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正直者しかいないなら

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「おい浅野あさの、見たかよ今月のグラビア……!」
「えっ!? これ、3組の北見きたみさんじゃ……でっか……」

 朝から教室の隅っこで騒がしい二人の男子達。奴らの声に吸い寄せられるように男の数は増えていき、1分も経たないうちにクラスの9割の男子が一冊の漫画雑誌に群がった。

「やっべええ、北見さんの制服の下はこんなにも……」
「エロい……」
「今日体育あんじゃん覗こうぜ」

 性欲猿どもめ、騒がしい奴らだ。
 僕はあいつらとは違う、といった様子を装い最前列の席で普段から愛読している小説を読む、フリをする。

 クラスの男がここまで興奮している理由、それは僕の幼馴染にある。

「ちょっと男子ー!? はぁ、こっちは眠たいってのに高校生がすることじゃないでしょ!? ……長谷部はせべくんは真面目で助かるわぁ」

「……僕は、興味無いんで」

 クラスの女子にからかわれても、僕はただ小説を読むフリを続けた。
 だけど、皆の騒がしい声だけがどうしても無視できなくなり、1ページも進んでいない小説を机にしまって顔を伏せた。

 北見きたみ優子ゆうこ。幼稚園の頃から幼馴染の女の子で、僕の初恋相手だ。
 お互いにスポーツをやっていたから中学までは練習をし終わった後は二人で帰る日々が続いていた。

 僕達は高校デビュー失敗組、そう言っても差し支えないだろう。
 高校に入ってすぐ二人して似合わない眼鏡を買って、スポーツを辞めた。元々僕はバスケ部で彼女はバレー部だった。

 優子に関しては小学生の頃から子役俳優としてひっそり活動しており、今回のグラビアも事前に本人から聞かされていたから驚きもしない。


 * * *
「長谷部ーっ! お前の幼馴染すごいな! あっ、お前も体育館の中を覗きに来たの?」
「んなわけあるか浅野。僕はボールを取りに来たんだよ」
「んぉっ! 揺れてる揺れてる……」
「……チッ」

 3組と4組の女子達がバレーを楽しむ声が聞こえる。その中に優子も混じっているだろうか、バレーを楽しめているのだろうか。
 すごく気になる。だが、僕は覗かなかった。
 優子の大きな胸なんて見たくもない。


 * * *
 そして放課後。

 それぞれがバイトの準備や部活の支度を終えて教室を出ていき、最後の一人になると彼女はいつもやってくる。

灯里ともり君、終わるのが遅かったからちょっと遅れちゃった。ごめんね?」
「はは、デビューおめでと」

 僕は優子に軽く冗談を飛ばす。優子はちょっと怒って恥ずかしそうにしているけど、僕を気持ち悪がったりはしないみたいだ。

「ど、どう?」
「どうって?」
「う、上手く……出来てたかな」
「さあ? ごめんだけど、僕は朝眠くて見れてないからさ」
「え、そんなぁ……あっ、私クラスの人から一冊貰ったんだった。これ──」
「──いいよ、見せなくて」

