冴えない男の一つの約束

ぽえーん

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冴えない男の一つの約束

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確かに私は、自分の意思でこの人生を選んできた。
数多の人生の中で、誰かの人生の中で、たまたまここにあった一つの人生。
ちっぽけで、しかしきっと誰かの中で暖かだった一つの命。
人々の記憶の中の私が、暖かい日々の記憶が皆の中に残ってくれることを願って、この結末に花を添えたい。




産声をあげた日のことは覚えていない。
その日のことを聞いたこともない。
きっと猿のようで、可愛い赤ちゃんだったに違いない。幼い頃は可愛い可愛いと可愛がられたものだ。
最も古い記憶は、小さなアパートで近所の女の子たちに可愛がられ、遊んでもらった記憶。
ぼんやりと「楽しい」「暖かい」そんな感情が、あったような気がする。

幼稚園に入る頃にはもう、私は「私」であったように思う。
内弁慶で人見知り、泣き虫で、たぶん優しい。
幼稚園への初登校。直前に大泣きをして駄々をこねるも、手慣れた保母さんにあっけなく連行された。
バスの中では子供心に恥ずかしさを覚えた。

幼稚園では、入園前からの砂場遊びのお友達がいた。
そしてもう一人、友達の友達が輪に入り、僕らはいつも4人でいた。
何ともなく走り回ったり、お人形で遊んだり、いろんなことをしたけれど何かを思い出せない。
ただ、すごく楽しくて、幸せという言葉もまだ知らなかったけれど、幸せだったと思う。


友達の友達、Yは人生を通じて一番の友人になった。
それはもう少し後の話。


あっという間に小学生になり、新たな生活が始まった。
幼稚園の友達はYを除いて同じ小学校に入った。内向的な私は、新しく出会う子供達とどうしていいのか分からなかった。
1年生の記憶は全く持っていない。
次の記憶では、幼稚園の友達たちは転校しておらず、私は他の友達と一緒にいた。
クラス替えのない、小さな学校で、みんなが友達だった。

幼稚園では分からなかった、自分の能力に気づくようになるのもこの頃からだ。
どうやら自分は頭が悪くはないようだったし、かけっこはビリだけど運動が苦手でもなかった。
争いが好きではなく、力も弱かった。
口が上手で、生意気だった。
人の機微に敏感で、優しくもあり、臆病でもあった。


中学に入ると、人見知りの影響でクラスで浮いた存在になっていた。
特別虐められることはなかったが、どうやら嫌われてしまってはいたようだった。
学級委員の嫌なものを見る目付きは今でも記憶に残っている。
運動部に入り、そこでは先輩に嫌われた。理由はわからなかったが、耐えるしかなかった。

辛く悲しい日々が続くかと思ったが、私はそんなに我慢強くはなかった。
私を苦しめた人を虐めた。先輩を怒鳴り散らし、部室の備品を壊して暴れた。
自分の攻撃性を自覚した中学時代だった。

卒業をする頃には友達も増えた。私はどのカーストにも属すことはなかった。
誰とでも遊んで、誰とでも話した。
学業もスポーツも優秀だった。生徒会役員になっていた。
しかし、一番には成れなかった。
恋人もいなかった。誰かにとっての一番でもなかった。

Yとは中学で再開した。
経過した時間は大きく、お互いにどう接していいのかわからなかった。
気持ちと反して、距離が離れていった。
とても寂しかったのを覚えている。
友達を介して、少しずつ僕らも友達に戻っていった。
俺は勉強を教えて、彼は私に野球を教えた。
お互いにとって特別な人間なのだという感覚を持った。

しかしお互いを人生で一度も「親友」だと言ったことはない。
言葉に当てはめられるほど、安い関係ではないと、きっとお互いに思っていたんだろう。


高校では勉強の選抜クラスに入り、運動でも1年生から県大会に出場していた。
しかし案の定クラスに友達はできなかった。
ついでに恋人もできなかった。
一番には、成れなかった。

アニメにのめり込んでみたり、読みもしない小説を描いてみたり、絵を描いてみたり、ホームページを作ってみたり。
私はいろいろなものに手を出してみた。
どうやら自分は絵や色彩のセンスがないらしい。絵だけはどうにもならなかった。
しかしその他のことは、人並みにはできていると錯覚していた。

