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第一章 孵卵
第九話 見舞い 9 1-9-1/3 25
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「先生!」
ヤマの医院の戸がばっと開かれた。
ユミの鼻に生薬の臭いがつんと通り抜ける。決して良い臭いではないが、懐かしい臭いだ。
そして懐かしい人物も居た。ヤマは戸を開けてすぐの式台に腰を掛け、うまそうに茶をすすっていた。
ところがユミの顔を見て噴き出した。
「ユミ!? おまえユミじゃないか! そんでそっちの子は誰だい?」
「先生これ!」
ケンに託された封筒を右手でヤマに突きつける。左手にはミズがくっついたままだった。
「何だい、何だい。これを読めってか? いやユミ、他にも色々あるだろう!」
「えっとね、ナガレでね、ケンがキリをいじめて、アサはちょっと怖いけどミズがべたべたしてきて、ヤミの子が産まれそうなの!」
実際ユミには色々あった。色々ありすぎて支離滅裂だった。
しかし、ヤマには聞き捨てならない名前があった。
「ケン? ケンと言ったかい?」
「そう! でかくて、不潔で、とにかく不愉快な奴!」
「ふゆかいー!」
本人が居ないとはいえ、散々な言いようである。
「確かにあの子は無駄にでかかったが……」
ユミに突き出された封筒を手に取り、その封を切って中の便箋を取り出す。
「あのバカが……」
文に眼を通しながらヤマが呟いた。
「ケンが先生から返事もらって来いって。バーカって伝えとけばいい?」
「ばーか、ばーか!」
ミズは楽しそうにはやし立てる。
「まあ待ちなって、ゆっくり読んだ後でちゃんと書いてやるから」
ヤマが文を眼から離し、それを傍らに置いた。
「お前、一体何をしていた?」
ヤマはユミの顔をじっと見つめ、改めて問う。
「何って、孵卵だけど……」
「そうだよなぁ。……今日はお前が森に運ばれてから何日目だ?」
「……267日目」
「子も産まれちまうよ!」
ヤマの張り上げた声に、思わずミズが両耳を塞ぐ。やっとのことでユミの左手が解放された。
「……お前、よく無事だったねぇ」
「うん。キリがいたからね」
「キリぃ?」
呆れるヤマの声に対して、ユミは誇らしそうだ。
「ボクもいるよ!」
「ミズは今日会ったばかりでしょ!」
ミズが再びユミの手を取ろうとしてきたので、とっさに手を上げた。
ヤマは鳩の職務を終えた今でも、1人で森の中に長くは居たくないと思っている。
孵卵の目安とされる10日間でさえ長いと感じるのだ。
ユミは規格外すぎるが、誰か仲間がいればそれも成し得るのだろうか。
そもそも一体どこでそのキリとやらに出会ったと言うのだろう。さらにはナガレに流れつき、ケンに会い、このミズを伴い、その日のうちにウラヤへ帰ってきたということだ。それができるならさっさと帰って来いと言うものだ。
いずれにしてもウラヤに帰ってきたのならば、孵卵は終了となるはずだ。
「……で、試験は合格で良いのかい?」
「わかんない。クイに怒られちゃった」
「怒られた? クイって言えばお前の試験監督だったよな……。お前、また変なことしたんじゃないか?」
このユミと言う少女、昔から悪知恵の働くところがある。本人に悪気の無いのが質の悪い。
「別に変じゃないよ! 確実にウラヤへ帰れる方法を取っただけ」
やはりユミには悪気など無いようだ。
兎の命をキリと分け合ってからというもの、ユミの中では目的を遂行するために明確な意志を持って行動しなくてはならない、という考えが根付いていた。
あわよくばでは駄目なのだと。目の前の好機を活かさぬ手はないのだと。
キリとともに250日間も森を歩いたのに、ウラヤに辿り着けなかったのだ。闇雲に歩いても孵卵には合格できないと気づいていた。