 僕は彼女が差し出した本を手で軽くはねのける。今日の僕は案外機嫌が良くないみたいだ。

「……じゃあ、帰ろっか」
「うん」

 優子はいつだって僕の前を歩く。今日だってそう。何も変わりはない。
 彼女の綺麗な長髪が見える、いわば特等席に居るはず。なのに僕は不安だった。

「……どうしたの灯里君? 元気無いけど」
「別に?」

 優子は振り返り僕の目を見つめる。学校では眼鏡をかけているが、僕と帰る時だけは眼鏡を外した素の彼女がそこにいた。

 優子は背丈も女子の平均よりも高いし、スタイルも多分良い。普段は意識していない身体のことを、今は意識せざるを得なかった。

「灯里君は、変わらないよね。昔から私より大っきいし、優しいし!」
「そう……かな」
「……いいんだよ、気を使わなくても」
「え……」

 彼女は足を止めてその場でうつむいた。信号なんてここにはないのに。
 何かを言いたそうにする優子を見て、僕は初めて優子の横に立ちそっと覗いて笑顔を見せた。

「心配すんなって! 僕は気にしてないからさ」
「……ありがとう、ともちゃん」
「っ懐かしいねその呼び方」
「うふふ、手でも繋いじゃう?」

 優子の微笑みは昔から変わらず女の子って感じで可愛い。でも今回だけは別。

 やたら色っぽくて艶めしい顔に変化していることに今更気が付いて、僕は優子の目を直視できなかった。

「……なーんてね! ビックリしちゃった? あ、ちょっと! 歩くの速いよぉ!」

 優子は僕の手を掴んだ。優子の柔らかくて温かい手の感触をいつもより敏感に感じてしまうから、僕は苦しい。

 僕が優子の変化を無視してきたからこんな思いをしているんだと自分に言い聞かせる。

 僕の知らない間に良い香水を付けたり髪をセットしてるし、肌も赤ちゃんみたいにツルツルで柔らかい。
 何となく、僕達は手を繋いだまま歩き続ける。優子がどんな顔をしているか見てやろうかと思ったが、もし無表情だったら嫌だから見るのはやめた。

「……ね、彼女とか作らないの?」
「興味、無いから」
「嘘つき」

 いつもと同じ道のりなのに、普段の5倍は長く感じる。優子の吐息も手から感じる汗も気になってしょうがない。
 夕日に照らされて世界が赤く染まる。きっと僕達もこんな世界に溶け込めているはず。

「ここの信号って長いよねー、あ! 覚えてる? 小学校一緒に寝坊した時この信号のせいで遅刻したよね~懐かしい」
「たしかあの時も優子の手を握ってたっけ、めちゃくちゃ優子が泣いてたから」
「そ、そうだっけ……? まさか仕返し!?」
「あはは」

 もっと明るく笑いたかったのに、乾いた笑いが口から零れる。
 その後も手を繋ぎ続けて信号をあの頃みたいに渡り、やがて隣り合う家の前に辿り着いた。

「……灯里君。私の身体見てみる?」
「何いってんの」
「……どっちがいい? 雑誌と、直接のは」

 僕は優子の発言に動揺し、今日初めてちゃんと顔を見た。耳と頬を真っ赤にし、目がほんのり赤く染まっていた。
 僕がそっと手を緩めると、逃さないぞと言いたげに優子は力をギュと込めてくる。

「今日、親いないんだ。……上がってく?」
「優子……僕を馬鹿にしてる?」
「さっきから興味無いって言ってるけど、嘘つかないでよ。ずっと私の身体ばっか見てさ……本当は気になるんでしょ?」

 胸を腕でギュッと寄せて僕の身体に当ててくる優子に思わず僕は吐き気を催した。これがグラビアで習った技術……なんだろうか。

 別に彼女の裸を見たい訳でも、見たくない訳でもない。というか、見たことは普通にある。

 そのときは僕が興味無かっただけで。

「触りたいんでしょ。灯里君なら手で触っていいよ」
「……変わったね優子。僕を置いて大人になったつもり?」

 僕はまた優子に皮肉じみた言葉を突きつける。
 未だに幼馴染なんかを好きな自分に対する嫌がらせに仕返すつもりで言ったが、優子はそうじゃなかったみたいだ。

「私が変わった? ……私が変わったなら、一緒に帰ったりなんかしないんだからね」

 優子は顔を真っ赤にして本気で怒りだした。流石に強く言いすぎたと心では反省しているが、僕は既に引くに引けなくなっていた。

「ああ、変わったよ。昔はもっと健気でそんな色仕掛けみたいな邪道なことはしなかったね!」
「なっ……そっちだって昔は人よりちょーっとスポーツできるからってイキってたじゃん! 今は陰キャのくせに!」
「そっちだってそーだろ!? グラビアなんかやっちゃってさあ! 他人からそんな目で見られたくてやってんのか!?」
「なっ……! これは大人になった証明だし! あ、灯里君ってそんな目で私の身体をジロジロ見てたの!? 気持ち悪いなあ!」

 気持ち悪いは……言いすぎだろ……!

