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しおりを挟む岩城聡は、強盗殺人の容疑で内藤忠嗣を追っていた。忠嗣には傷害事件の前歴があり、犯行現場に残されていた指紋から特定するのは容易だった。
当時の現住所になっていた熱海の実家にやって来た岩城は、表札の〈内藤〉を確認すると、塩害で錆び付いたような木造の二階建ての玄関チャイムを押した。出てきたのはその古い佇まいに不釣り合いの派手な顔立ちの女だった。
「どなた?」
訝しげな目を向けた。
「……内藤忠嗣さんの実家でしょうか」
岩城は警察手帳を女の視線に合わせた。
「えぇ、そうですが」
四十前後だろうか、女は赤い唇をすぼめた。
「失礼ですが、内藤忠嗣さんとの関係は?」
「俗に言う、継母です」
薄ら笑いを浮かべた。
「……息子さんはいらっしゃいますか」
「忠嗣は高校を卒業してすぐに家を出ました。電話はたまにありますが、電話番号も住所も教えてくれなくて。忠嗣が何か?」
「……殺人の容疑です」
「えっ! 殺人?」
女はアイラインとマスカラで輪郭を整えた目を見開いた。
「中へどうぞ」
玄関先で話すような類いではないと判断したのか、女は急いで家に入れた。客間らしき六畳間に通すと、押し入れから座布団を出した。
「どう言うことでしょ?」
女は岩城と座卓を挟んだ。
「新聞は読んでませんか」
「えぇ。主人が亡くなってからは購読は止めました。それに、この数日忙がしくてテレビのニュースを見る時間もなくて。……で、殺人て?」
「一昨日の未明、新宿のアパートで女子大生の遺体が発見されたんです。ドアノブに付着していた指紋から、息子さんが関わっていると断定し、こうやって来た訳です」
概要を語った岩城は、一息ついた感で背広のポケットから煙草を出した。
「……だからと言って忠嗣が真犯人とは限りませんよね」
女は征服したような表情を向けた。
「えっ?」
岩城はライターを持った手を下ろした。
「だって、そうじゃありませんか。その女子大生と付き合っていたかもしれないし、じゃないとしても、強盗に入ったのは忠嗣かもしれないけど、殺しは別の人間という可能性もありますよね」
女の言うことは理に適っていた。
「……」
「指紋の一致と前歴だけで忠嗣を真犯人にするには早計ではないですか? それに、中学の時に同級生と喧嘩して、相手に怪我をさせてますが、相手も非を認めて示談で解決しています。それなのに、真犯人扱いですか?」
逆に取り調べられているようで、岩城は顔を上げられなかった。
「……ですから、あくまでも重要参考人としてーー」
「あら、さっきは容疑者だと仰ってましたよ」
「……」
「とにかく、慎重に捜査してください。乱暴されたのなら精液検査や、その女子大生の交友関係も徹底的に調べてください。すいませんけど、これから仕事なんで」
それは、“早く帰れ”を婉曲に言っていた。岩城は急いで陶器の灰皿に煙草を揉み消すと腰を上げた。
「あ、お名前を」
思い付いたように発した。
「……あずさ。内藤梓です」
そう答えた梓の眼は敵意に満ちていた。
梓に関心を持った岩城は、物陰に隠れると出てくるのを待った。暫くすると、粋に着こなした柿渋色の和服で出てきた。岩城は適度の間隔を空けると、薄暮に浮き上がった白い足袋を印象付けながら緩い坂を上る梓を尾けた。
芸者か? ホステスか? そんなことを考えていると、海沿いにある一軒の引き戸を開けた。
「おはようございます」
梓の声が聞こえた。苔色の暖簾には、〈小料理 千鳥〉とあった。暖簾の隙間から覗くと、板前らしき中年の男が晒し場で手を動かしていた。
……小料理屋で働いているのか。情報を得ると熱海を後にした。ーー新幹線の中で、梓の言ったことをメモしている時だった。岩城はあっと思った。
……待てよ。強盗の件も、暴行の件も梓には言っていない。なのにどうして知ってたんだ? つまり、新聞なりテレビのニュースなりで事件を知っていたことになる。いや、忠嗣本人の口から聞いた可能性もある。……梓という女、油断できないな。岩城はそう思いながら、駅の構内で買った〈天城峠の釜飯〉の蓋を開けた。ーー
岩城は署に戻ると、“現場百遍”を試みた。というのも、梓の言葉が引っ掛かっていた。
・忠嗣が被害者の交際相手だった可能性。
・財布を盗んだだけで、殺害はしていない。
・独り合点で忠嗣を犯人だと断定した。
確かに、指紋から前歴のある忠嗣を犯人だと決めつけていた。仮に真犯人が別にいるとしたら……。岩城は被害者の交友関係を洗い直した。すると、その中の一人に当日のアリバイがない男が出現した。その男は被害者と頻繁に会っているのを目撃されていた。
取り調べた結果、簡単に犯行を認めた。動機は別れ話のもつれで、言い争っているうちにカーッとなって首を絞めてしまった。行きずりの犯行に見せかけるためにバッグから財布を盗んだとのことだった。
真犯人を挙げた岩城はほっとした。まかり間違って忠嗣を逮捕していたら冤罪事件になるところだった。岩城は胸を撫で下ろすと、苦言を呈してそれを阻止してくれた梓に感謝をした。すると突然、梓に会いたくなった。
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