異世界恋愛ショートドラマ

上原

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追放天使は地獄堕ち

「ラフィ。あなたは天使失格です」
 監査局の天使ノエルが宣告すると同時に。

 追放。
 ついでに墜落。

 白い羽が、どすん、と人間界の荒野に刺さった。

「痛ったぁ……」

 元・下級天使ラフィは、土から顔を抜きながら天を仰いだ。
 今日も天界は理不尽である。

 本来なら、善良なる死者を導いて天国へ送るだけの、簡単なお仕事だった。
 ところが今回の担当死人は、とんでもない食わせ者だった。徳データだけが虹色に輝く模範市民。なのに魂の中身を照合してみれば、放火、詐欺、横領、裏切り、脅迫、その他もろもろ、ぎっしり悪行の見本市。

 つまり改ざん。
 盛大な改ざん。
 ふざけるなである。

 で、ついうっかり。

「天使パンチでぶちのめして地獄送りにしちゃったんだよねえ……」

 ラフィは拳を見た。
 白くて細い、いかにも非暴力そうな手。なのに一発で大男を審判門ごと横滑りさせ、見事な放物線で奈落へ叩き落とした。
 あれは綺麗だった。フォームだけは百点だった。

「あーあ。でも仕方ないよね。悪党はぶっ●さないとー」

「やっぱり天使だ」

 真横から声がした。

 猫だった。
 真っ黒で、金色の目。座り方だけ妙に偉そうな、夜の切れ端みたいな猫だ。

「あなた、天使でしょう」
「違うよ」
「羽が光ってます」
「最近の流行」
「雷みたいな匂いがします」
「最近の柔軟剤」
「嘘が下手ですね」

 見破られた。

 猫は尻尾をひとつ振った。
「お願いがあります。正義の殺し屋になりませんか?」
「いやな予感しかしない」

 話を聞けば、猫の好きな人が地獄にいるらしい。
 名はユージン。優しい庭師だった。雨の日にこの黒猫――クロを拾い、魚をくれた人。だが人に嵌められ、罪を着せられ、死後そのまま地獄へ落とされたという。

「だから僕も地獄へ行きたいんです」
「待って、そこ“会いたい”じゃなくて“行きたい”になる?」
「会いに行くには、まず落ちないと」
「発想が危険!」

 クロは真顔だった。
 真顔すぎて、ちょっと狂気が似合っていた。

「あなたならできます」
「何を」
「悪人を殴って地獄へ送り、ついでに僕も送ってください」
「猫は殺せない」
「優しい」
「そういう問題じゃない」

 結局、ラフィは猫を殺せなかった。
 というか、最初から無理だった。だから直接行くしかない。地獄に。

 地獄は、暑かった。
 赤い川。黒い塔。釜。絶叫。あと書類。
 びっくりするほど書類が多い。

「地獄って、もっとこう、混沌としてるんじゃないの?」
「実務がないと苦しめられません」
 クロが言う。詳しいな、この猫。

 好きな人は第三断罪層にいた。
 ユージン。痩せた青年。冤罪一件、手違い五件、書類不備十七件。
 完全に地獄側のミスだった。

「雑!!」

 ラフィの天使核に、ぶちっと何かが切れる音がした。

 十分後。
 門番は壁にめり込み、裁判官は天井に刺さり、書類係は泣きながら判決訂正書を書いていた。
 ユージンの魂は返還。人間界へ帰還。生き返り決定。
 クロは泣きながらユージンの胸に飛び込んだ。

 めでたし、めでたし。
 ……のはずだった。

「代償として、未所属の堕天個体を最下層へ収監します」

「あ、やっぱり私か」

 どすん。
 ラフィ、地獄へ正式配属。

 最下層は、魔王が七人もいた。
 みんな偉そうで、みんな感じが悪くて、みんなまとめて拳に向いていた。

 ラフィはにこっと笑った。
「さて。地獄にふさわしい悪行を積まねば」

 その日、第一魔王は天井まで飛び、第二魔王はパワハラを謝罪し、第三魔王は部下に有給を出し、第四魔王は拷問器具を半分廃棄し、第五魔王は亡者の食事改善を約束し、第六魔王は会議で人の話を最後まで聞き、第七魔王はラフィの前で正座を覚えた。

