャと流れ落ち、床を濡らしていく。
 ルシフは弱々しく咳き込んだ。

「痛み止めの薬も飲ませてやろうか?」

 魔女はポケットから錠剤の入った瓶を取り出し、一粒摘んで、ルシフの口の奥へと指を入れて突っ込んだ。ルシフは息を詰まらせて今にも吐きそうになっていた。

「早く飲め」

 魔女は水浸しになった床の上で、ルシフの頭を踏みつけた。
 ルシフは糸の切れた傀儡のように動かない。

 ルシフは、小さい頃もこんなことをされ続けていたのだろうか。
 お父さんに置いて行かれて、騎士団には怒鳴られて殴られて育ったルシフは、普通の優しさを知らない。こんなことをされても、一途に信じ続けていたのだろう。

 でも、この人はルシフを裏切った。
 そのせいで、ルシフは呪いを背負わされて、人々の憎しみを一身に浴びて、重くなっていく罪に独りで耐え続けなければならなくなった。ようやく手にした魔法屋という居場所さえも壊されて、自分を愛してくれた師匠を自分の手で殺めさせられた。

 ルシフはこの女のせいで、どれだけ傷ついてきたんだろう。

 魔女が動きを止めて、僕の方に視線を送った。憐れみ、蔑むようなその目を見た瞬間に、僕は気がついた。

 この女が面白がってるのは、ルシフじゃない。
 僕だ。
 目の前で契約者が甚振られているのに、何もできずにいる僕を嘲笑っているんだ。
 僕に潜む、先生を死から救えなかった後悔、契約者を守ろうとする魔族の本能、魔法屋としてのプライドと、ルシフへの想いを、ぐちゃぐちゃに掻き回して、絶望させることこそが、きっと、魔女の目的だ。
 ……そんなことのために?
 そんな下らないことの為に、先生やルシフを弄んで、利用したのか?

 ルシフが今まで犠牲にしてきたものに比べたら、僕の絶望なんて、ちっとも割に合わない。あまりに理不尽で不公平だ。

 熱くてどろどろした感情が込み上げて胸いっぱいに溢れてくる。

「……、ベル……」

 ルシフの唇が微かにそう動いた。

 もう俺を見ないでくれ。憎しみに呑まれちゃ駄目だ。引き返せなくなるぞ。俺は大丈夫だ。情けない話だが、俺はこういうことをされるのには慣れてる。だから、そんな辛そうにするんじゃねーよ。僕の嫌いなルシフが苦しんでていい気味だって、いつもみたいに思ってくれよ。

 ルシフの想いが濁流のように流れ込んできた。

 言いたいことはわかる。ルシフが恐れてることもわかる。

 でも無理だ。

 あんたを二度と独りにしないって、僕は誓ったんだから。

 その瞬間、女はルシフの長い黒髪を掴み、首をナイフで切りつけた。

 ルシフの白い肌に、真っ赤な血飛沫が舞った。雪に椿の花弁が散ったみたいで、綺麗だった。

 ごめん、ルシフ。
 もう僕は、限界かも。

 僕の中で、何かが崩れていく音がした。
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