 ……いや、僕も完璧に言いすぎだろうが。
 お互いに顔を真っ赤にしたまま口論を続け、握った手は離すどころか次第にお互いに力が加わっていく。
 僕が失言をしていると気付けたのは、優子を半泣きになるまで追い詰めてからだった。

「灯里君なんて……もう知らないから! そんなに私が嫌いなら早く言ってよね!? もう二度と会わないであげるから!」
「は、別に嫌いではねーし」
「何それ!? わ、私のことなんて異性としてすら見てないんでしょ!?」
「それは……」

 そこで僕ははっとする。僕の中の優子はもう存在しないのだと。
 目の前にいる優子は誰かに染められた存在なんじゃないか。

 きっとアイドルや俳優として活動していくなら、色々な人間と出会い僕なんかが体験出来ない経験を積むことになる。
 そしたら当然そこには男もいるだろうし、僕より魅力的な奴ばっかりだろう。

 いや、ひょっとしたら優子にはもういるのかもしれない。グラビアの撮影現場にはカメラマン以外に人は沢山いてもおかしくないし、むしろカメラマンが……彼氏……だったり。

 そうか、だから僕に彼女がいるのか尋ねたんだ。

「なんでさっきから黙ってるの!? ふーん、私なんてどうでもいいってことね!?」
「……彼氏いるから僕は用済みなんだろ」
「……はぁ!? 彼氏いないし! 何一人で勝手に思い込んでそんなこと言うの!? 私が……どんな風に撮ったかなんて見てないから分からないのに!」
「……じゃあ、見せてよ。貰ったって言ってたよね」
「これ!」

 優子はすぐに鞄から雑誌を取り出し僕の胸に押し付けた。僕は空いている手で雑誌を掴んで表紙を見ると、そこには青い水着から溢れんばかりの胸を強調させた優子の姿があった。

「……いつもより、化粧してる?」
「そりゃそうだよ。だって他の人に見られちゃうし」
「知らない奴に、媚びんなよ……」
「え──」

 学校の皆からしたらこんな派手な格好の優子に初めて驚いたに違いない。
 だけど、僕からしたらこの写真に写っているのは僕の知ってた優子じゃない──さっきまではそう思っていたし、今もそう思ってる。

 ただ、ここでそれを伝えたらすべてが終わるような気がしてしょうがないのだ。
 だから、もう一個の本音を代わりに伝えようと思う。

「──僕は幼馴染優子のグラビアで興奮できるから」
「…………え」
「僕は優子の体に興味あるし、本当は嫌じゃない……!」
「ちょ、ちょっと声大きいって……」
「でもっ、優子の体は他人に見てほしくない」
「えっ……?」

 今までで一番甘い優子の声を聞いて、心臓の高鳴りが抑えられなくなる。きっとこの音は僕の手を伝って優子にまで届いているだろう。

「だって僕は──優子が、好きだから」

 僕の口から言い切れたときには、焦りだとか嫉妬なんて感情は消え去っていた。
 優子は唇を震わせて何かを僕に一生懸命告げようとしているが、涙が邪魔して話せない様子に僕は痺れを切らして言葉を続ける。

「優子が昔から可愛くて顔や体以外も満点だって僕は思ってる。優子も僕も成長して色々と変わったけど、この想いだけは変わらない」
「……うん……っ」
「バレーが上手な優子も、怒られるのが怖い優子も、グラビア写真の優子も、全部素敵で全部違う優子だ。でも、それでも僕はどの優子も愛おしい」
「灯里……君」
「……あっ、ごめん。どうせ最後になるなら、言いたいことだけを伝えようって気持ちが先行しちゃって……」

 僕は今度こそ優子から離れようと手を離した。自由になった右手にはまだ彼女の体温が残ってる。
 けれど彼女は、一気に僕の目の前に顔を近付けてきて──

「……灯里っ、顔……赤いよ」
「優子も、じゃん」
「私って下手くそだね。歯が痛いや」
「初めてじゃないくせに」
「……初めてだし!」
「ありがとう、優子」

 いつの間にかお互いの手が、繋ぎ方が変わっていた。僕達はようやく正面をしっかりと向き合えたのかもしれない。

 彼女は微笑みながら僕を上目遣いで見上げている。最後に優子は普段と変わらない声で真っ直ぐな言葉を告げた。

「私も、素直な灯里君がだよ」
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