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春
白い部屋、赤いガーゼ2
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……ひとの声が聞こえる。
頭上からしきりに話しかけてくる声に、まぶたの裏が白く明けていく。
誰が話しているんだろう?
私、どこで何をしているんだろう?
「……」
少しずつはっきりしていく五感に引っ張られて、私はぼんやりしたまま両目を開いた。
「桂、起きた?」
最初に目に入ったのは雪乃の不安そうな顔。次に白い天井、眩しい蛍光灯。数秒して、ここが保健室だと気付く。
「雪乃……私、寝てた?」
「そ。びっくりしたよー、ぜんぜん目覚まさないから死んでるのかと思った」
「……死んでるって……」
縁起でもない、と思っても目覚めたばかりの唇はうまく動いてくれない。時計を見ようと視線を動かしたけど、壁際はちょうどカーテンの影になっていて。
「いま何時?」
掠れた声でたずねると、返事の代わりに銀色の華奢な腕時計が差し出された。
「もうすぐ昼休み終わるとこ。起きられる?」
「うん、多分」
差し伸べられた手につかまって、少しずつ身体を起こす。と、胸元までかけられていた水色のケットがずり落ちた。
「……これ」
体温の馴染んだ布団。きっちり閉じられたカーテン。どちらも自分で整えた覚えのないものだ。
(一体、だれが……)
もやのかかった記憶をたぐると、不意に大きな声が脳裏に閃いた。
『……っ!!、……原、おいっ』
そうだ。気を失う瞬間、黒崎くんが私の名前を呼んで。大きな手が両肩を掴んで。
じゃあ、布団をかけてくれたのも。
「雪乃、黒崎くんは?」
「は?黒崎?」
「うん、さっきまで保健室にいたんだけど」
「あたしが来た時にはいなかったよ」
「そっか……」
「どしたのよ桂、朝から黒崎黒崎って」
あんな奴どうでもいいじゃん。呆れたように言いながらカーテンを開く雪乃。その細い肩越しに、からっぽになったベッドが見えた。
(……黒崎くん、教室に戻ったのかな)
思い出すのは、片手を押さえて俯いていた横顔。
話しかけるなって言われたけど、笑いかけても無視されたけど。でも、倒れた私をベッドに寝かせてくれて、布団までかけてくれた。
そんな風に優しくされると。
(優しいけど不器用、なのかも)
なんて、都合のいいことを考えてしまう。
「次の授業戻れそう?」
「ありがとう。大丈夫」
「じゃあ悪いんだけど、あたし先行くね。スライドの準備しなきゃいけないから」
「あ、雪乃日番だもんね。いってらっしゃい」
申し訳なさそうに頭を下げる雪乃に手を振って、ゆったりした動作で立ち上がる。よく眠ったせいか、さっきまで錆びたロボットみたいだった身体はすっかり軽くなっていた。
ふとソファを見れば、きれいに畳まれた制服が置かれている。きっと雪乃が持ってきてくれたんだ。
(ありがとう、雪乃)
心の中でもう一度お礼を言って、夏用の薄いスカートを手に取る。誰もいないし、ここで着替えちゃってもいいよね。
「……ウエスト、きつくなったような」
始業式の時はぴったりだったスカートのホックが、だんだん窮屈になっている。これから薄着になるのにどうしよう。なんて一人ため息をつきながらファスナーを下げて、片足を通す。
でも。
「え……」
なんとなく部屋のすみを見た私は、予想していなかった光景に目を見開いた。
うっすらホコリをかぶった、プラスチック製の丸いゴミ箱。どの教室にもあるそれの中には使用済みの包帯が無造作に捨てられていた。背筋が寒くなるほど血が付いた包帯が。
「……何これ」
見ているだけでまた貧血を起こしそうな赤いガーゼ。
こんなの、私が来た時にはなかった。ちょっと擦りむいたり、切れたりした程度じゃ流れないたくさんの血。
「一体だれが、こんな……」
慌てて机の上の利用表を見ても、記入された症状は当たりさわりのないものばかり。
体育でこけた。微熱。寝不足。
下へ下へと指をすべらせて、項目を確認していく。すると、ひとつだけ症状の書かれていない段があった。
「あ……」
利き手を怪我したからだろう。ガタガタに歪んだ字で書かれた名前は、私のよく知るものだった。
『1-D 黒崎秀二』
私は息を飲んだ。瞬時に脳裏をよぎる、さっき目にしたばかりの白い包帯。
(これ……黒崎くんの、だったんだ)
強い驚きと、やっぱりという気持ちが同時に湧き上がる。だって、あんなに痛そうにしていたから。
(でも、どうして?)
よっぽどの不運な事故でもない限り、ここまで出血するような傷は負わないはず。それに、怪我のことを聞かれた時、黒崎くんはすぐに目をそらした。まるで問いかけから逃げるように。
一体、なにがあったんだろう。
「…………」
気持ちが落ちつかない。不安にざわめく胸を押さえて、私は何度も歪んだ文字をなぞった。知りたくてしょうがなかった。黒崎くんのことが。彼の真意が。
どうして周りと距離をとるのか。
どうして怪我をしたのか。
傷は痛くないのか。つらくないのか。
(教えてほしい)
小さな泡のように湧き上がる重たい不安と、何かを求める強い気持ち。二つの想いに押し出されて、私はぽつりと呟いた。
「……知りたいよ、黒崎くん」
その気持ちの正体には、気付かないまま。
頭上からしきりに話しかけてくる声に、まぶたの裏が白く明けていく。
誰が話しているんだろう?
