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前編
しおりを挟む弘毅とは社内恋愛だった。同期入社で、歳も同じのせいか、恋人というより友達感覚だった。弘毅の家に初めて連れて行かれたのは、結婚の話が出て間もなくだった。広尾にあるその家は、洋館風のしゃれた造りだった。
「……スゴい」
ロートアイアンの門扉の前で私が目を丸くしていると、
「フン。けど、中は大したことないよ」
弘毅は余裕綽々と言った具合に鼻で笑った。
フリルの付いた白いエプロンをした初老の家政婦に迎えられると、弘毅が白と褪紅色を基調にした応接間に案内した。アンティークのベルベットのソファに座っていると、家政婦が舶来のティーポットを運んできた。淹れた紅茶を目の前に置くと一礼して、ステンドグラス入りのドアを閉めた。
白い壁には、クリムトの絵が飾られ、光沢を帯びたアイボリーのサイドボードには、色鮮やかなベネチアングラスが並べられていた。
「素敵なお住まい……」
熱い吐息を漏らしていると、ドアが開いた。そこに現れたのは、藤色のジョーゼットのワンピースに身をくるんだ暁子だった。38歳になる継母だと聞いていたが、予想以上に若々しかった。ミディアムのソフトウェーブを揺らし、気品を漂わせながら、笑みを湛えていた。
「まぁー、素敵なお嬢様」
それが、暁子の第一声だった。私に好印象を受けたのか、弘毅から聞いていた結婚の話に、承諾を仄めかすニュアンスがあった。そして、結婚後の同居の話になった時、私はそれを断った。理由は、暁子のことが嫌だったからではなく、形のない何か漠然とした予感のようなものが同居を拒んだ。
渋谷のTホテルで豪華な結婚式を挙げると、弘毅の実家から程近いマンションに新居を構えた。――
それは、2週間ぐらい経った夕方だった。「同僚に麻雀に誘われたから遅くなる」と、いつもマナーモードにしている携帯に伝言メモがあった。その早口のしゃべり方は、嘘をつく時の弘毅の癖だった。もちろん、当の本人は気付いていない。
……浮気!
直感した。だが、私と結婚した後の浮気ではなく、結婚する以前からの付き合いだと感じた。つまり、他に彼女がいたのに、私と結婚した。……なぜ?私は特に美人でもないし、性格も女らしくない。弘毅を惹きつける魅力があるとは思えない。私のほうも、恋人というよりは友達感覚で付き合っていた。だが、暁子から気に入られ、とんとん拍子に結婚の運びとなった。……私の知らないとこで何かが動いている。俄にそんな考えが湧いた。
当夜、弘毅が帰宅したのは、終電の時刻にでも合わせたのか、0時を過ぎていた。私は狸寝入りをすると、服を脱ぐ弘毅の様子を背中で聴いていた。そこには、私を起こすまいとする、弘毅の配慮が窺えた。私は問い詰めたい感情を抑えるのに必死だった。――浮気相手の正体を掴むために……。
翌朝。食事を作ると、弘毅が起きる頃を見計らって声をかけた。
「弘毅。ご飯できたわよ」
いつもどおりの話し方に努めた。
「……うーう……」
「まだ眠い?だったら後にしようか?食事」
「……いや、起きるよ」
弘毅はそう言って、ダブルベッドの真ん中から羽毛布団を捲った。
「……ごめんな、昨夜は遅くなって」
大根と油揚げの味噌汁を啜りながら、私を一瞥した。
……いつもは、もう少し長いわよ、私を見るの。まともに私を見られないのは、何か後ろめたいことでもしたの?弘毅。
「ううん。だって、麻雀だったんでしょ?」
「ん?あぁ……」
狼狽が窺えた。
「で、どうだったの?」
白菜の漬物と鮭の塩焼きに迷い箸しながら上目を使った。
「な、何が?」
驚いた顔を向けた。
「麻雀よ。ヨかった?」
わざと、意味深な言い方をした。
「あぁ、いってこいだ。ハコテンは免れた」
……また、早口になってるわよ。
「じゃぁ、ヨかったんだ?」
「あぁ……」
「……ね。今日のお休み、久しぶりに出かけない?」
「ああ、そうだな」
話が変わった途端、弘毅の視線は私に真っ直ぐになった。
……ふふふ。正直な人ね、あなたって。
だが、次の金曜日も、麻雀の連絡があった。今度は録音ではなく、メールだった。
……口下手が災いして、喋ればバレるのではと危惧したの?もうとっくにバレてるわよ。
次の金曜日もまた麻雀だろうと推測した私は、翌週の金曜日、会社の前にあるコンビニで雑誌を立ち読みしながら、弘毅が出てくるのを待った。案の定、退社時間になると携帯がバイブし、開くといつもの文言のメールがあった。間もなくして、自動ドアから社員達が出てきた。ところが、弘毅の顔は数人の連れの中にあった。
……えっ!麻雀はホントだったの?私の勘違い?
そう思いながら、取り敢えず後を追った。人混みに紛れながら尾行していると、弘毅がいる固まりから、笑い声や軽口が聞こえてきた。ところが、地下鉄の入り口まで来ると、弘毅だけが皆と別れ、階段を下りた。
……やっぱり、麻雀は嘘だった。さて、どこに行くのかしら。今夜、浮気相手を突き止めてやる。
だが、弘毅が乗ったのは日比谷線だった。
……えっ!気が変わって自宅に帰るの?どうしよう、私が先に帰る方法はないかしら……。
隣の車両から弘毅を監視しながら、方法を考えているうちに、あっという間に広尾に着いた。弘毅が降りたのを確認すると、数人挟んで後ろについた。
……ああ、もう駄目だ、追い越せない。仕方ない、友達に会ってたことにしよう。
弘毅の足は自宅に向かっていた。だが、弘毅が鍵を使って入ったの自宅ではなかった。――
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