今にして思えば、自分の世界と人間性を認めてもらいたかったのだと感じる。
器用に何にでもなれる自分の、自分である意味を認めてもらいたかったのかもしれない。


大学生になると、もう一人友達が増えた。
Mは高校の友人で、高校では話したことがない子だった。
大学時代、YとMと私。
奇しくも私たち3人は、それぞれお互いの人生を激変させる経験をすることとなった。
この時期を境に、各々の過去の自分は死に、新しく生まれ変わってしまった。

私は初めて恋人ができた。
とても幸せで、みんなこんなに幸せだから恋人が欲しい、と話すのかと思った。
しかし恋人はいなくなってしまった。急に消えてしまった。
今まで経験したことのない悲しみに苛まれ、青春の経験のない私は抗い方を知らなかった。
頭では理解できても、何も悪いことをしていないのに何故か心は理解してくれなかった。
とても辛くて、みんなこんなに辛いのに平然と生きているのか、と人々の強さに驚嘆した。

YやMがそんな時に支えてくれていた。話を聞いてくれた。

半年後、唐突に彼女からの連絡が届いた。
彼女は病に伏せており、脳に異変をきたしていた。
そのメールの書き方、使う絵文字の違いで、深刻な状態であることを感覚として理解させた。

私と彼女は遠距離だった。
近くにいられない私は、結果的にかのじょを支えきることができなかった。
罪の意識は今でも消えない。


次の恋人ができた。
複雑な環境にいる子だった。悪い男の人に軟禁されていた。
頭をひねって、救出した。
最初は好きではなかった。見て見ぬ振りができなかった。
恋人にならなければ助けられないと思った。
僕は彼氏になった。

幸せで苦しい日々が始まった。
彼女は体を傷つけた。僕も傷ついた。
彼女はなんども浮気をした。僕は傷ついた。
彼女は少しずつ普通の生活を取り戻した。僕は少しずつ自分を切り崩した。
彼女は社会復帰をして、幸せに暮らし始めた。僕は壊れた。

YとMも、壊れた。
大の大人が、泣きながら死を求めた。
死んでしまえるほど、勇気がなかった。
壊れたもの同士、お互いを支えた。
3人は普通の人よりも時間をかけて、世の中に出ていった。

僕はMと約束をした。
その約束が生きる力になった。

社会人になれた。
私はすぐに肩書きを手に入れた。
いろいろな情報と経験を得た。
頭でっかちになっていった。
恵まれていた。
忙しいことは、気にならなかった。
良いことは人のおかげ、悪いことは自分のせい、それが私に染み付いた考え方だった。

愛情は厳しさでもあった。
たくさん叱られた。愛情とわかっていたから、頑張った。
できていないことも自覚していた。

社会人になってから出来た恋人とは結婚を考えていた。
私が忙しすぎた。
私は一人になった。
女性不信になりかけていた私は、最後の恋愛と決めていた。
それも終わってしまった。悲しかったが、どうしようもなかった。

全てが重なったある日、私は首を吊った。
紐が切れて助かった。
人に泣かれた。
病院へ通った。
仕事は続けた。
忙殺されていた方が、楽だった。

私は復活して、仕事を成功させた。
闇を抜けた気がした。

最後の恋人が出来た。
明るく強い女性だった。
前回で最後のつもりだった私だが、生き物の摂理には敵わないらしい。

しかし、気づいてしまった。
女性を女性らしく扱えない。本当はもっと愛情を注ぎたいのに、それができない。
一緒に楽しい時間を過ごすことはできる。
優しくすることはできる。
ただ女性として扱うことができない。

私は彼女の一番には成れなかった。
私は誰かにとっての一番には成れないようだ。

私には代わりがいる。
顔の知らない誰かが、私の代わりをしてくれる。

人並み以上を与えられ、不自由なく生きている。
何も不幸せなことなどない。

精一杯生きてきた。
得たものも、幸せもたくさんあった。

しかし私たちは誰かの1番になりたかった。

この出来事はニュースになるだろうか。
私の名前を、過去出会った人々は聞いてくれるだろうか。
思い出して、代わりがいなかったと、少しでも感じてもらえたら。
少しでも暖かい日々を思い出してくれたら。
私が私であることを願う。
私は私に花を添える。

Mと約束をした。
私は約束を果たす。

「未来は幸せかもしれない。今は頑張って30歳まで生きていこう。
 30歳になった時にもまだ一人だったら、そのときはもう、休もう」

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