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紫煙の宴
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茗渓は後宮の廊下を慌てて駆けていた。突然の呼び出しだった。心臓が激しく脈打ち、頭の中は不安でいっぱいになる。
「処刑される!?あの後宮で畑を作ったことで咎められて……もしかして、命を奪われるの!?」
後宮に蔓延る噂が頭の中を駆け巡る。冗談ではない。茗渓は必死に自分の身を守る方法を考えようとした。
だが、御座の間に呼ばれた茗渓の目に映ったのは、意外にも穏やかな皇帝の姿だった。
「蘭妃、近日、皇太后が主催する『紫煙の宴』がある。出席してもらいたい」
皇帝の言葉に、茗渓は驚きを隠せなかった。
「え、ええっ!?わ、私が……あの、冷宮送りになった者が……?」
しかし皇帝は淡々と続けた。
「麗妃が頼んだことだ。彼女はお前のことを気にかけている」
茗渓は安堵の息をついたと同時に、麗妃への感謝が胸に込み上げた。
「わかりました、必ず出席いたします」
彼女の心はまだ揺れていたが、少しだけ希望の光が差し込んだのだった。
夜空に、雲ひとつなく満月が輝いていた。
怜花宮の庭は、銀色の月光に包まれ、いつも以上に静けさが満ちていた。茗渓は、翌日に控えた宴のことで胸がざわつき、眠れずにいた。
「本当に私が行っていいものなのかしら……」
自問しながら、縁側に腰を下ろして月を見上げる。
そのときだった。
背後からふわりと風が吹き、茗渓は何気なく振り返った。そして息を呑む。
人間の姿をした怜綾だった。
「明日の紫煙の宴には、必ず出席しろ」
「……え?」
「皇太后と、お前が直接顔を合わせられる唯一の機会だ。高妃の目の前に立て。……それが、呪いを解く鍵に繋がるかもしれない」
茗渓は戸惑い、唇を震わせた。
「でも、私が行けば、逆に狙われたりするかもしれない……」
「……怖いなら、それでいい。だが、怯えるだけで何も掴めぬままでは、君は何のためにここにいる?」
(この女は、脆そうで、芯はまっすぐすぎるほどだ)
(……だから、賭けてみたいのかもしれない)
怜綾は茗渓の手を取らなかった。ただ、月光の下で、まっすぐに言葉だけを投げた。
「君は、もうただの“悪妃”ではない。……自分の意思で歩け、茗渓」
その声に、茗渓はゆっくりと頷いた。
「……わかったわ。明日、行く。私の目で見て、確かめたいことがあるから」
月が高く輝き、二人の影を長く引き伸ばしていた。
「──とにかく、気を抜くな。高妃の動き、何かあるはずだ」
そう言って、怜綾は組んだ腕をほどき、障子越しに仄白くなりはじめた空を見やる。
「……そんなに心配してくれてるんだ?」
「誰が心配した。君が勝手に暴走して、無用に高妃の逆鱗に触れるのが厄介なだけだ」
「ふふ、でも“もしもの時”には助けてくれるんでしょ?」
「……昼は人の姿にはなれん。期待するな」
それを聞いて、茗渓は大げさにのけぞって見せた。
「えぇー!?じゃあ誰が私を守るのよ!」
「……だから言ったろう。屋根の上から、猫の姿で見張ってやると」
「見張ってるだけ!?」
「鳴いて警告くらいはできる」
「全ッ然頼りにならないじゃん!」
思わず茗渓が突っ込むと、怜綾は珍しくほんの少しだけ口元を緩め、わずかに笑みを浮かべた。
「……それでも、君ならやれるだろう。案外、肝が据わっているからな」
その言葉に、茗渓は目を瞬かせる。けれど、それに返す前に、怜綾の身体にふわりと月の気がまとわりついた。
「……あ、もう……時間?」
「……ああ」
その言葉を最後に、怜綾の姿はふっとかき消すように縮まり、次の瞬間には白猫がぽつんと畳の上に座っていた。
「……行ってこい。俺は、屋根の上から見てる」
(心配など、していない。ただ──)
(……あんな女のために、妙に胸がざわつくのが、癪なだけだ)
猫の瞳に月の余光が揺れる。
その視線を受け止めるように、茗渓はゆっくりと頷いた。
「じゃあ……いってくる。見ててね」
そう言って、朝の支度へと歩き出す。
背後の黒猫は、黙って座ったまま、彼女の背中を見送っていた──。
茗渓は淡い薄紫色の絹の衣を身に纏っていた。袖口と裾には繊細な銀糸で月の模様が刺繍されている。その上からは薄絹の羽織をさらりと羽織り、控えめながらも品のある装いだ。髪は黒く長く、後ろで簡素にまとめられ、かすかに薄香が漂っていた。
普段の粗末な服装とは違い、後宮に相応しい礼装に身を包まれた自分を鏡に映して、茗渓は少しだけ緊張と戸惑いを覚えた。
「これで本当に後宮の人間の仲間入りをするのだろうか……」
心の中でそう呟きながらも、どこか遠くに期待もあった。麗妃の頼みで皇帝から招かれたとはいえ、冷宮に幽閉された悪妃の自分に対する周囲の目は冷たいに違いない。
