私を食べて

春夜夢(syam)

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宮食連の話(初デート)

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 出会って一ヶ月、僕はどんどん彼女に惹かれていった。初めは生きていくために必要な、いわば需要と供給の関係だった。しかし、彼女の笑顔は僕を強く惹きつけた。彼女の笑顔は「こんな僕でも生きていい。」と言ってくれている気がした。

 昨日の夜、僕は初めて自分から彼女をデートに誘った。これまでも何度か彼女から誘われることはあったが。何度も断ってきた。今の関係が壊れてしまいそうで怖かったから。ただのナイチンゲール効果だ。彼女も本当は僕のことが好きなわけじゃない。彼女の心も自分の心も封じ込め、ずっと見ないふりをしてきた。でももう止められなかった。恋は理屈じゃない、そんなありふれた小説のセリフみたいな言葉が胸の中に浮かんだ。馬鹿みたいだと自分自身を笑った。
「やっと私に興味を持ったね。」
彼女はそう言って笑った。僕の惹かれたあの笑顔で。その笑顔に僕は何度もドキッとする。
「ごめん、一度実家に帰ってもいい?なにをすればいいかわからないから。」
僕がそう言うと、彼女はニヤリと笑って「いいよー。期待してるね。」と言った。
(これはますます頑張らなくては)
そう思いながら実家に帰った。

「とりあえず服を買おう」
そう思い立った僕は、ひとまず姉に連絡した。彼女には言っていないが僕には3つ上の姉がいる。姉に服を一緒に選んでくれるように頼んだ。僕の服のセンスは壊滅的だから。
「やっと蓮にも彼女ができたか。」
姉はニヒヒと笑った。どうやら姉は、僕に一向に彼女ができないことを気にしていたようだ。
「まだ彼女じゃない。」
僕は軽く反論した。
「じゃあより一層頑張らないと。」
また姉は笑った。

 とりあえず僕と姉はH&Mに行った。正直ファストファッションにここまでおしゃれな服があるとは知らなかった。周りをきょろきょろしていると
「服に興味を持たなさすぎだよ。これまでどこで服買ってたの?」
と姉があきれたように言った。僕が普段着ているのは同じような無地のスウェットとジーパン。全くファッションに興味はなかった。
「蓮、顔は悪くないんだからおしゃれしないと損だよ。」
「うるさいな時間がなかったんだよ。」
僕は少し後悔していた。もう少しおしゃれに気を使っていたらよかったかな。人食症になってからこんな感情を抱くことが不思議だった。
人食症の僕には後悔なんてする暇はなかった。これも彼女と出会ったおかげだと思う。

「まあ、これ着てればいいでしょ。」
姉はそういうと何枚か服を取り、僕に試着するように言った。やはり姉に頼んでよかった。姉の選んだ服はとても僕に似合っていた。服の印象でこんなに変わるのか。いつものちょっと暗い僕はどこかえいってしまい、代わりに明るい青年がそこにはいた。
「いいじゃん。似合ってるよ。」
姉は満足そうに言った。
「明日頑張りなさいよ。」
そう言うと姉は帰っていった。

 デート場所は水族館。「ありきたりすぎるかな。」そう思いながらも彼女にLINEした。意外と好感触だったので安心した。待ち合わせは水族館最寄りの駅。時間は午前9時。
朝、僕はできる限りの努力をした。髪型は大丈夫か、服は大丈夫か、待ち合わせ時間は大丈夫か、緊張は募るばかりだった。一か月も一緒に生活しているのに、初めてこんなに緊張する。
僕はもともと時間よりも早く行動するタイプの人間だが、今日は普段よりも10分早く駅に着いた。彼女は待ち合わせ時間よりも五分早く来た。
「おはよー。蓮君早いね。」
彼女は小走りで駆け寄ってきた。
「いや、緊張してるだけだから。服装、変…じゃないよね…?」
僕はすごく緊張していた。
「似合ってるよ。なんかいつもと印象違うね。すごくおしゃれ。」
彼女は楽しそうに笑った。

 水族館につくと彼女はとてもはしゃいでいた。
「実は私、水族館好きなんだよね。」
彼女はそう言って、ニコッと笑った。水族館を選んでよかったと思った。
水族館には何年も来ていなかった。とりあえず彼女についていくことにした。
彼女は最初にクラゲの水槽に行った。
「クラゲ好きなの?」
「そうだよー。」
「なんで?」
「私と同じで再生能力あるからね。」
彼女はニシシと笑った。
「それはジョーク?」
僕は戸惑いながら言った。
「さぁてね。」
また彼女は楽しそうに笑った。理由はともかく光るクラゲはとてもきれいだった。

「ちょっと来て。」
彼女が僕を呼んだ。彼女はサメの水槽の前にいた。
「サメって共食いするらしいよ。なになに、同族は他の生物に比べて栄養価が高い?蓮くんが私を食べるのもあながち間違ってないね。」
また彼女はニヤリと笑った。今日の彼女はいつもよりもとてもはしゃいでいるようだった。こんなブラックジョークを言うタイプだったか?
「それも冗談?」
「さぁてね。」
また彼女は楽しそうに笑った。僕はうらやましいような不思議な感情でサメを見ていた。もし僕がサメだったら、こんなに悩んだり苦しんだりすることはなかったのだろうか。なぜかサメの顔が少し憎く見えてきた。
いや、違うな。僕がサメだったら彼女と出会えていないだろう。どんなに辛くても、彼女に会えないよりは良い。


