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第一章 孵卵
第九話 見舞い 9 1-9-3/3 27
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「お母さん?」
ユミは家の中に入り、恐る恐る声をかけた。しかし、返事は返ってこなかった。
覚悟を決めて履き物を脱ぎ、取次へ足をかける。そのまますたすたと歩き、奥の居間へと進む。
そこには板の間で寝そべり、布団をかぶっている人物の姿があった。ユミはいそいそと駆け寄り耳元で声をかける。
「お母さん?」
「……」
わずかに身をよじるのが分かった。
「お母さん! ユミだよ! 私帰って来たよ!」
「……ユミ?」
ハコが眼を開け、大儀そうに首を持ち上げようとする。
「お母さん! 寝てていいよ!」
ユミの制止を振り切り、ハコは腰から上をゆっくりと起こそうとする。
今にもまた倒れてしまいそうなその挙動を見て、ユミは支えるように母へ抱きつき引き寄せた。その体はユミの力でもとても軽く感じた。
「お母さん!」
「……ユミ? ほんとにユミなの?」
「そうだよ!」
ハコの両腕ががばっとユミの体を囲う。
「ユミ、ああ、私のユミ!」
「お母さん。ごめんね、ごめんね。遅くなっちゃってごめんね」
ユミの眼から涙がばっと溢れ出した。
「ユミ……、ありがとう。ちゃんと帰ってきてくれたんだね……」
ユミは帰ってから母に話したいことがたくさんあった。母親にすごいね、がんばったねと褒めてもらいたかった。
でももうどうでも良くなった。ありがとうの一言で全てが許される気がした。あれだけの期間、母を一人にさせたのに。
「お母さん、大好き」
「ユミ……、愛してる」
――――
一通りお互いの体温を感じ合った後、母娘は同じ布団の中で横になった。
「思い出すわね、ユミが旅立つ前夜のこと」
ユミの顔がぽっと熱くなる。
「もぉ、忘れてよぉ」
ユミがはっきりと覚えているのは、茶の甘さに火照り、母と一緒に寝ることを縋ったところまでだ。ユミの記憶力を以てしても、その後の言動はほとんど夢の中だった。
今は茶の力を借りなくても、母に甘えていいのだという気になっていた。
「あれから何日経ったのかしら……」
「267日だよ」
「そう……。ちゃんとご飯食べてた?」
「うん。先生に教わった通りやったよ。お母さんこそ食べてた?」
やはり、ハコの体はやせ細ってしまったように感じる。ユミがいないせいで食事も喉を通らなかったのではないだろうか。
「ソラのおかげで何とかね」
「ソラは毎日来てくれたの?」
もう嫉妬などではない。ちゃんとソラに感謝しなければという思いからの発言だ。
「ええでも、ソラには謝らないといけないわね……」
ソラは先ほどユミの代わりにはなれなかったと言っていた。言葉を選ばずに言えばハコはソラを娘だとは思えなかったということだろう。
それをソラが汲み取ってしまったのだから、多少なりとも態度に現れてしまったということか。
「大丈夫、ソラは優しい子だよ」
「ええ、そう。本当にそう」
ハコの眼が潤み始める。それを見てユミは母の体をぎゅっと抱く。
――やっぱり、お母さんってこういうものだよな……。
ユミが母親という立場に違和感を覚えたのは、言うまでも無くラシノでアイに出会った時だ。
アイは娘でもないユミに異常な愛情を示し、息子であるはずのキリのことはなおざりにした。
一方ハコは、娘ではないソラのことをやはり娘だとは思えず、娘であるユミを見て大いなる安堵を覚えた。
全くの対極であると言って良いだろう。この違いは何なのだろう。ヤマなら分かるのだろうか。
とにかく、ユミにはまだ分からないことがあるのだと改めて感じた。
まだ孵卵を不合格になったわけじゃない。必ず鳩になり、まだまだ知らないことを学んでいこうとユミは思うのだった。