一歩一歩、重く響く足音が後宮の廊下にこだまする。
「今日はどんな出会いがあるのだろう……」
不安と希望が入り混じる心を抱えて、茗渓は紫煙の宴が開かれる宴会場へ向かっていった。
「処刑される!?あの後宮で畑を作ったことで咎められて……もしかして、命を奪われるの!?」
後宮に蔓延る噂が頭の中を駆け巡る。冗談ではない。茗渓は必死に自分の身を守る方法を考えようとした。
だが、御座の間に呼ばれた茗渓の目に映ったのは、意外にも穏やかな皇帝の姿だった。
「蘭妃、近日、皇太后が主催する『紫煙の宴』がある。出席してもらいたい」
皇帝の言葉に、茗渓は驚きを隠せなかった。
「え、ええっ!?わ、私が……あの、冷宮送りになった者が……?」
しかし皇帝は淡々と続けた。
「麗妃が頼んだことだ。彼女はお前のことを気にかけている」
茗渓は安堵の息をついたと同時に、麗妃への感謝が胸に込み上げた。
「わかりました、必ず出席いたします」
彼女の心はまだ揺れていたが、少しだけ希望の光が差し込んだのだった。
夜空に、雲ひとつなく満月が輝いていた。
怜花宮の庭は、銀色の月光に包まれ、いつも以上に静けさが満ちていた。茗渓は、翌日に控えた宴のことで胸がざわつき、眠れずにいた。
「本当に私が行っていいものなのかしら……」
自問しながら、縁側に腰を下ろして月を見上げる。
そのときだった。
背後からふわりと風が吹き、茗渓は何気なく振り返った。そして息を呑む。
人間の姿をした怜綾だった。
「明日の紫煙の宴には、必ず出席しろ」
「……え?」
「皇太后と、お前が直接顔を合わせられる唯一の機会だ。高妃の目の前に立て。……それが、呪いを解く鍵に繋がるかもしれない」
茗渓は戸惑い、唇を震わせた。
「でも、私が行けば、逆に狙われたりするかもしれない……」
「……怖いなら、それでいい。だが、怯えるだけで何も掴めぬままでは、君は何のためにここにいる?」
(この女は、脆そうで、芯はまっすぐすぎるほどだ)
(……だから、賭けてみたいのかもしれない)
怜綾は茗渓の手を取らなかった。ただ、月光の下で、まっすぐに言葉だけを投げた。
「君は、もうただの“悪妃”ではない。……自分の意思で歩け、茗渓」
その声に、茗渓はゆっくりと頷いた。
「……わかったわ。明日、行く。私の目で見て、確かめたいことがあるから」
月が高く輝き、二人の影を長く引き伸ばしていた。
「──とにかく、気を抜くな。高妃の動き、何かあるはずだ」
そう言って、怜綾は組んだ腕をほどき、障子越しに仄白くなりはじめた空を見やる。
「……そんなに心配してくれてるんだ?」
「誰が心配した。君が勝手に暴走して、無用に高妃の逆鱗に触れるのが厄介なだけだ」
「ふふ、でも“もしもの時”には助けてくれるんでしょ?」
「……昼は人の姿にはなれん。期待するな」
それを聞いて、茗渓は大げさにのけぞって見せた。
「えぇー!?じゃあ誰が私を守るのよ!」
「……だから言ったろう。屋根の上から、猫の姿で見張ってやると」
「見張ってるだけ!?」
「鳴いて警告くらいはできる」
「全ッ然頼りにならないじゃん!」
思わず茗渓が突っ込むと、怜綾は珍しくほんの少しだけ口元を緩め、わずかに笑みを浮かべた。
「……それでも、君ならやれるだろう。案外、肝が据わっているからな」
その言葉に、茗渓は目を瞬かせる。けれど、それに返す前に、怜綾の身体にふわりと月の気がまとわりついた。
「……あ、もう……時間?」
「……ああ」
その言葉を最後に、怜綾の姿はふっとかき消すように縮まり、次の瞬間には白猫がぽつんと畳の上に座っていた。
「……行ってこい。俺は、屋根の上から見てる」
(心配など、していない。ただ──)
(……あんな女のために、妙に胸がざわつくのが、癪なだけだ)
猫の瞳に月の余光が揺れる。
その視線を受け止めるように、茗渓はゆっくりと頷いた。
「じゃあ……いってくる。見ててね」
そう言って、朝の支度へと歩き出す。
背後の黒猫は、黙って座ったまま、彼女の背中を見送っていた──。
茗渓は淡い薄紫色の絹の衣を身に纏っていた。袖口と裾には繊細な銀糸で月の模様が刺繍されている。その上からは薄絹の羽織をさらりと羽織り、控えめながらも品のある装いだ。髪は黒く長く、後ろで簡素にまとめられ、かすかに薄香が漂っていた。
普段の粗末な服装とは違い、後宮に相応しい礼装に身を包まれた自分を鏡に映して、茗渓は少しだけ緊張と戸惑いを覚えた。
「これで本当に後宮の人間の仲間入りをするのだろうか……」
心の中でそう呟きながらも、どこか遠くに期待もあった。麗妃の頼みで皇帝から招かれたとはいえ、冷宮に幽閉された悪妃の自分に対する周囲の目は冷たいに違いない。
一歩一歩、重く響く足音が後宮の廊下にこだまする。
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