「おかしい」
 ラフィは玉座に座って首をかしげた。
「悪行のつもりなんだけど」
「全部、更生です……」
 悪魔の書記官が震えながら答える。

 地獄はじわじわマシになった。
 冤罪窓口ができた。業火の温度管理が始まった。魔王会議では怒鳴る前に挙手する決まりができた。
 花壇までできた。

 そんなある日。

 最下層の空が、ばきん、と割れた。

 白光。
 羽。
 そして、真面目そうな顔をした一人の天使が、ほとんど事故みたいな勢いで落ちてくる。

「うわっ、誰!?」

 受け止めたラフィの腕の中で、その天使はぜえぜえと息をした。
 金の髪。白銀の輪。きっちりした制服。几帳面の権化みたいな顔。
 天界監査局所属、ノエル。
 つまり――ラフィに追放処分を告げた張本人だった。

「……なんで、ここに」
 ラフィが目を丸くすると、ノエルは真っ赤な顔で言った。

「追いかけてきました」
「は?」
「あなたを」
「なんで!?」
「なんででもです!」

 最下層が静まる。
 魔王たちが正座のまま固まる。
 悪魔の書記官がそっと羽ペンを置く。

 ノエルは、わなわな震えながらラフィの袖を掴んだ。

「僕は、あなたを堕としました」
「業務でしょ」
「でも、あの判決文を書いたのは僕です!」
「真面目だなあ」
「真面目に悩んだんです! 三日三晩! でも規則だからって、あなたを落とした! なのにあなた、地獄で……」
「地獄で?」
「魔王を更生させてるし、花壇は作るし、悪魔は泣かせるし、全然ひどい人じゃないじゃないですか!」
「褒めてる?」
「責めてます! 違う、褒めてる! ああもう!」

 ノエルは一回、息を吸った。
 それから、捨て身だった。

「僕も悪人になります! だから!」
「だから?」
「一緒に地獄に住ませてください!」

 沈黙。

 魔王の一人が、ぽろっと涙をこぼした。
「青春だ……」
「黙って正座」
「はい」

 ラフィはしばらく瞬いた。
 それから、ぷっと吹き出した。

「ノエル、それ悪人の志望動機じゃないよ」
「知ってます!」
「地獄に来る理由としてはかなり変」
「知ってます!!」
「じゃあ、どうして」
 
 ノエルは唇を引き結んだ。
 生真面目で、融通が利かなくて、告白の仕方まで不器用な顔で。

「あなたがいない天界は、息が詰まるからです」
 
 ラフィの笑みが、すっと消えた。

「書類も山ほど残ってるし、規則もあるし、僕は本当は戻らないといけない」
 ノエルは続けた。
「でも、あなたを堕とした時からずっと、間違えたと思ってた。天界に必要なのは、綺麗なだけの正しさじゃない。あなたみたいに、間違ってても目の前の悪を殴れる人だって、きっと必要だった」

「……ノエル」

「だから」
 耳まで赤くしながら、ノエルは言った。
「責任を取ります。あなたが堕ちた先に、僕も落ちます。一緒に住みます。朝は僕が掃除をします。書類も片づけます。魔王が反省文を書かないなら代筆させます。だから……だから」

 そこでようやく、声が小さくなる。

「追い返さないでください」

 ずるい。
 そんなの、ずるいに決まっている。

 ラフィは困ったように笑って、それからノエルの額を、こつん、と軽く小突いた。

「それ、ほとんど求婚じゃない?」
「……そうです」
「うわ、認めた」
「もう後には引けません」
「真面目だなあ」
「あなたが好きですから」

 今度こそ、地獄中が静まり返った。

 クロが最下層の窓辺から顔を出し、「やっとだ」とでも言いたげににゃあと鳴く。
 人間界からこっそり様子を見に来ていたらしい。ちゃっかりしている。

 ラフィは降参した。
 両手を上げる代わりに、ノエルの頬を包む。

「じゃあ条件」
「はい」
「悪人になるのは禁止」
「えっ」
「代わりに、地獄でいちばんお人好しの天使になって」
「それは……あなたと同居できるなら、喜んで」
「うわ、素直」
「追いかけてきたので」

 ラフィは笑った。
 心の底から、久しぶりに。

「歓迎するよ、ノエル」
 
 その日から、地獄には堕天使が二人になった。

 一人は、魔王を拳で更生させる元・下級天使。
 一人は、彼女を追って自分から落ちてきた監査局の優等生。

 最下層には花壇が増えた。
 反省文の書式も整った。
 魔王たちは毎週、道徳講座を受けることになった。
 そして夜になると、黒い塔のいちばん上の部屋だけに、やわらかな灯りがともる。

 天界を追われたはずなのに。
 地獄に堕ちたはずなのに。

 そこは妙に、幸せそうだった。
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