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第一章 孵卵
第十三話 選択 13 1-13-1/2 37
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烏達が目覚める前に、森とナガレとの境界で一行は対峙する。
「世話になったな、クイさん」
「いえいえ、こちらこそ。不便な生活でしょうに、すっかりお邪魔してしまいましたね」
ハリの誕生から7日間経過していた。
ナガレで過ごすこの日々を、クイはしおらしい態度でいることを心がけていた。
ミズが帰巣本能に目覚めていないことがばれるのではないかと、内心冷や冷やしていたからだ。
ヤミの体は、何とか森を歩けそうなぐらいまで回復していた。
秘密が露呈する前に、いい加減ナガレを発ちたいところである。
一方のユミは、この空白の時間も仕切りに森へ出たがっていた。その方が気もまぎれるのだろう。
森へ赴くたびにミズを連れ出してくれていたので、ユミの能力について勘づかれることも無かったのだが。
ミズの帰巣本能の発現については、改めてナガレの烏に委ねれば良いだろう。
クイらがいなくなってからその事実に気づいたとて、文句を垂れにウラヤまで追いかけてくることなどできないのだ。
「実は明日、トミサからの使いが来るんだ」
アサがクイへ切り出す。
「ああ、そうなんですね。ちょうど我々が去った後で良かったです」
「全くだ。あんたらのことは話さないようにするよ」
「……ありがとうございます」
クイは心から安堵する。アサの言葉は信用して良いはずだ。
ただでさえユミの孵卵のことをどう報告したものかと考えあぐねていた。ハリの生まれたことが知れたら面倒臭いの騒ぎではない。
「それで、ミズを使いに預けてしまおうと思ってるんだ」
「え……」
さすがに想定外だった。クイは腹黒いが鬼畜ではない。相手が烏と言えど、自らの行いがナガレの未来を潰したと考えると後味が悪い。
「……いいのですか? ミズさんとしばらく会えなくなりますが……」
しばらくどころではない。もう2度と会えなくなるかもしれないのだ。
「ああ。きっかけさえあれば、ミズを早いところここから出してやりたかったんだ」
気持ちは分かる。ミズを男と偽り続けられるのも時間の問題だろう。
「それにな」
アサがハリを抱えたヤミを一瞥する。
「会いたい人にはまた会えるんだったよな?」
「ええ! ミズもアサもそう願えばきっと叶う」
ヤミが無垢な笑顔を見せる。
クイはもう、何も言えなくなった。ヤミは事情を知らないのだ。
「お前……、元気でな」
ケンがユミに声をかける。あくまでも穏やかな表情だ。
「ふん!」
キリと別れ、ナガレに戻って来て以来、ユミはケンと一言も口を聞いていなかった。
アイの元に戻る決断を下したのはキリだ。しかし、ユミは誰かを責めずにはいられなかったのだろう。
「クイ、ヤミ。もう行こ!」
悲しそうな眼をしたケンを振り向きもせず、ユミは森へと足を踏み入れる。それを見失わないようにクイとヤミが続く。
「またね! ユミ!」
ミズの声が静謐な森を切り裂いた。
――――
「ユミさん。ここからあなたの力でウラヤまで帰ることが出来れば、孵卵は合格としましょう。いいですね。ヤミさん」
「ええ。ユミ、もうひと踏ん張り頑張って!」
前を行くユミに向かって2人は声をかける。
クイは確信していた。ユミが難なくウラヤに辿り着けることを。
ヤミは願っていた。ユミとともに鳩として働けることを。
ユミがぴたりと歩を止め振り返る。
「ねえ、ヤミ。ヤミもウラヤまでの道が分からないの?」
「ええ。私に分かるのはトミサのある方向だけ」
それを聞き、ユミはクイの顔を見上げる。
「ごめんね、クイ。クイのこと散々からかっちゃった……」
「いいですよ。別に気にしてませんから」
今更からかわれたこと自体どうでも良いのだが、謝られたことでユミが2人のことをどう見ていたのかが分かってしまう。
ユミはクイよりもヤミを信頼していたのだろう。やはりこの聡い少女は、クイの心の黒い部分を見透かしていたのかもしれない。
「きっと2人は大事なものを迷わないってことだよね」
「はい?」
クイにはユミの言葉の真意が読み取れない。
「私ね、先生から言われたの。鳩になるためには、大事なもののことを思うことだって。それはきっと生まれた場所のことを思えってことだったんだね」
ユミは髪に手をやり、キリのタスキに触れる。
「確かに、あの時はお母さんとソラが大事だった。でも今はキリが大事……、かもしれない」
次いで、ヤミに抱えられたハリを見つめる。
「ねえ、ヤミ。クイとハリどっちか選べって言われたらどうする?」
「え……」
ヤミは明らかな動揺を見せた。ハリとクイの顔を交互に見る。クイは気まずくなって斜め上に目を向ける。
「ごめん。答えなくていいよ」
