世界と世界の狭間で

さうす

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第14話

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 僕はルシフに置いて行かれてしまったことがショックで、暫しの間、泣きそうになりながらただ立ち尽くしていた。
 そうすると、窓から一匹の黒い子猫が部屋の中へ入り込んできた。
 その子猫は右目だけが鮮やかな金色をしていた。

「追いかけた方がいいよ」

 猫が確かにそう喋った。
 幻聴かな、と思って猫を見つめると、猫はパッと人間に姿を変えた。
 それは、レヴィ・アルストロメリアだった。
 レヴィは黒ずくめの地味な服に身を包んでいた。金色の右目がよく映える。

「どうして片方だけカラコンしてるんですか?」

 僕は気になって思わず尋ねた。

「え?最初に訊くことそれ?……これ、カラコンじゃなくて義眼だよ。イリスに潰された右目、治さなかったんだ。これからはもっと誠実に生きようっていう戒めのために」

「そうなんですか……改心したんですね……」

「そんなことより、君、店主のことを今すぐ追いかけた方がいいよ。ユートピアは彼を処刑するつもりだよ」

「えっ……」

「ユートピアでは、父さんが死んで、イブ兄が新しい国王に即位した。イブ兄は国を良くしようと頑張ってくれてるけど、何でもイブ兄の思い通りに国を動かせる訳じゃない。
 国の偉い人たちは相変わらず邪魔な魔法使いを排除しようとするし、エデンやサタンの民衆への差別も簡単には消えない。
 境界に住んでいたって、魔法屋の存在がユートピアにとって脅威であることに変わりはないんだよ。
 王室やその側近たちは、王妃の独裁体制が終わって、イブ兄の民主政治に変わったこのタイミングで、合法的に魔法屋を消そうとしてるんだ」

「そんな……」

 そんなの冗談じゃない。
 そんな理由でルシフが処刑されるなんて。

「どうしてそれを、ユートピアの王子である貴方がわざわざ僕に伝えに来たんですか?」

「魔法屋には、借りがあるから……。魔法屋が戦ってくれたおかげで、魔法軍は無事に国に帰って、ユートピアの内乱を抑えることができた。それに、魔法屋が兄貴を救ってくれた。そのおかげで俺たち兄弟はまたユートピアで揃って食事をすることができた。その恩を返しに来たんだ」

 レヴィの左目に、嘘はないように見えた。

「今の君の立場じゃ境界から異世界に侵入するのは簡単じゃない。だから、彼が異世界に行っちゃう前に追った方がいいよ」

「追うって言っても境界軍相手にルシフを奪い返すにはどうすれば……」

 そのとき、僕は思い出した。
 ルシフがかつて、直接血を吸わなくても、つまりルシフと離れていても、僕の力を持続させられるように、と自分の血が入った小瓶を渡してくれていたことに。
 僕はその小瓶を棚からとってポケットに押し込んだ。
 そして、壁に立てかけられたルシフの杖を手にとった。

「さあ、行こう。境界軍はあっちだよ」

 僕はレヴィの後に続いて魔法屋を飛び出した。
 大通りまで走っていくと、戦車が遠くに走っているのが見えた。
 僕とレヴィは通りかかったタクシーに乗り込んだ。

「あの戦車を追いかけてください!」

 僕が言うと、

「えっ……、え?」

と、運転手が困惑した顔で僕らを見る。

 レヴィがポケットから武器召喚カードを取り出し、拳銃を召喚させた。

「聞こえなかった?早く追えって言ってるんだよ」

「は、はい!」

 タクシーの運転手はレヴィに拳銃を突きつけられたまま、猛スピードで戦車を追いかけていった。
 レヴィは僕に拳銃を渡すと、窓から身を乗り出し、魔法陣を描いた。
 大きな槍が現れ、先端が炎を纏う。
 レヴィはその槍を戦車に向かってぶん投げた。
 槍は戦車に刺さり、大爆発を起こした。
 戦車のスピードがガクンと緩む。

「早く!今のうちに!」

 レヴィに急かされ、僕はタクシーから飛び降りた。翼を広げ、戦車の元へと飛んでいく。
 戦車の中から銃を持った軍人が出てきた。
 軍人は僕に向かって次々と発砲した。
 僕はそれをかわしながら、スピードを上げて戦車へと迫っていく。
 軍人は戦車の中に戻り、また戦車で僕から逃げようとした。

「ルシフ!!」

 僕が叫ぶと、僕の手にはめられた銀色の指輪がピカリと光を放った。
 戦車の上へと降り立つと、僕はポケットから小瓶を取り出し、中に入ったルシフの血を飲み干した。
 そして、祈るように唱えた。

