hair/目をつむるのが怖い

紫 李鳥

文字の大きさ
1 / 2

前編

しおりを挟む
 

 設楽沙知絵したらさちえの自慢は、髪。トリートメントを欠かさない濡れ羽色の豊かな髪を、肩甲骨の辺りまで伸ばしていた。しっとりサラサラの髪を武器に、男たちの視線を独り占めにしていた。

「……沙知絵はいいな、髪が多くて。私の3倍はあるわね」

 同僚の松井千華まついちかが、一本に束ねて、鏡越しに見た。

「千華はシャギーしてるからよ。私だってシャギーすれば、……それでもやっぱり、私のほうが多いか」

「でしょう? 少し分けてよ」

「いいよ。その代わり、千華のオッパイ少し分けてよ。私、ペチャだから」

「いいわよ。じゃ、物々交換しよう。はい」

 千華が自分のバストを両手で掴むと、その手を沙知絵のバストに当てた。

「あははは……。じゃあ、私もね」

 沙知絵は、自分の髪を握って抜く真似をすると、その手を千華の頭に付けた。

「あっはは……。げっ、多くなってる」

 鏡を見て、千華が驚いてみせた。

「あら、ホントだ。見て、私のバストもこんな」

 沙知絵がブラウスの胸元を摘まんで引っ張った。

「げっ、ホントだ。AカップがDカップになってんじゃん」

「Cぐらいでいいよ」

「おう、C、C、ダブルシー」

「あははは。ここがトイレだからWC?」

「そう」

「も、笑わせるんだから。私のhairもこの部屋に合う?」

 沙知絵もダジャレで返した。

「あっはは。ええ、合うわよ。だってトイレはレストルームとも言うじゃない。つまり、部屋(ヘア)が付くじゃん」

「うまいっ! スゴい、博学」

「ちょっと、そこの二人、いつまで油売ってんの?」

 そこに現れたのは、経理課のお局、畑中璃子はたなかりこだった。

「はーい」

「今、出るとこでーす」

 千華が鏡越しに舌を出した。――


「ね、ね、沙知絵。知ってる? お局のこと」

 並んで歩いていた千華が小声で言った。

「え? 何、何」

「カ・ツ・ラだって噂」

「えー? あのボブ、カツラなの?」

「そう。だから、風の強い時は帽子被ってくるじゃん。ゴムかなんかで耳に固定してるのかしら? 吹き飛ばされないように。きっとハゲてんだよ。珍しい女ハゲかも。帽子脱ぐのもトイレだし」

「うむ……。そう言えばそうだね」

「ねー? だから、沙知絵の豊かなヘアに嫉妬してるかもよ。常日頃から」

「ヤだぁ。なんか気味悪い」

 沙知絵は鼻に皺を寄せた。――


 そんな時、〈仕事の鬼〉という別名もあるくらいの皆勤賞モノの璃子が会社を休んだ。それも、一週間以上も無断欠勤だった。

 当人と連絡が取れないということで、裏では警察が動いていたのだろうが、社内では、「殺されたのでは」という無責任な噂が立っていた。

 だが、噂通りの結果になった。璃子の焼死体が山中から発見されたのだ。

 遺書が無かったことから、自殺・他殺の両面から捜査された。

 璃子が無断欠勤していた頃、沙知絵に恋人ができた。

 相手は、一年先輩の池田卓哉いけだたくやだった。

 忘年会の帰り、通り道ということで、泥酔した沙知絵をタクシーで送ったのがきっかけだった。

「……さみし……ぃ」

 ベッドの上で、寝言のように呟いた沙知絵の唇を、卓哉が強引に奪った。――


 卓哉と交際してから、沙知絵の身の回りで不思議なことが起き始めた。

 それは、髪を洗っている時だった。人の気配を感じてシャワーカーテンを開けると、閉めたはずのドアが少し開いていた。

 駅でもそうだ。プラットフォームで電車を待っていると、後ろに誰も居ないのに、髪を引っ張られたような気がしたり……。

 それからは、玄関のドアチェーンをして、シャンプーの時は、目をつむるのが怖いので、シャンプーハットを付けて、目を開けたままで洗った。

 顔を洗う時も、目の周りだけ残して、後はメイク落としで片方ずつ拭き取っていた。

 寝る時も、照明を点け、ラジオをタイマーにした。

 なぜだか、卓哉にも千華にも、そのことを話せなかった。

 精神障害者の類いとか、神経質な人間に見られたくなかったからだ。


 そんな日々が一ヶ月ほど続いた時だった。会社の近くにある喫茶店で卓哉とお茶をした。

「少し痩せたか?」

 卓哉が心配そうに聞いた。

「そう? 自分ではよく分からないけど」

 そう返事して、直ぐに目を伏せた。痩せてきたのは沙知絵自身、気付いていた。寝不足に、食欲不振……。

「ちゃんと食べてるか? 外食ばかりじゃ駄目だぞ」

「何よ、お父さんみたいな言い方して。ちゃんと自炊してるわよ」

「ね、今度、手料理ごちそうして」

「……いいけど、何がいいの?」

「そりゃあ、君の十八番さ」

「おあいにくさま。私、セブンティーン止まり。十八番はないの」

「……つまり、手料理はごちそうしたくないってことか?」

「そうじゃないけど、自信ないから……」

「味付けのほうは、君の愛情でチャラにしてあげる」

「……分かったわ」


 二日後の休日、卓哉が遊びに来た。料理本を見ながら作ったぶりの照り焼きを、卓哉は美味しそうに食べていた。

 泊まっていくと言う卓哉は、風呂から上がるとテレビを観ていた。沙知絵もシャワーを浴びることにした。

 卓哉が居る安心感から、普通に顔を洗っている時だった。人の気配を感じて、振り向いた。すると、閉めたはずのドアが少し開いていた。

 ……ヤだ、卓哉が覗いてたのかしら。沙知絵はそう思いながら、目にしみた洗顔フォームをシャワーで流した。


 沙知絵が浴室から出ると、卓哉はベッドに入っていた。さっきのことで不快な思いをした沙知絵は、求めてきた卓哉を拒んでしまった。

 それ以来、卓哉との関係がちぐはぐし出した。沙知絵の性欲が減退したのだ。それはつまり、卓哉との別離を暗示していた。

 そんな時、卓哉が璃子と付き合っていたという話を、千華から聞かされた。それと、璃子にお金を借りていたことも……。つまり、卓哉の犯人説だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

洒落にならない怖い話【短編集】

鍵谷端哉
ホラー
その「ゾワッ」は、あなたのすぐ隣にある。 意味が分かると凍りつく話から、理不尽に追い詰められる怪異まで。 隙間時間に読める短編ながら、読後の静寂が怖くなる。 洒落にならない実話風・創作ホラー短編集。

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

意味が分かると、分からないと怖い話【体験談+】

緑川
ホラー
ショートショートの寄せ集め。 幻想的から現実味溢れるものなど様々、存在。 出来の良し悪しについては格差あるので悪しからず。

処理中です...