蘭妃は冷宮生活を満喫中!〜呪いの猫皇子とフシギ生活〜

明夏 向日葵

文字の大きさ
30 / 50

花宴、秘めたる覚悟

しおりを挟む
鳳凰の朱い垂れ幕がそよ風に揺れ、後宮の奥にある鳳儀殿では、麗妃の懐妊を祝う華やかな宴が静かに幕を開けようとしていた。

華やかな衣を纏った女官たちが忙しなく立ち働き、次々と運ばれる膳には、山海の珍味と美酒が惜しげもなく並べられる。

その中に――茗渓の姿があった。

(私が、この宴に呼ばれるなんて……)

本来、冷宮に追いやられた妃がこうした宴に招かれることは極めて異例だった。だが、麗妃自身が「冷宮の静けさを知る者こそ、真の言葉をくれるだろう」と、わざわざ名指しで招いたのだという。

茗渓は、慎ましやかに頭を垂れて礼をし、静かに席に着いた。

麗妃は変わらぬ優美な笑みを浮かべながら、柔らかく言葉を交わしていた。
その腹元はまだ目立たぬが、確かに新しい命を宿している。

(この子が男の子なら、皇太子は確定……)

「下がります」

麗妃の背後に仕える若い侍女が、膳を両手に持って静かに近づいてきた。

(この光景……どこかで、見たことがある)

茗渓は、心臓がわずかに早まるのを感じた。

(絵巻の――あの場面。そうだ、宴の膳。麗妃に運ばれたその膳に、堕胎薬が――)

脳裏に蘇るのは、かつて自分が“物語”の中で見た恐ろしいシーン。

絵巻の終盤、麗妃の膳に毒を盛ったとして蘭妃が断罪されたあの瞬間。

(でも、その毒――堕胎薬――は、怜花宮にあったはず。私はそれを処分した。もう、使われることなんて……)

――だが。

目の前に運ばれてくる膳。
絵巻と寸分違わぬ角度、同じ銀の器、同じ黒豆と百合根の甘煮、そして湯気の立つ碗。

(いや……おかしい。あれと、同じだ。これ……再現されてる)

ざわり、と背筋を冷気が走った。

(もしも。もしも、怜花宮で処分したのとは別の堕胎薬が、ここに盛られていたとしたら?
物語の筋は、私が捨てた毒なんて最初から“無かったこと”にして、強引に進もうとしてる……?)

茗渓は無意識に、膳を持つ侍女の手を見つめていた。
かすかに指が震えている。

(今、“それは怪しい”なんて言ったところで……誰が、私を信じるの?)

冷宮に住む女。皇帝に見放され、居場所すらない妃。

(この場にいる誰も、私の言葉なんて重く受け取らない。むしろ“場を乱した”って責められる……)

だから――

「……あっ!」

茗渓は立ち上がった瞬間、わざとつま先を滑らせた。

侍女の真横で、ふらりと倒れ込むように。

「きゃっ……!」

ぐらついた侍女の手から、銀の膳が離れ、音を立てて床に落ちた。
器が転がり、汁が飛び、膳の脚が折れてしまう。

「申し訳ありませんっ!!」

茗渓はすぐに地に伏し、深々と額を床につけた。

「す、すぐに膳を……掃除を……!」

場が騒然とする中、茗渓はなおも頭を下げ続けた。

(……たとえ、私が疑った通りに毒が入っていたとしても。それが今、証明されなくても……
麗妃が、それを口にしないで済んだなら――それでいい)

わずかに、視線の端に麗妃の姿が映った。

彼女は驚いたように目を見開きながらも、その奥にはどこか静かな理解の光があった。

「……茗渓。大丈夫ですか?」

「申し訳ありません……つい、足を取られて……」

「……ふふ。こんな宴ですもの、緊張もしますよね。もうよいのです。さあ、新しい膳を用意してくださる?」

その言葉に、場が和らぐ。
女官たちは少し顔を見合わせつつも、侍女に膳の交換を命じる。

麗妃は茗渓の手をそっと取り、静かに笑みを返してくれた。

その笑顔が、茗渓の心を強く、深く打った。

(信じてもらえなくてもいい。でも、私は……“物語の筋”なんかに負けない)

誰にも気づかれぬまま、茗渓は己の信念を、また一つ強く刻み込んでいた。

――それは、目立たぬ戦い。
けれど確かに、未来を守るための、大きな一歩だった。

宴の喧騒の届かぬところ――
怜花宮の屋根の一角。瓦の上に、漆黒の毛並みを月明かりに浮かべた一匹の猫がいた。

怜綾だった。

(…また、妙な真似をして)

彼は琥珀の瞳で、鳳儀殿の庭に広がる宴の場をじっと見下ろしていた。

――まるで何かを守るように。

そしてふと、怜綾の中にあの日の記憶がよぎった。

「夢を見たの」

夜中に血の気の引いた顔で彼女がそう言った、あの日から。

(……あれから、ずっとだ)

茗渓は、どこか怯えているように見えた。
笑っていても、その奥に微かに揺れる影があった。
まるで、見えない何かに追い詰められているかのように。

そしてそれでも、彼女は一人で懸命に抗っている。

誰にも言えない秘密を抱えたまま――。

(君は……いったい、何と戦っているんだ)

怜綾は、唇を噛んだ。

何かを隠しているのは間違いない。けれどそれは、誰かを傷つけるためではなく――
むしろ、誰かを守るための嘘のように見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

私の作るおにぎりが、騎士団の士気を異常に上げています(犯人は副団長)

星乃和花
恋愛
おにぎりを配っただけで、騎士団の士気が異常値になりました。 団長は警戒、監察部は呪術検査、国まで動きかけるのに――副団長だけが平然と断言。 副団長「彼女のご飯は軍事物資です」 私「えっ重い」 胃袋で落ちた策略家副団長の“最適化溺愛”に巻き込まれ、気づけば専属補給係(=婚約)寸前!? ほのぼの爆笑&甘々の騎士団ラブコメです。 (月水金21:00更新ー本編16話+後日談6話)

王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~

しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。 豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。 ――食事が、冷めているのだ。 どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。 「温かいごはんが食べたい」 そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。 地下厨房からの高速搬送。 専用レーンを爆走するカートメイド。 扉の開閉に命をかけるオープナー。 ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!? 温かさは、ホッとさせてくれる。 それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。 冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、 食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ! -

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」

まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。 目が覚めたら、婚約破棄されていた。 理由は「地味で面白みがない」から。 泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。 最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。 でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。 厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。 そして就任スピーチで宣言した。 「500人全員の名前を、覚えます」 冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。 悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。 元婚約者は——後悔し始めていた。 婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。 なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

処理中です...