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第5章 魔王の冠編

53話 撤退の前に、返済を

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 赤みを帯び始めた水平線から、ゆっくりと太陽が顔を出し始める。
 その頃になれば、シェール島を囲んでいた船のほとんどが撤収していた。リクは、見張り台の縁に腰を掛けていた。遠眼鏡で見なくても、残った船の数は良く分かる。退魔師たちの船は、3隻しか残されていない。3隻の船が、島の周りで等間隔に浮かんでいる。
 一気に数を減らした退魔師の船を見ていると、リクの口元は自然と緩んでいた。


「こうも上手くいくとはね」

 昨夜のことだった。
 リクは、3隻の船で退魔師たちの船へ突撃した。しかし、それは一戦交えるためではない。人間と比べて、魔族は夜目が効く。しかし、だからといって安易に闇討ちをしかけたところで結果は視えていた。
 リク達が攻撃を仕掛ける前に、矢の雨を浴びせてくるだろう。退魔の力が宿った矢は、魔族にとって致命傷を引き起こす。奇跡でも起きない限り、勝ち目はないだろう。もし、これがゴルトベルクやシャルロッテならば、「精神論」で押し通るのかもしれないが、精神論が通じるのは互角の相手に限られる。戦力差が歴然としている以上、むやみやたらに攻撃するのは危険すぎた。

 故に、攻撃しないのが最も最善の選択だ。
 しかし、レーヴェンが迎えに来ると判明した。万が一にも、彼の船が損害を受けることになってはいけない。ならば、どうするのか。そこで、考え出した作戦だった。

「いや、さすが嬢ちゃんだぜ」

 ヴルストが、口笛を吹いた。既に荷造りは終えているらしく、大きな袋を背負っている。

「敵のぶきを横取りするなんて、な。
 おかげで敵さんは、戦う武器がなくなって帰っちまった」
「連中も驚くでしょうね。矢を補充して帰ってきたら、島に誰もいないなんて思ってもいないはずよ」

 リクは、満足げに微笑み返した。

 レーヴェンの船が損害を受けないようにするために、何をすればよいか。それは、簡単なことだ。相手側が一時的にでも、撤退するように仕向ければよい。
 魔族兵に見立てた藁人形を、大量に船に乗船させる。月もない暗い夜だということも幸いして、藁人形だと見破られる可能性は少ない。案の定、藁人形を魔族兵だと勘違いした退魔師たちは、喜び勇んで矢を放ってきた。

 そのおかげで退魔師側の矢は不足し、魔族側の矢は潤った。もちろん、矢じりが潰れて使い物にならない物もある。だが、回収された多くの矢は再利用できた。
 こちらは武器もたくさん手に入れる代わりに、敵の装備も数も一気に減る。なんて美味しい話なのだろうか。
 
「それで……ヴルストが来たということは、準備が出来たということ?」
「ああ。全員支度は済ませた。いつでも出航出来るぜ。……あとは、嬢ちゃんの号令次第だ」
「……そう」

 リクはそれだけ言うと、すとんっと縁から降りた。ハルバードを背負い直し、自分も脱出の船へ向かう。既に、多くの魔族が元々乗船していた船に戻っていた。己の持ち場で、弓の張り具合を確かめたり、刃こぼれがないか調べたりしている。
 その奥に、黒い羽を生やした女性魔族がいることに気付いた。黒羽と言っても、レーヴェンのような龍を思わす鱗羽ではない。彼女の羽は、敷き詰めて寝ると心地よさそうな羽毛だった。
 リクは、誰よりも先に黒羽の魔族に近づいた。黒羽の魔族は、リクの接近に気付いたのだろう。それまでしていた作業を中断させ、すっと頭を下げた。

「昨夜は御苦労だったわね、カルラ・フェザー中尉」
「いいえ」
 
 カルラ・フェザーは、首を横に振った。

「敵の目を海上へ釘付けにさせてくださったおかげで、いつもより楽に飛ぶことが出来ました」
「そう。それで……そろそろレーヴェン隊長たちが来る時間帯なのね?」

 リクは、カルラに確認を取った。カルラは、黙って頷いた。今こうしている間にも、水平線の向こう側にレーヴェンの船が見えても不思議ではない。
 島から出ようとする船と、島に向かっている船。その2つに挟み撃ちされる残された退魔師たちの船。数でも戦力でも劣る彼らの運命は、さほど考えなくても想像できるだろう。

「ありがとう、貴方のおかげよ」

 リクは軽く礼を言うと、水平線の向こうへ目を向けた。レーヴェンの船影は見えない。しかし、もうすぐ来るというならば早めに片付けてしまおう。リクはそう判断すると、号令を下した。

「出撃するわ。残った船は、全て燃やしなさい」

 響き渡る声と共に、魔族たちの手から火矢が放たれる。
 火矢はたちまち島に停泊していた船を焼き払い、神殿へと移った。轟轟と音を立てて燃えていく。熱い風が焦げ臭さと潮の香りを運んできた。

 炎を背に、リク達を乗せた船が動き出す。
 もちろん、敵も馬鹿ではない。こちらの戦意を察知して、すぐに交戦状態へ乗り出した。島を包囲していた3隻の船が結集し、出航しようとする3隻の商船を取り囲んでしまおうと動き出す。