しばらく密着を続けていたが、やがて規則正しく母の胸が動き始めるのを感じた。寝てしまったのだろう。
「お母さんごめんね。また戻ってくるから」
ゆっくりと母に絡めていた腕を解き、もぞもぞと布団から這い出た。
はだけてしまった布団を、丁寧にハコの体の上へとかけてやる。
抜き足差し足で玄関へと向かい履物に足を通した。音を立てないようにゆっくりと戸を開くと、そこにはソラと桶を持ったミズが立っていた。
「うわっ」
ミズが驚いて後ろへ転びそうになるのをとっさにソラが受け止め、ユミは桶の方を捕えた。
「ソラ、居たの?」
「ごめんね。邪魔しちゃ悪いかなと思って」
ユミは黙って頷いた。ソラの気遣いに感謝を込めて。
「これから先生のところにもどらないといけないの」
「分かった。ハコさんのことは見てるから。ミズくんも一緒においで」
「うん!」
ミズは元気に頷いてから、ユミが持っていた桶を受け取った。そしてユミに向かってぺこりと頭を下げた。
「ユミ、ごめんね」
「えっと……、何が?」
ミズの殊勝な態度にユミはあっけに取られてしまう。
「ほら、ユミ。ミズくん、ユミにいろいろ迷惑かけたから謝りたいんだって」
「あ……、そう。いいよ、もう気にしてないから」
ミズは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ユミ。これからも仲良くしてくれる? ……もちろん抱き着いたりしないから」
「……はい、はい。ミズ、仲良くしようね」
ユミはひきつった笑顔を見せた。
あんなに手を焼いていたはずのミズが、ほんの少し見ないうちに豹変してしまっている。
ソラが何かしたのだろうか。ユミはソラのことを末恐ろしく感じてしまった。
――――
ソラと別れた後、まっすぐヤマの医院へ向かった。そして数刻前と同じように戸を開く。
「先生!」
「おう、ユミ。ちょうど書き終わったところだ。持ってお行き」
「ありがとう!」
ヤマから手渡された封筒を懐にしまい、じっとヤマの眼を見据える。
「先生」
「何だい? まだ何かようかい?」
「赤子の取り上げ方を教えて」
ユミは家の中に入り、恐る恐る声をかけた。しかし、返事は返ってこなかった。
覚悟を決めて履き物を脱ぎ、取次へ足をかける。そのまますたすたと歩き、奥の居間へと進む。
そこには板の間で寝そべり、布団をかぶっている人物の姿があった。ユミはいそいそと駆け寄り耳元で声をかける。
「お母さん?」
「……」
わずかに身をよじるのが分かった。
「お母さん! ユミだよ! 私帰って来たよ!」
「……ユミ?」
ハコが眼を開け、大儀そうに首を持ち上げようとする。
「お母さん! 寝てていいよ!」
ユミの制止を振り切り、ハコは腰から上をゆっくりと起こそうとする。
今にもまた倒れてしまいそうなその挙動を見て、ユミは支えるように母へ抱きつき引き寄せた。その体はユミの力でもとても軽く感じた。
「お母さん!」
「……ユミ? ほんとにユミなの?」
「そうだよ!」
ハコの両腕ががばっとユミの体を囲う。
「ユミ、ああ、私のユミ!」
「お母さん。ごめんね、ごめんね。遅くなっちゃってごめんね」
ユミの眼から涙がばっと溢れ出した。
「ユミ……、ありがとう。ちゃんと帰ってきてくれたんだね……」
ユミは帰ってから母に話したいことがたくさんあった。母親にすごいね、がんばったねと褒めてもらいたかった。
でももうどうでも良くなった。ありがとうの一言で全てが許される気がした。あれだけの期間、母を一人にさせたのに。
「お母さん、大好き」
「ユミ……、愛してる」
――――
一通りお互いの体温を感じ合った後、母娘は同じ布団の中で横になった。
「思い出すわね、ユミが旅立つ前夜のこと」
ユミの顔がぽっと熱くなる。
「もぉ、忘れてよぉ」
ユミがはっきりと覚えているのは、茶の甘さに火照り、母と一緒に寝ることを縋ったところまでだ。ユミの記憶力を以てしても、その後の言動はほとんど夢の中だった。
