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第一章 孵卵
第五話 鴛鴦 5 1-5-4/4 13
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孵卵は試験と呼ばれているが、帰巣本能を発現させるための儀式と言った方が正確かもしれない。
森は人を迷わせる。迷い、惑わせる。全く迷惑な話だが、この森に及んでいる力は千鳥と呼ばれている。
迷いは幾つになっても取り払われないが、惑いは17歳を超えた辺りで自然と取り払われるらしい。
17へ達する前に、この惑いを自ら克服した時、帰巣本能が目覚める。と、クイは解釈していた。
惑いが恐怖として現れる者は多いらしい。人によっては、森へ入った途端に笑い転げたり、歌を奏でたりするそうだが。
トミサでは、森に恐怖を感じられる者こそ鳩の適性が高いと言われている。
なぜなら恐怖とは、叶うことなら打ち勝ちたいものだからだ。
恐怖に打ち勝ち、生へと縋りつこうとする思いが母の声を感じ取らせたのだとクイは信じたかった。
ヤミをはじめとした同僚の鳩に、森での惑いとその克服の過程を尋ねたことはあるが、誰も答えてはくれなかった。
クイだって、あの恥ずかしい経験を語りたくはなかった。とくにヤミには知られたくないことだった。
ユミの場合、千鳥に惑わされた結果、探求心に囚われたのだろうと見ていた。
似た系統の例として、森そのものに母性を見出してしまった受験者がいると聞く。
受験者は木に体を擦り付けたり、大地に口づけたりするなど繰り返し、見ていて気持ちの良いものではなかったそうだ。
それでも命に別状はないと判断し、試験監督はしばらくその経過を観察していた。気づいた頃には受験者は眼に虚ろな影を宿し、危うく廃人となるところだったと言う。
ユミがイチカで暮らし始めた頃、これは森に生気を持っていかれかねないなと思ったクイは、いつ孵卵を打ち切ったものかと機会を伺っていた。
しかし、目安の10日を超えてもユミの眼はイキイキとした光を帯びており、廃人となる気配など微塵も感じさせなかった。
クイとヤミは、ただ颯爽と歩くユミの姿をずっと追いかけてきた。
追いかけたところで、夜にはいつもと同じ洞穴に帰りついている。それに気づいた時は驚愕したものだった。
帰巣本能は、1度目覚めてしまえば2度と眼を閉じることはない。
クイは帰巣本能を得たが、今現在、森のどこにいるのかは把握できていない。一般の村人同様、森を歩いた道のりなど記憶できないのだ。
分かるのはウラヤのある方向だけだった。やろうと思えば、眼を瞑りウラヤに帰り着くことだってできる。
そしてヤミはトミサのある方向が分かっているはずだ。
「ヤミさん。1人でトミサに帰れますか?」
「イヤ! ……なんでそんなこと言うの?」
「……すみません。軽率でした」
クイは鳩になった現在森への恐怖をあまり感じてはいないが、これも人によりけりだ。
惑いの克服の過程によっては、森へ根強い心の傷を残す鳩もいるようだ。
通常、鳩が村の間を渡り歩く時、2人1組で行動する。トミサの鳩とそれ以外の村の鳩との組み合わせだ。
例えば、ウラヤの名産と言えばユミも好きなツツジであるが、ツツジの種をウラヤからラシノへ届けることを考える。
クイとヤミの場合、トミサから発った2人はクイの帰巣本能により、ウラヤへ向かうことになる。ウラヤで仕入れた種をヤミの帰巣本能によってトミサへ届ける。そして、その種はトミサに滞在しているラシノの鳩に引き継がれることで、ラシノへの輸送が可能になるのだ。
すなわち、トミサを中継地とすることで、あらゆる村同士の接続が可能になるのだ。
――まさか、あの洞穴を拠点として帰巣本能が目覚めたのか?
そんなはずはない。帰巣本能が機能する先はその者の出生地だけであるはずだ。
鳩は森を迷わずに歩けると言われてはいるが、ただその者が生まれた地にに向かって歩けるだけだった。
――だとすれば、あの娘はあの洞穴で生まれたのか?