なんなら、そのせいでナガレと言う魔物たちの巣窟に足を踏み入れてしまった。ならば確実にウラヤへ辿り着く方法を考えるべきなのだ。
ケンがクイに文を手渡した時、これは使えると思った。クイにウラヤまで案内させれば良いのだと。
母の文によると「助けて」と言った時点で試験が打ち切られるはずだ。ユミは「助けて」など一言も言っていない。ケンに捕らわれていたところをクイが出しゃばってきただけだ。
あれが無ければ、程なくしてキリがケンをぶっ飛ばしてくれていたはずなのだ。それが鴛の役目なのだから。
クイが勝手に割り込み、勝手にケンの依頼を受けた。そしてユミはあくまでもアサの指示でウラヤまで辿り着いた。不合格にされるいわれなどない。
「不合格とは言われなかったけど、クイはいじけて家に帰っちゃった」
詳細は不明だが、ユミはクイに一杯食わせたのだろうとヤマは察した。
ユミの言動に圧倒され、つい試験の合否など訊いてしまったがユミにはもっと大事なことがあるはずだ。
「……まあいい。お前、ハコに会ったのかい?」
「まだだけど……」
「早く行ってやりな。ソラに看てもらってるから」
「お母さん病気なの!?」
ユミはやっとことの重大さに気が付いた。そして無意識の内に我が家を避けてしまっていたと思い知る。
ケンの文を早くヤマに届けなくてはならない、という思いでいっぱいで、という言い訳を胸に。
仕方のないことだったとはいえ、ユミにとっては罪悪感があった。267日間も母の元へ帰れていないのだから。
悪いことをしたと思うのなら、真っ先に母の元へ帰るべきだった。
ソラに看てもらっているとなれば具合が悪いのだろう。その原因は容易に察しが付く。
ヤマは式台から立ち上がると、その場で固まっていたユミの両肩を掴み体ごとくるっと回す。ユミの視界には開いたままの戸から外の景色が映る。
「ハコが落ち着いたら戻ってきな。その間に返事を書いてやる」
ユミはその声で我に返り、何も言わず駆け抜けた。
「まってぇ、ユミぃ」
ミズもそれに続いた。
ヤマの医院の戸がばっと開かれた。
ユミの鼻に生薬の臭いがつんと通り抜ける。決して良い臭いではないが、懐かしい臭いだ。
そして懐かしい人物も居た。ヤマは戸を開けてすぐの式台に腰を掛け、うまそうに茶をすすっていた。
ところがユミの顔を見て噴き出した。
「ユミ!? おまえユミじゃないか! そんでそっちの子は誰だい?」
「先生これ!」
ケンに託された封筒を右手でヤマに突きつける。左手にはミズがくっついたままだった。
「何だい、何だい。これを読めってか? いやユミ、他にも色々あるだろう!」
「えっとね、ナガレでね、ケンがキリをいじめて、アサはちょっと怖いけどミズがべたべたしてきて、ヤミの子が産まれそうなの!」
実際ユミには色々あった。色々ありすぎて支離滅裂だった。
しかし、ヤマには聞き捨てならない名前があった。
「ケン? ケンと言ったかい?」
「そう! でかくて、不潔で、とにかく不愉快な奴!」
「ふゆかいー!」
本人が居ないとはいえ、散々な言いようである。
「確かにあの子は無駄にでかかったが……」
ユミに突き出された封筒を手に取り、その封を切って中の便箋を取り出す。
「あのバカが……」
文に眼を通しながらヤマが呟いた。
「ケンが先生から返事もらって来いって。バーカって伝えとけばいい?」
「ばーか、ばーか!」
ミズは楽しそうにはやし立てる。
「まあ待ちなって、ゆっくり読んだ後でちゃんと書いてやるから」
ヤマが文を眼から離し、それを傍らに置いた。
「お前、一体何をしていた?」
ヤマはユミの顔をじっと見つめ、改めて問う。
「何って、孵卵だけど……」
「そうだよなぁ。……今日はお前が森に運ばれてから何日目だ?」
「……267日目」
「子も産まれちまうよ!」
ヤマの張り上げた声に、思わずミズが両耳を塞ぐ。やっとのことでユミの左手が解放された。
