蹉跌/通りすぎた女たち

紫 李鳥

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 青春時代を振り返ると、そこには汚泥と虚飾にまみれた己れの醜態しかなかった。

 当時の生きざまをひと言で語るなら、“自由奔放”それがぴったりの表現だろうか……。

 新宿にあった小さなナイトクラブで専属のバンドをやっていた俺は、当時の流行歌を歌いながら、青春を謳歌していた。



「ね、ユキオ。赤ちゃんできちゃった」

 そう、俺に告げた短大生のマキには、深刻さの一欠片もなかった。日常会話の一つのように、かったるそうに煙草をふかしながら無表情の顔を向けていた。

「みんなにカンパ頼むから、堕ろせよ」

 俺はギターのコードをいじりながら、ぶっきらぼうに答えた。

「……うん。分かった」

 マキの返事すら、俺は上の空で聞いていた。店で歌うポップスを口遊くちずさみながら。

 風呂もない安アパートで、中絶手術を明日に控えたマキを抱きながら、そろそろ潮時だな。そんなことを考えていた。

 当時は二股、三股は当然と言った具合に、平然と、女たちのアパートを行き来していた。

 行きつけのジャズバーで女と飲んでいる時に、同時進行の女と鉢合わせというケースも度々だった。からと言って、トラブルになることはなかった。

 俺が短気で、冷たい男だというのを女たちは把握していたのだ。つまり、感情的になって揉め事を起こせば、即、別れに繋がると言うことを。

 惚れた男を失いたくない女たちは、大人の振りをして感情を抑制する。それをいいことに、俺は更に図に乗る。そんな繰り返しだった。

 だが、そんないい加減な俺にも好きな女ができた。

 あれは、晩秋の頃だった。――




 カウンターの隅に座っていた女は、バーテンと喋るでもなく、ただカクテルグラスを傾けていた。

 その横顔はどことなく淋しげで、“憂愁”という言葉をイメージさせた。

 少し歳上だろうか、失恋でもしたのかな。そんなことを思いながら、ギターを弾いていた。

 一回目のステージを終えると、その女と間隔を置いて座った。

「お疲れさん」

 バーテンの相楽が声をかけた。

「あ、お疲れさまです。コーラを」

「はいよ」

 三十過ぎだろうか、ポマードをべっとりつけた七三分けの相楽のオリジナルカクテルは、若い女の客に人気があった。

 ボトル棚のガラスに映った女を視ると、物思いにふけるかのように、視線を落としていた。

「はい、お待ち」

 相楽はコーラが入ったグラスを置くと、キッチンに入った。

「……あのう、リクエストとかないですか?」

 女に声をかけてみた。

 顔を向けた女の目は、深い森のように暗かった。

「え?」

 俺の言葉が耳に入ってなかったようだった。

「あ、僕、バンドをやってる者ですけど、何かリクエストとかありませんか?」

「そうね。……じゃ、『青い影』を」

 そう言って、女は少し微笑んだ。

「オッケーです。僕もその曲好きです」

 俺の返答に、女は微笑んだまま横顔を向けた。

 藤色のセーターに黒のスカートとブーツ。……OLかな?

「よく来るんですか?ここ」

「ううん、初めてよ」

 女はチラッと俺を見ると、すぐに顔を戻した。

「店の名前が気に入ったとかで?」

「ううん、通り道なの。どんな店かなって思って入ってみたの」

 女は横顔のままで言った。

「……また、来てくださいね。これを切っ掛けに」

「え。たまに来るわ」

 女は微笑んだ目を俺に向けていた。

 優しい眼差しだけど、どことなく淋しげな微笑びしょうだと思った。

「あ、時間だ。じゃ、歌ってきます」

 俺は腕時計に目をやると、腰を上げた。

「ええ……」



 曲が流れると、間接照明のテーブルで語らっていたアベックがフロアにやって来て、チークダンスを始めた。

 俺が『青い影』を歌い始めて間もなく、泣いているのか、カウンターの女は手で口を覆うと、うつむいた。



 俺の歌が終わるのと同時に、女は腰を上げた。勘定を済ませ、ボーイから受け取った黒いコートを着ると、笑顔で俺の方に手を振りながらドアの向こうに消えた。

 それからというもの、ずっとその女のことが気になっていた。
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