 時間はあっという間に過ぎた。彼女が駆け寄ってきた。
「昼ごはんはタイ料理がいい。いいタイ料理のお店たくさん知ってるよ。蓮君にもこの美味しさを知ってほしい。」
彼女はやっぱりタイ料理を提案してきた。
「僕スパイスとかパクチーとか苦手なこと知ってるでしょ。」
僕がまじめに言うと、彼女は「信じられない。」という表情で僕を見た。何回このくだりをやるのだろうか。
「この水族館の隣に有名なカフェがあるらしいからそこじゃダメ?」
「ちゃんと調べてるじゃん。」
彼女は嬉しそうに笑った。

 平日だったため、カフェは比較的すいていた。外の見える窓側の席に座った。彼女は何を食べるのだろうか。ちなみに、僕は人間だけを食べるわけではない。朝ごはん、昼ごはんは普通に食べる。
「蓮君!」
彼女が嬉しそうに僕を見た。
「パクチーがある!」
彼女はパクチーと生ハムのサンドイッチを注文した。僕は、BLTサンドイッチ。

 運ばれてくるなり彼女は歓声を上げた。僕はその絵面に衝撃を受けた。彼女の前に運ばれてきたお皿にはパクチーが山ほど乗っていた。
「本当にそれ美味しいの?」
「美味しいに決まってるじゃん。」
「パクチーの味しかしないでしょ。」
「何言ってるの?パクチーを食べるんじゃん。」
彼女の言葉に僕は眉をしかめた。あんなただの草の何が美味しいのか。理解できない。
僕のところにも料理が運ばれてきた。普通の美味しそうなサンドイッチ。
「蓮くんは安定を求めすぎだよ。」
確かにそうかもしれない。僕はあまり初めてのことをしない。挑戦をしない。対して彼女は挑戦するタイプに見える。新しいことが好きそうに見える。躊躇なく飛び込んでいくタイプ。

「琴音はどんどん挑戦しそうだよね。」
僕がそう言うと何故か彼女は顔を曇らせた。
「私は蓮くんの想像してるような人間じゃないよ。」
彼女が突然悲しそうな雰囲気になったので、僕は戸惑った。傷つけるような事を言ってしまったか。少しの間沈黙が続いた。僕が困っていると彼女が突然聞いてきた。
「蓮君、一つ聞いていい?正直に言って私のことどう思う?」
唐突な質問に驚いた。僕は少しの間考えて答えた。
「僕にとって必要な人かな。いろんな意味で。そしてとても魅力的な人だと思う。」
彼女は嬉しそうな顔をした。でもまた真剣な顔で僕を見て言った。
「蓮くんはどんな私でも受け入れてくれる?」
これはもっと唐突な質問だった。彼女の目はなぜかとても暗かった。何かに怯えているようだった。彼女の他の姿は殆ど知らない。それでも「答えなくてはいけない。」そう思った。
「受け入れるよ。たとえ君がどんな存在としても、暗くても明るくても、僕の想像と違っても僕は君を受け入れるよ。それは僕が人食症で、琴音に再生能力があるからだけじゃない。仮に僕も君も普通の人間だったとしても僕は君のことを受け入れるよ。」
僕は真剣に考えて答えた。
「そっか。そうだよね。」
彼女は嬉しそうに、そして安心したように笑った。
「今の話は忘れて。」
僕は訳が分からなかった。まあ、彼女が納得したならいいだろう。

 その後また水族館に戻った。「せっかく水族館に来たなら、イルカショーを見たい」と彼女が言ったから。イルカがジャンプするたびにはしゃぐ彼女と、それを見ている僕。周りには同じようなカップルが数組いた。周りから見たら僕たちも普通のカップルに見えているのだろうか。自分も普通の人間になれている気がした。
「琴音もそう思ってたらいいな。」

 とても楽しい一日はあっという間に過ぎた。彼女は一日中ハイテンションだった。人生で初めてのデートだったが、彼女のおかげで、気まずい雰囲気になることもなかった。「彼女も楽しかったならいいな。」そう思いながら二人でいつもの僕たちの家に帰った。

 家に着くと、彼女はまだ楽しそうだった。
「今日は楽しかった?」
僕がそう聞くと彼女は「楽しかった!」とにっこり笑ってくれた。
僕は今日彼女に告白しようと決意していた。これまでの需要と供給のような関係から一歩踏み出したかった。
「一つ言いたいことがあるけど聞いてくれる?」
僕は真剣な顔で彼女に話しかけた。
「いいよ。」
彼女も真剣な顔で答えた。僕は一息ついて話し始めた。
「今日昼に言ったこと覚えてる?僕は琴音のことを必要だと思ってる。それは僕が人食症だからだけじゃない。今までの関係が壊れるのが怖くて、これまで言ってなかったけど、僕は琴音のことが好き。たぶん、琴音と初めて出会ったときから琴音に惹かれたと思う。琴音の笑顔が好き。琴音は僕を救ってくれた。だから僕と付き合ってくれないかな?」
彼女はとても驚いたような顔をした。そして、嬉しそうな顔で笑った。僕が惹かれたあの笑顔で。
「いいよ。」
それから彼女も話し始めた。
「私、初めて人を好きになったと思う。これまでも彼氏はいたけど、今まで恋愛は恋愛じゃない。他の人に告白されてもこんなに嬉しくならなかった。こんなにドキドキしなかった。確信を持って言える。私は蓮くんのことが好き。」
少し部屋が暖かくなった気がした。これまでの暗かった人生が、また一気に明るくなった。

 その夜僕たちは初めてキスをした。
「私の唇食べないでね。」
彼女がニヤッと笑って言った。僕は照れ隠しのために彼女をギュッと抱きしめて、また深いキスをした
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