「……お前、よく無事だったねぇ」
「うん。キリがいたからね」
「キリぃ?」
呆れるヤマの声に対して、ユミは誇らしそうだ。
「ボクもいるよ!」
「ミズは今日会ったばかりでしょ!」
ミズが再びユミの手を取ろうとしてきたので、とっさに手を上げた。
ヤマは鳩の職務を終えた今でも、1人で森の中に長くは居たくないと思っている。
孵卵の目安とされる10日間でさえ長いと感じるのだ。
ユミは規格外すぎるが、誰か仲間がいればそれも成し得るのだろうか。
そもそも一体どこでそのキリとやらに出会ったと言うのだろう。さらにはナガレに流れつき、ケンに会い、このミズを伴い、その日のうちにウラヤへ帰ってきたということだ。それができるならさっさと帰って来いと言うものだ。
いずれにしてもウラヤに帰ってきたのならば、孵卵は終了となるはずだ。
「……で、試験は合格で良いのかい?」
「わかんない。クイに怒られちゃった」
「怒られた? クイって言えばお前の試験監督だったよな……。お前、また変なことしたんじゃないか?」
このユミと言う少女、昔から悪知恵の働くところがある。本人に悪気の無いのが質の悪い。
「別に変じゃないよ! 確実にウラヤへ帰れる方法を取っただけ」
やはりユミには悪気など無いようだ。
兎の命をキリと分け合ってからというもの、ユミの中では目的を遂行するために明確な意志を持って行動しなくてはならない、という考えが根付いていた。
あわよくばでは駄目なのだと。目の前の好機を活かさぬ手はないのだと。
キリとともに250日間も森を歩いたのに、ウラヤに辿り着けなかったのだ。闇雲に歩いても孵卵には合格できないと気づいていた。
なんなら、そのせいでナガレと言う魔物たちの巣窟に足を踏み入れてしまった。ならば確実にウラヤへ辿り着く方法を考えるべきなのだ。
ケンがクイに文を手渡した時、これは使えると思った。クイにウラヤまで案内させれば良いのだと。
母の文によると「助けて」と言った時点で試験が打ち切られるはずだ。ユミは「助けて」など一言も言っていない。ケンに捕らわれていたところをクイが出しゃばってきただけだ。
あれが無ければ、程なくしてキリがケンをぶっ飛ばしてくれていたはずなのだ。それが鴛の役目なのだから。
クイが勝手に割り込み、勝手にケンの依頼を受けた。そしてユミはあくまでもアサの指示でウラヤまで辿り着いた。不合格にされるいわれなどない。
「不合格とは言われなかったけど、クイはいじけて家に帰っちゃった」
詳細は不明だが、ユミはクイに一杯食わせたのだろうとヤマは察した。
ユミの言動に圧倒され、つい試験の合否など訊いてしまったがユミにはもっと大事なことがあるはずだ。
「……まあいい。お前、ハコに会ったのかい?」
「まだだけど……」
「早く行ってやりな。ソラに看てもらってるから」
「お母さん病気なの!?」
ユミはやっとことの重大さに気が付いた。そして無意識の内に我が家を避けてしまっていたと思い知る。
ケンの文を早くヤマに届けなくてはならない、という思いでいっぱいで、という言い訳を胸に。
仕方のないことだったとはいえ、ユミにとっては罪悪感があった。267日間も母の元へ帰れていないのだから。
悪いことをしたと思うのなら、真っ先に母の元へ帰るべきだった。
ソラに看てもらっているとなれば具合が悪いのだろう。その原因は容易に察しが付く。
ヤマは式台から立ち上がると、その場で固まっていたユミの両肩を掴み体ごとくるっと回す。ユミの視界には開いたままの戸から外の景色が映る。
「ハコが落ち着いたら戻ってきな。その間に返事を書いてやる」
ユミはその声で我に返り、何も言わず駆け抜けた。
「まってぇ、ユミぃ」
ミズもそれに続いた。
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