 だが、そうなることは計算済みだった。

「退魔師たちから貰った矢を、しっかり返しなさい」

 退魔師側の矢は少ない。ゆえに、節約しようという意識が働く。ぎりぎりまで接近し、乗り移って戦おうとしてくるだろう。事実、昨日ほど矢を放ってこなかった。
 それに対して魔族こちらの矢は、十分以上にある。すっかり立場は逆転していた。

「もちろん、ただで返せとは言わないわ。しっかりと利子をつけて返すわよ」

 そう言いながら、リクも矢を弓につがえた。狙いを定め、退魔師の船目掛けて矢を放つ。
  借りた道具は、しっかりと撤退前に返さなければならない。


 「火」という利子を上乗せして。







 レーヴェン達が到着する頃には、全てが終わっていた。
 白い神殿がそびえ立つシェール島は、燃え盛る炎のベールで被われている。そして、退魔師の船は一様に海を漂っていた。黒く焦げた様は、まるで消し炭のようだった。
 レーヴェンは結果を一瞥すると、リクへ歩みを向けた。リクは普段よりも背筋を伸ばし、誰よりも綺麗な敬礼をした。

「レーヴェン隊長。救助に来てくださり、ありがとうございます」
「よく耐えたな、リク・バルサック少佐」

 レーヴェンからの褒め言葉を受け、リクは嬉しい反面、なんだか申し訳ない気持ちが膨れ上がってきた。
 これならば、最初から打って出ていればよかった。レーヴェンの手を煩わせることなく、自分たちで脱出することだって可能だっただろう。背後で燃え盛る熱風を感じながら、リクは少しだけ俯いた。

「……不満そうだな」
「い、いえ。そんなことは……ありません」
  
 慌てて顔を上げると、レーヴェンは何かを考え込むようにリクを見つめていた。不思議な緊張感が漂い始める。肌を刺すような緊張感に、リクは唾を飲み込んだ。
 リクは、ふと園遊会の時の記憶を思い出していた。あの時も、このようにレーヴェンと対峙し、緊張感を味わっていたのを覚えている。
 すっかり遠い記憶になった出来事を頭の片隅で思い返していると、レーヴェンは疲れたように息を吐いた。

「俺が迎えに来るから、お前はこの作戦を思いついた。
 もし、自力でなんとかしろと命じられたら、お前は別の方法を考え出していただろう。だから、何も恥じることはない。どうどうと胸を張っていればいい」

 それだけ言うと、レーヴェンはリクに背を向けた。
 恥じることはない、と言われて少しだけ心が軽くなった。しかし結局のところ、自分は何もしてない事実には変わりない。シャルロッテに言われた通りに出兵し、シェール島を占拠したものの魔王の冠を見つけることが出来ずに、情なく撤退する。

 そう、リクは結局なにもしていないのだ。

「私、何も役に立てませんでした」
「いや。魔王の冠がないという事実が判明した。それだけで十分な収穫だ」

 しかし、レーヴェンはリクの杞憂を一蹴する。特に何も感じていない平気な表情を浮かべて、リクの頭を撫でた。

「今回の任務は、情報不足の状態で出兵を決めたことが敗因だ。担当者には、時機に処罰が下る。お前は、それに従っただけのこと。何も悪くない。
 魔王の冠など、魔王様が復活なさってから探せばよいのだ」

 レーヴェンはリクの髪を撫で続ける。誰もが忌み嫌われる真っ赤な髪を、優しく慈しむように触ってくれる。ここで初めてリクは、気が休まったように思えた。
 しかし、至福の時は長く続かない。レーヴェンはリクの髪から手を放すと、自分の船へ去って行った。リクはレーヴェンが触れてくれた髪を、ゆっくりと触る。こうして触っていると、まだ彼の大きな手のぬくもりが残っているような気がした。

「おーい、嬢ちゃん。すぐにこの海域を出るぞ」

 そんなリクを急かすように、ヴルストが言葉を発した。リクは眉間にしわを寄せながらも、赤髪から手を放した。

「分かってるわよ、早く支度をしなさい」
 
 早朝に撤退した退魔師たちは、矢を補充しにフェルト港へ戻っただけだ。補充次第、こちらへ引き返してくるだろう。早く出発しなければ、追いつかれてしまう。追いつかれてしまったら、撤退した意味がない。

 リクは最後にもう一度、炎に包まれる神殿を振り返った。
 白く輝いていた壁は、すっかり炭で黒ずんでいる。青い空に、リクの髪と同じ色の炎が映えていた。
 ふと、音が聞こえた。風はこちらへ吹いていないので、神殿が崩壊する音など聞こえるはずがない。

 しかし、どこか心を揺さぶるような懐かしい旋律が聞こえたような気がした。

「嬢ちゃん、こっちを手伝えよ!」
「言われなくても分かってるわ」

 リクはヴルストの声で我に返った。
 ベリッカへ続く水平線の向こう側を見つめながら、自分の持ち場へと戻る。

 しかし、最後に耳にした哀しい旋律は、いつまでも耳について不思議と離れないのだった。





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