「我が主の仰せのままに」

 指輪から指先、腕、背中へと、ルシフの魔力が伝わっていった。背中の紋章が全身に広がっていく。
 力がみなぎってくる。
 僕は戦車への入口を強引にこじ開けようとした。
 すると、戦車の中から1人の少女が出てきた。
 癖毛のショートヘアが特徴的な、ユートピア魔法軍の軍服を着た少女だった。

「ベル先輩、久しぶりっすね」

「メガイラ……」

「悪いっすけど、ベル先輩に、ルシフ先輩は返さないっすよ」

 メガイラは杖を僕に向けた。

「《呪縛》!!」

 僕の首の周りに黒い輪が現れた。
 僕は咄嗟に首に手をやって、その首輪を引き剥がした。

「同じ手に二度は引っかかりませんよ」

「さすがっすね」

 メガイラの杖が鞭に変形していく。
 僕も苦無を手にして構えた。

「僕は、ルシフを力ずくでも奪い返してやります」

 だって、僕たちは、共に戦って、共に滅ぶことを誓い合っているんだから。
 追われたっていい。
 世界を敵に回したっていい。
 僕はルシフを手放したりはしない。

 メガイラが鞭を振るい、僕は苦無をメガイラに投げつけた。
 僕はふわりと後ろに飛び退き、すぐにナイフを降らせた。
 メガイラはそれを避け、もう一度鞭を構えた。
 そこに、ビュンッと一本の槍が飛んできた。
 レヴィが投げた槍だ。
 その槍はメガイラの手に刺さり、メガイラは戦車から転げ落ちた。
 レヴィは大声で叫んだ。

「彼女のことは俺に任せて!」

 彼はタクシーの屋根に乗って立っていた。

「おにーさん、レヴィ王子……っすよね?ユートピアの王子がベル先輩に味方するんすか?」

 地面に落っこちたメガイラが立ち上がりながら言う。

「面白いじゃないっすか……!」

 メガイラはレヴィに鞭を振るった。
 鞭はレヴィの左手に絡みついた。その鞭から棘が突き出し、レヴィの手にグサッと刺さった。

「……っ!!」

「さあ、どうするんすか?」

「そんなの、決まってるだろ」

 すると、レヴィはナイフを召喚し、鞭の絡みついた自分の左手を自分でバサリと斬り落とした……!

「なっ……おにーさん、イかれてるんすか!?」

 メガイラが一瞬怯んだ様子を見せる。
 しかし、レヴィの手が斬り離された左腕から血が噴き出すことはなく、すぐにキラキラとした光に包まれ、新しい左手が出現した。

「治癒魔法は俺の唯一の得意魔法だからね」

 レヴィの新たな左手には、炎を纏った槍が握られていた。

「喰らえっ!!」

 レヴィはメガイラの肩に槍を突き刺した。

「うっ……!!」

 メガイラはその場にぱたりと倒れた。
 レヴィはタクシーから戦車へと飛び移ってきた。

「あれを見て!」

 レヴィにそう言われ、振り返ると、戦車が向かっている先から、第三部隊の少女たちが向かってきていた。
 ルシフの身柄を引き取りに来たのだろう。

「早く魔法屋の店主を連れてここから逃げるんだ!できる限り遠くに!」

 僕は頷き、ルシフの魔力を借りてパワーを強化すると、戦車の入口を全力でこじ開けた。
 中にいる数人の軍人たちを皆蹴り飛ばして気絶させると、僕は奥にいるルシフに声をかけた。
 しかし、反応はない。
 見ると、ルシフは魔法で眠らされているようだった。