ユミは言ってしまえばキリに選ばれなかった存在だ。そしてユミも、最終的には自らの意志でキリを手放す決断をした。
「選ばずに済んだ方がいいもんね」
全くもってその通りだ。あわよくば選択などせず全てを手に入れたい。
しかし、あわよくばでは駄目なのだ。本当に手に入れたいもののために、何かを犠牲にする覚悟がいる。
この犠牲との葛藤が人を迷わせるのだろう。森でなくとも人は迷うのだ。
ハリがナガレで生まれたという事実を前に、クイとヤミは選択を迫られている。
無謀にもトミサへハリを連れて行くか、一旦は手放し、ウラヤに預けるか。言うまでも無く、後者を選ぶべきだろう。
とは言えヤミの性格から考えれば、一時たりともハリとは離れたくないと考えるかもしれない。
なんなら、このまま一生トミサへ帰らないとも言い出しかねない。
それはクイにとって、ある意味微笑ましいこととも言える。
クイも母親から選ばれなかった存在だ。今はどうか分からないが、母親はクイを生んだ後も百舌鳥として働くことを選んだと思われる。
母親のいる暮らしがどういう物かは分からないが、ヤミがハリを失うような選択はしてほしくない。
だからこそ、一先ずはハリを手放す選択を受け入れるべきなのだ。
人は選択を迫られると言えど、本当にやりたいことしか選べないのではないだろうか。
選んだ時はさも嫌々ながら決意した、と考えることもあるのだが、それによって得られる利益を期待する。
そしてそれは、決して恥ずべき事でもない。
キリは父親の想いに報いるため、アイとの生活を選んだはずだ。
そうすることで、幼いながらもキリに何か利益があると感じ取ったのかもしれない。そう思わせる何かをケンは吹き込んだのでないだろうか。
確かに長い目で見れば、キリがラシノに戻る選択は正しかった。
ユミはキリをトミサへ連れて行くつもりだったようだが、そんなことが許されるはずもない。
それよりかはユミが鳩となり、キリと再開できる機会を待つのが賢明だろう。
さらに言えば、鳩にならずともユミがキリに会う手段はある。しかし、それは母親をトミサへ連れて行く、という当初の目的を諦めることにもなる。
一方でユミの能力を以てすれば、母親とキリとの両方を掴み取る未来を描けるのではないだろうか。
もはやクイはユミに魅了されていた。ユミが鳩となり、自身の希望を叶える姿を見てみたいとまで思っていた。
クイとヤミは何も答えないでいたが、やがてユミが口を開く。
「キリには会いたい。でも、今は選んじゃ駄目なんだと思う。だから……」
ユミはクイとヤミに背を向け、まっすぐウラヤのある方向を見据えた。
「お母さんを選ぶ」
ユミは本能に導かれるのではなく、自らの意志で帰巣する。
「世話になったな、クイさん」
「いえいえ、こちらこそ。不便な生活でしょうに、すっかりお邪魔してしまいましたね」
ハリの誕生から7日間経過していた。
ナガレで過ごすこの日々を、クイはしおらしい態度でいることを心がけていた。
ミズが帰巣本能に目覚めていないことがばれるのではないかと、内心冷や冷やしていたからだ。
ヤミの体は、何とか森を歩けそうなぐらいまで回復していた。
秘密が露呈する前に、いい加減ナガレを発ちたいところである。
一方のユミは、この空白の時間も仕切りに森へ出たがっていた。その方が気もまぎれるのだろう。
森へ赴くたびにミズを連れ出してくれていたので、ユミの能力について勘づかれることも無かったのだが。
ミズの帰巣本能の発現については、改めてナガレの烏に委ねれば良いだろう。
クイらがいなくなってからその事実に気づいたとて、文句を垂れにウラヤまで追いかけてくることなどできないのだ。
「実は明日、トミサからの使いが来るんだ」
アサがクイへ切り出す。
「ああ、そうなんですね。ちょうど我々が去った後で良かったです」
「全くだ。あんたらのことは話さないようにするよ」
「……ありがとうございます」
クイは心から安堵する。アサの言葉は信用して良いはずだ。
ただでさえユミの孵卵のことをどう報告したものかと考えあぐねていた。ハリの生まれたことが知れたら面倒臭いの騒ぎではない。
「それで、ミズを使いに預けてしまおうと思ってるんだ」
「え……」
さすがに想定外だった。クイは腹黒いが鬼畜ではない。相手が烏と言えど、自らの行いがナガレの未来を潰したと考えると後味が悪い。
「……いいのですか? ミズさんとしばらく会えなくなりますが……」
しばらくどころではない。もう2度と会えなくなるかもしれないのだ。
「ああ。きっかけさえあれば、ミズを早いところここから出してやりたかったんだ」
気持ちは分かる。ミズを男と偽り続けられるのも時間の問題だろう。
「それにな」
アサがハリを抱えたヤミを一瞥する。
「会いたい人にはまた会えるんだったよな?」
「ええ! ミズもアサもそう願えばきっと叶う」
ヤミが無垢な笑顔を見せる。
クイはもう、何も言えなくなった。ヤミは事情を知らないのだ。
「お前……、元気でな」
ケンがユミに声をかける。あくまでも穏やかな表情だ。