私、どこで何をしているんだろう?
「……」
少しずつはっきりしていく五感に引っ張られて、私はぼんやりしたまま両目を開いた。
「桂、起きた?」
最初に目に入ったのは雪乃の不安そうな顔。次に白い天井、眩しい蛍光灯。数秒して、ここが保健室だと気付く。
「雪乃……私、寝てた?」
「そ。びっくりしたよー、ぜんぜん目覚まさないから死んでるのかと思った」
「……死んでるって……」
縁起でもない、と思っても目覚めたばかりの唇はうまく動いてくれない。時計を見ようと視線を動かしたけど、壁際はちょうどカーテンの影になっていて。
「いま何時?」
掠れた声でたずねると、返事の代わりに銀色の華奢な腕時計が差し出された。
「もうすぐ昼休み終わるとこ。起きられる?」
「うん、多分」
差し伸べられた手につかまって、少しずつ身体を起こす。と、胸元までかけられていた水色のケットがずり落ちた。
「……これ」
体温の馴染んだ布団。きっちり閉じられたカーテン。どちらも自分で整えた覚えのないものだ。
(一体、だれが……)
もやのかかった記憶をたぐると、不意に大きな声が脳裏に閃いた。
『……っ!!、……原、おいっ』
そうだ。気を失う瞬間、黒崎くんが私の名前を呼んで。大きな手が両肩を掴んで。
じゃあ、布団をかけてくれたのも。
「雪乃、黒崎くんは?」
「は?黒崎?」
「うん、さっきまで保健室にいたんだけど」
「あたしが来た時にはいなかったよ」
「そっか……」
「どしたのよ桂、朝から黒崎黒崎って」
あんな奴どうでもいいじゃん。呆れたように言いながらカーテンを開く雪乃。その細い肩越しに、からっぽになったベッドが見えた。
(……黒崎くん、教室に戻ったのかな)
思い出すのは、片手を押さえて俯いていた横顔。
話しかけるなって言われたけど、笑いかけても無視されたけど。でも、倒れた私をベッドに寝かせてくれて、布団までかけてくれた。
そんな風に優しくされると。
(優しいけど不器用、なのかも)
なんて、都合のいいことを考えてしまう。
「次の授業戻れそう?」
「ありがとう。大丈夫」
「じゃあ悪いんだけど、あたし先行くね。スライドの準備しなきゃいけないから」
「あ、雪乃日番だもんね。いってらっしゃい」
申し訳なさそうに頭を下げる雪乃に手を振って、ゆったりした動作で立ち上がる。よく眠ったせいか、さっきまで錆びたロボットみたいだった身体はすっかり軽くなっていた。
ふとソファを見れば、きれいに畳まれた制服が置かれている。きっと雪乃が持ってきてくれたんだ。
(ありがとう、雪乃)
心の中でもう一度お礼を言って、夏用の薄いスカートを手に取る。誰もいないし、ここで着替えちゃってもいいよね。
「……ウエスト、きつくなったような」
始業式の時はぴったりだったスカートのホックが、だんだん窮屈になっている。これから薄着になるのにどうしよう。なんて一人ため息をつきながらファスナーを下げて、片足を通す。
でも。
「え……」
なんとなく部屋のすみを見た私は、予想していなかった光景に目を見開いた。
うっすらホコリをかぶった、プラスチック製の丸いゴミ箱。どの教室にもあるそれの中には使用済みの包帯が無造作に捨てられていた。背筋が寒くなるほど血が付いた包帯が。
「……何これ」
見ているだけでまた貧血を起こしそうな赤いガーゼ。
こんなの、私が来た時にはなかった。ちょっと擦りむいたり、切れたりした程度じゃ流れないたくさんの血。
「一体だれが、こんな……」
慌てて机の上の利用表を見ても、記入された症状は当たりさわりのないものばかり。
体育でこけた。微熱。寝不足。
下へ下へと指をすべらせて、項目を確認していく。すると、ひとつだけ症状の書かれていない段があった。
「あ……」
利き手を怪我したからだろう。ガタガタに歪んだ字で書かれた名前は、私のよく知るものだった。
『1-D 黒崎秀二』
私は息を飲んだ。瞬時に脳裏をよぎる、さっき目にしたばかりの白い包帯。
(これ……黒崎くんの、だったんだ)
強い驚きと、やっぱりという気持ちが同時に湧き上がる。だって、あんなに痛そうにしていたから。
(でも、どうして?)
よっぽどの不運な事故でもない限り、ここまで出血するような傷は負わないはず。それに、怪我のことを聞かれた時、黒崎くんはすぐに目をそらした。まるで問いかけから逃げるように。
一体、なにがあったんだろう。
「…………」
気持ちが落ちつかない。不安にざわめく胸を押さえて、私は何度も歪んだ文字をなぞった。知りたくてしょうがなかった。黒崎くんのことが。彼の真意が。
どうして周りと距離をとるのか。
どうして怪我をしたのか。
傷は痛くないのか。つらくないのか。
(教えてほしい)
小さな泡のように湧き上がる重たい不安と、何かを求める強い気持ち。二つの想いに押し出されて、私はぽつりと呟いた。
「……知りたいよ、黒崎くん」
その気持ちの正体には、気付かないまま。
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