今は茶の力を借りなくても、母に甘えていいのだという気になっていた。
「あれから何日経ったのかしら……」
「267日だよ」
「そう……。ちゃんとご飯食べてた?」
「うん。先生に教わった通りやったよ。お母さんこそ食べてた?」
やはり、ハコの体はやせ細ってしまったように感じる。ユミがいないせいで食事も喉を通らなかったのではないだろうか。
「ソラのおかげで何とかね」
「ソラは毎日来てくれたの?」
もう嫉妬などではない。ちゃんとソラに感謝しなければという思いからの発言だ。
「ええでも、ソラには謝らないといけないわね……」
ソラは先ほどユミの代わりにはなれなかったと言っていた。言葉を選ばずに言えばハコはソラを娘だとは思えなかったということだろう。
それをソラが汲み取ってしまったのだから、多少なりとも態度に現れてしまったということか。
「大丈夫、ソラは優しい子だよ」
「ええ、そう。本当にそう」
ハコの眼が潤み始める。それを見てユミは母の体をぎゅっと抱く。
――やっぱり、お母さんってこういうものだよな……。
ユミが母親という立場に違和感を覚えたのは、言うまでも無くラシノでアイに出会った時だ。
アイは娘でもないユミに異常な愛情を示し、息子であるはずのキリのことはなおざりにした。
一方ハコは、娘ではないソラのことをやはり娘だとは思えず、娘であるユミを見て大いなる安堵を覚えた。
全くの対極であると言って良いだろう。この違いは何なのだろう。ヤマなら分かるのだろうか。
とにかく、ユミにはまだ分からないことがあるのだと改めて感じた。
まだ孵卵を不合格になったわけじゃない。必ず鳩になり、まだまだ知らないことを学んでいこうとユミは思うのだった。
しばらく密着を続けていたが、やがて規則正しく母の胸が動き始めるのを感じた。寝てしまったのだろう。
「お母さんごめんね。また戻ってくるから」
ゆっくりと母に絡めていた腕を解き、もぞもぞと布団から這い出た。
はだけてしまった布団を、丁寧にハコの体の上へとかけてやる。
抜き足差し足で玄関へと向かい履物に足を通した。音を立てないようにゆっくりと戸を開くと、そこにはソラと桶を持ったミズが立っていた。
「うわっ」
ミズが驚いて後ろへ転びそうになるのをとっさにソラが受け止め、ユミは桶の方を捕えた。
「ソラ、居たの?」
「ごめんね。邪魔しちゃ悪いかなと思って」
ユミは黙って頷いた。ソラの気遣いに感謝を込めて。
「これから先生のところにもどらないといけないの」
「分かった。ハコさんのことは見てるから。ミズくんも一緒においで」
「うん!」
ミズは元気に頷いてから、ユミが持っていた桶を受け取った。そしてユミに向かってぺこりと頭を下げた。
「ユミ、ごめんね」
「えっと……、何が?」
ミズの殊勝な態度にユミはあっけに取られてしまう。
「ほら、ユミ。ミズくん、ユミにいろいろ迷惑かけたから謝りたいんだって」
「あ……、そう。いいよ、もう気にしてないから」
ミズは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ユミ。これからも仲良くしてくれる? ……もちろん抱き着いたりしないから」
「……はい、はい。ミズ、仲良くしようね」
ユミはひきつった笑顔を見せた。
あんなに手を焼いていたはずのミズが、ほんの少し見ないうちに豹変してしまっている。
ソラが何かしたのだろうか。ユミはソラのことを末恐ろしく感じてしまった。
――――
ソラと別れた後、まっすぐヤマの医院へ向かった。そして数刻前と同じように戸を開く。
「先生!」
「おう、ユミ。ちょうど書き終わったところだ。持ってお行き」
「ありがとう!」
ヤマから手渡された封筒を懐にしまい、じっとヤマの眼を見据える。
「先生」
「何だい? まだ何かようかい?」
「赤子の取り上げ方を教えて」
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