「ふん!」
キリと別れ、ナガレに戻って来て以来、ユミはケンと一言も口を聞いていなかった。
アイの元に戻る決断を下したのはキリだ。しかし、ユミは誰かを責めずにはいられなかったのだろう。
「クイ、ヤミ。もう行こ!」
悲しそうな眼をしたケンを振り向きもせず、ユミは森へと足を踏み入れる。それを見失わないようにクイとヤミが続く。
「またね! ユミ!」
ミズの声が静謐な森を切り裂いた。
――――
「ユミさん。ここからあなたの力でウラヤまで帰ることが出来れば、孵卵は合格としましょう。いいですね。ヤミさん」
「ええ。ユミ、もうひと踏ん張り頑張って!」
前を行くユミに向かって2人は声をかける。
クイは確信していた。ユミが難なくウラヤに辿り着けることを。
ヤミは願っていた。ユミとともに鳩として働けることを。
ユミがぴたりと歩を止め振り返る。
「ねえ、ヤミ。ヤミもウラヤまでの道が分からないの?」
「ええ。私に分かるのはトミサのある方向だけ」
それを聞き、ユミはクイの顔を見上げる。
「ごめんね、クイ。クイのこと散々からかっちゃった……」
「いいですよ。別に気にしてませんから」
今更からかわれたこと自体どうでも良いのだが、謝られたことでユミが2人のことをどう見ていたのかが分かってしまう。
ユミはクイよりもヤミを信頼していたのだろう。やはりこの聡い少女は、クイの心の黒い部分を見透かしていたのかもしれない。
「きっと2人は大事なものを迷わないってことだよね」
「はい?」
クイにはユミの言葉の真意が読み取れない。
「私ね、先生から言われたの。鳩になるためには、大事なもののことを思うことだって。それはきっと生まれた場所のことを思えってことだったんだね」
ユミは髪に手をやり、キリのタスキに触れる。
「確かに、あの時はお母さんとソラが大事だった。でも今はキリが大事……、かもしれない」
次いで、ヤミに抱えられたハリを見つめる。
「ねえ、ヤミ。クイとハリどっちか選べって言われたらどうする?」
「え……」
ヤミは明らかな動揺を見せた。ハリとクイの顔を交互に見る。クイは気まずくなって斜め上に目を向ける。
「ごめん。答えなくていいよ」
ユミは言ってしまえばキリに選ばれなかった存在だ。そしてユミも、最終的には自らの意志でキリを手放す決断をした。
「選ばずに済んだ方がいいもんね」
全くもってその通りだ。あわよくば選択などせず全てを手に入れたい。
しかし、あわよくばでは駄目なのだ。本当に手に入れたいもののために、何かを犠牲にする覚悟がいる。
この犠牲との葛藤が人を迷わせるのだろう。森でなくとも人は迷うのだ。
ハリがナガレで生まれたという事実を前に、クイとヤミは選択を迫られている。
無謀にもトミサへハリを連れて行くか、一旦は手放し、ウラヤに預けるか。言うまでも無く、後者を選ぶべきだろう。
とは言えヤミの性格から考えれば、一時たりともハリとは離れたくないと考えるかもしれない。
なんなら、このまま一生トミサへ帰らないとも言い出しかねない。
それはクイにとって、ある意味微笑ましいこととも言える。
クイも母親から選ばれなかった存在だ。今はどうか分からないが、母親はクイを生んだ後も百舌鳥として働くことを選んだと思われる。
母親のいる暮らしがどういう物かは分からないが、ヤミがハリを失うような選択はしてほしくない。
だからこそ、一先ずはハリを手放す選択を受け入れるべきなのだ。
人は選択を迫られると言えど、本当にやりたいことしか選べないのではないだろうか。
選んだ時はさも嫌々ながら決意した、と考えることもあるのだが、それによって得られる利益を期待する。
そしてそれは、決して恥ずべき事でもない。
キリは父親の想いに報いるため、アイとの生活を選んだはずだ。
そうすることで、幼いながらもキリに何か利益があると感じ取ったのかもしれない。そう思わせる何かをケンは吹き込んだのでないだろうか。
確かに長い目で見れば、キリがラシノに戻る選択は正しかった。
ユミはキリをトミサへ連れて行くつもりだったようだが、そんなことが許されるはずもない。
それよりかはユミが鳩となり、キリと再開できる機会を待つのが賢明だろう。
さらに言えば、鳩にならずともユミがキリに会う手段はある。しかし、それは母親をトミサへ連れて行く、という当初の目的を諦めることにもなる。
一方でユミの能力を以てすれば、母親とキリとの両方を掴み取る未来を描けるのではないだろうか。
もはやクイはユミに魅了されていた。ユミが鳩となり、自身の希望を叶える姿を見てみたいとまで思っていた。
クイとヤミは何も答えないでいたが、やがてユミが口を開く。
「キリには会いたい。でも、今は選んじゃ駄目なんだと思う。だから……」
ユミはクイとヤミに背を向け、まっすぐウラヤのある方向を見据えた。
「お母さんを選ぶ」
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