信じがたい話であるが、あわや我が子がそうなりかねない事態である。
クイはただ、ユミの得体の知れなさに呆れていた。
ヤミの悪阻が治まらないまま、ユミとキリが手を繋ぎイチカを発つのが見えた。
――追いかけなくては……。
一歩足を踏み出そうとしたクイの裾をぎゅっとヤミが掴む。
「行かないで……。お願い、クイ……」
「……ヤミさん」
ユミとキリが歩き出した先は、クイの帰巣本能が働く方向から大きく外れていた。ならば、今日も諦めてイチカに戻ってくるだろう。
「私はここにいます」
クイはこの日、孵卵で初めてユミを見失った。
森は人を迷わせる。迷い、惑わせる。全く迷惑な話だが、この森に及んでいる力は千鳥と呼ばれている。
迷いは幾つになっても取り払われないが、惑いは17歳を超えた辺りで自然と取り払われるらしい。
17へ達する前に、この惑いを自ら克服した時、帰巣本能が目覚める。と、クイは解釈していた。
惑いが恐怖として現れる者は多いらしい。人によっては、森へ入った途端に笑い転げたり、歌を奏でたりするそうだが。
トミサでは、森に恐怖を感じられる者こそ鳩の適性が高いと言われている。
なぜなら恐怖とは、叶うことなら打ち勝ちたいものだからだ。
恐怖に打ち勝ち、生へと縋りつこうとする思いが母の声を感じ取らせたのだとクイは信じたかった。
ヤミをはじめとした同僚の鳩に、森での惑いとその克服の過程を尋ねたことはあるが、誰も答えてはくれなかった。
クイだって、あの恥ずかしい経験を語りたくはなかった。とくにヤミには知られたくないことだった。
ユミの場合、千鳥に惑わされた結果、探求心に囚われたのだろうと見ていた。
似た系統の例として、森そのものに母性を見出してしまった受験者がいると聞く。
受験者は木に体を擦り付けたり、大地に口づけたりするなど繰り返し、見ていて気持ちの良いものではなかったそうだ。
それでも命に別状はないと判断し、試験監督はしばらくその経過を観察していた。気づいた頃には受験者は眼に虚ろな影を宿し、危うく廃人となるところだったと言う。
ユミがイチカで暮らし始めた頃、これは森に生気を持っていかれかねないなと思ったクイは、いつ孵卵を打ち切ったものかと機会を伺っていた。
しかし、目安の10日を超えてもユミの眼はイキイキとした光を帯びており、廃人となる気配など微塵も感じさせなかった。
クイとヤミは、ただ颯爽と歩くユミの姿をずっと追いかけてきた。
追いかけたところで、夜にはいつもと同じ洞穴に帰りついている。それに気づいた時は驚愕したものだった。
帰巣本能は、1度目覚めてしまえば2度と眼を閉じることはない。
クイは帰巣本能を得たが、今現在、森のどこにいるのかは把握できていない。一般の村人同様、森を歩いた道のりなど記憶できないのだ。
分かるのはウラヤのある方向だけだった。やろうと思えば、眼を瞑りウラヤに帰り着くことだってできる。
そしてヤミはトミサのある方向が分かっているはずだ。
「ヤミさん。1人でトミサに帰れますか?」
「イヤ! ……なんでそんなこと言うの?」
「……すみません。軽率でした」
クイは鳩になった現在森への恐怖をあまり感じてはいないが、これも人によりけりだ。
惑いの克服の過程によっては、森へ根強い心の傷を残す鳩もいるようだ。
通常、鳩が村の間を渡り歩く時、2人1組で行動する。トミサの鳩とそれ以外の村の鳩との組み合わせだ。
例えば、ウラヤの名産と言えばユミも好きなツツジであるが、ツツジの種をウラヤからラシノへ届けることを考える。
クイとヤミの場合、トミサから発った2人はクイの帰巣本能により、ウラヤへ向かうことになる。ウラヤで仕入れた種をヤミの帰巣本能によってトミサへ届ける。そして、その種はトミサに滞在しているラシノの鳩に引き継がれることで、ラシノへの輸送が可能になるのだ。
すなわち、トミサを中継地とすることで、あらゆる村同士の接続が可能になるのだ。
――まさか、あの洞穴を拠点として帰巣本能が目覚めたのか?
そんなはずはない。帰巣本能が機能する先はその者の出生地だけであるはずだ。
鳩は森を迷わずに歩けると言われてはいるが、ただその者が生まれた地にに向かって歩けるだけだった。
――だとすれば、あの娘はあの洞穴で生まれたのか?
信じがたい話であるが、あわや我が子がそうなりかねない事態である。
クイはただ、ユミの得体の知れなさに呆れていた。
ヤミの悪阻が治まらないまま、ユミとキリが手を繋ぎイチカを発つのが見えた。
――追いかけなくては……。
一歩足を踏み出そうとしたクイの裾をぎゅっとヤミが掴む。
「行かないで……。お願い、クイ……」
「……ヤミさん」
ユミとキリが歩き出した先は、クイの帰巣本能が働く方向から大きく外れていた。ならば、今日も諦めてイチカに戻ってくるだろう。
「私はここにいます」
クイはこの日、孵卵で初めてユミを見失った。
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