「ルシフ!」

 僕はルシフを思いっきりビンタした。
 ビクンッとしてルシフが目を開けた。

「なんで僕を置いていくんだよ!!ルシフのバカ!!」

 ルシフは目を見開いたまま僕を見つめていた。

「僕はあんたを独りにしないって言っただろ……あんたのそういうところが嫌いなんだよ……」

 気がつけば僕はルシフの前で泣いてしまっていた。

「あんたはすぐ僕を庇おうとするけど、僕の気持ちもちょっとは考えろバカ……。僕は、死んでもあんたと離れる気はないんだからな……」

「泣くなよ、ベル」

「あんたのせいだろ……」

「……ごめん」

 ルシフはそう呟くと、そっと僕を抱きしめた。

「ちょっと、魔法屋!そういうのは後にしてもらえる!?第三部隊が迫ってきてるんですけど!」

 レヴィの声に僕はハッと我に返った。

「早く2人で逃げな!俺が食い止められるだけ食い止めるから!」

「いいのか?」

と戦車の屋根に登りながらルシフが問うと、レヴィは

「これで借りは返したからね、魔法屋」

と言う。
 そして、不意に

「ベル」

とレヴィが僕の名前を呼んだ。

「俺たち……もっと違う身分で、もっと違う出会い方をしていたら、友達になれたかもしれないね」

 その言葉が彼なりの感謝と餞別の気持ちなのだと気がついた僕は

「……そうですね。きっと」

と答えた。

「ルシフ、行きましょう!」

 僕が言うと、ルシフは頷いて杖を握りしめた。その杖はホウキへと変身した。

「ベル、乗れ!」

 僕はルシフの後ろに飛び乗った。
 レヴィの捕縛をすり抜けた境界軍や第三部隊が僕らを追いかけてくる。

「くそ、まだ追いかけてきやがる!」

 ルシフはホウキの速度をさらに上げ、高く舞い上がった。
 僕はホウキから飛び降りた。
 ルシフはホウキを一瞬杖に戻して大きく振るった。
 紅い魔法陣が階段状に現れる。
 僕はその魔法陣を駆け上がりながら追手たちに向かって苦無を次々と放った。
 急所には命中しないように、ただし動けなくなるように確実に、そして素早く。
 追手たちが倒れていくのを横目に、僕は再びルシフの乗るホウキに飛び乗った。

「魔法屋!」

 叫ぶ少女の声がした。
 見下ろすと、一人の少女が立っていた。
 ツインテールをなびかせるその少女は、ユートピア魔法軍第三部隊のティシポネだった。

「行っちゃうの?」

「ああ」

 彼女は寂しそうにルシフを見つめた。

「もう会えない?」

「多分な」

「私……」

 ティシポネはルシフに何かを言おうとして、口を噤んだ。

「すまんな、ティシポネ。その想いには応えられない」

「分かってるわよ。
 ……気をつけて。必ず、生き延びてね」

 ティシポネが大声で言うと、ルシフは大きく頷いた。

「ありがとな」

 ホウキは速度を上げ、白い雲の中へと飛び込んでいった。


「これからどうします?」

「引っ越すしかねーな」

「僕、もっと遠くに住みたいです」

「そりゃそうだ。俺たちはこれで逃亡犯だからな」

「もっと、現実世界に近い街に行きませんか?魔法使いの存在なんて、誰も知らないような街に」

「お前……天才だな。さすが俺の相棒だ」

「そうですよ。だから、そう簡単に、僕のことを手放したりしないでください」

 僕はルシフのマントをぎゅっと握りしめた。

「ルシフの罪も罰も、僕が全部一緒に背負ってあげますから」

 ルシフはちらりとこっちを振り返り、再び前に視線を戻した。

「……俺のせいで、この先も、辛い思いをさせるかもしれない。それでも、一緒に来てくれるか?」

 ルシフの声は不安そうに震えていた。

「当たり前でしょう?僕はどこまでだって、あんたについて行きます」

「そうか……」

 前を向くルシフの表情は僕には見えなかった。だけど、その後ろ姿はどこか憑き物が落ちたかのように見えた。

「ルシフ、もしかして泣いてます?」

 僕は後ろから投げかけた。

「は?泣いてねーけど」

 ルシフがちらっと振り返る。

「なんだ、泣いてないのか……」

「俺に泣いてほしいのかよ」

「だって、ルシフは散々僕の涙を見てるのに、僕はルシフの涙を一度も見たことないのって不公平じゃないですか?」

「知らねーよ、そんなの」

 ルシフはふっと笑った。
 すると、突然僕に言った。

「ベル、俺はやっぱりお前が好きだ」

「うわっ、何ですか急に。2度目の告白……キモッ」

「うるせーよ」

「僕はやっぱりルシフのことが嫌いです」

「あー、はいはい、知ってるよ」

 僕はルシフのことが嫌いだ。
 そもそも性格がまるで合わない。
 だけど、もし僕がいなかったら、ルシフは一生誰かを愛することを知らないままだったかもしれない。もしルシフがいなかったら、今の僕は孤独だったかもしれない。
 喧嘩は絶えないけれど、やっぱり幼馴染だからか、ルシフとの生活は気楽でもある。ルシフと一緒にいて、憎悪に駆られることは多いけど、幸せだと感じることもある。

 だから、愛してる。

 そんなことルシフには絶対言ってやらないけど。


 僕たちは遥か遠くを目指して飛び続けて行った。

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