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春
転がるバケツ2
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「あんたさあ、謝れって言ってんのがわかんないの?」
朝の喧騒につつまれた下足室。そこに突然、女の子の怒声が響いた。
「あれなに?」
「なんか喧嘩みたいだけど……」
ひそひそと囁かれる声。ざわついていた声が潮のように引いて、急激に空気が張り詰める。
声を上げたのは、傘立ての前で細い腕をくんでいる女の子。つり上がった目、肘をつかむ薄桃の爪。長い髪を逆立てんばかりに怒って、思いっきり眉間を寄せた表情で目の前に立つ相手を睨みつけている。
視線の先に立っているのは。
「……黒崎くん?」
知らず、口からこぼれた声。
靴箱に軽く背を預けて、面倒そうに女の子と対峙していたのは黒崎秀二くんだった。ようやく怪我が治ったのか、革鞄を持つ手からは包帯が消えている。
「人にぶつかっておきながらすみませんも言えないわけ?」
「よそ見していたのはそっちだろ」
「なに言い訳してんの?! 最悪!」
「事実を言って何が悪いんだよ」
顔を紅潮させて怒りをぶつけている女の子とは反対に、黒崎くんの態度は無関心そのものだ。それが余計に腹立たしいのか、女の子はさっきよりもワントーン高い大きな声をはり上げた。
「えっらそうに。あんた、なんか勘違いしてんじゃないの?」
「……!」
悪意でいっぱいの言葉に心臓が跳ね上がる。なのに黒崎くんは何も言わない。女の子の口元が蔑むように持ち上がっても。さらに言葉を重ねようと口を開いても。
「自分のこと特別だとか思ってるなら、それ間違ってるから。何の取り得もない出来損ないのくせに」
違う。
「周りに何て言われてるのか知らないの? D組の子が言ってたよ、クラスの雰囲気悪くしてるって」
そんなことない。
「はっきり言うけど、あんたなんか何で存在してんのか分からないゴミだし、いなくてもい――」
「あ、あの、やめてください!」
ひどい言葉に耐えきれず、気付いたら私は二人の間に割って入っていた。
「は?」
「…………」
冷たい視線でこちらを睨む女の子と、ほんの少し目を見開いた黒崎くん。緊迫していた空気がますます重たくなって、失敗したって思わなかったわけじゃないけど。
それでも、今の言葉はあんまりだ。
「今の、すこし言いすぎじゃないですか?」
「誰アンタ、関係ないのに割りこんでこないでよ」
「私、D組の人間です。たまたま話してる声が聞こえて……」
「だからって何で部外者が首突っこんでんの? 誰も呼んでないんだけど」
きつい口調が怖い。怖い、けど。
「確かに部外者ですけど、その、いくら腹が立っても言うべきでないことってあって」
「うざいなー。こいつもさっき言ってたでしょ、事実を言っただけって」
「っ事実じゃないです! 黒崎くんは……」
いらなくなんてない! そう言い返すつもりだった。けれど、しどろもどろな言葉は扉から近づいてきた足音に遮られて。
「?」
静かな靴音は、不思議とよくひびいた。靴音ひとつとっても存在感がある人なんて、学校中さがしても数人いるかいないか。ましてや、この状況に現れそうな人なんて。
「割り込んでごめん。近くを通ったら、たまたま話し声が聞こえたから」
同時に振り返った私たちの前で、その人は校門前で見たのと同じおだやかな笑みを浮かべた。
「秀二、何かあった?」
そう。
黒崎くんのお兄さん、黒崎征一さんが。
朝の喧騒につつまれた下足室。そこに突然、女の子の怒声が響いた。
「あれなに?」
「なんか喧嘩みたいだけど……」
ひそひそと囁かれる声。ざわついていた声が潮のように引いて、急激に空気が張り詰める。
声を上げたのは、傘立ての前で細い腕をくんでいる女の子。つり上がった目、肘をつかむ薄桃の爪。長い髪を逆立てんばかりに怒って、思いっきり眉間を寄せた表情で目の前に立つ相手を睨みつけている。
視線の先に立っているのは。
「……黒崎くん?」
知らず、口からこぼれた声。
靴箱に軽く背を預けて、面倒そうに女の子と対峙していたのは黒崎秀二くんだった。ようやく怪我が治ったのか、革鞄を持つ手からは包帯が消えている。
「人にぶつかっておきながらすみませんも言えないわけ?」
「よそ見していたのはそっちだろ」
「なに言い訳してんの?! 最悪!」
「事実を言って何が悪いんだよ」
顔を紅潮させて怒りをぶつけている女の子とは反対に、黒崎くんの態度は無関心そのものだ。それが余計に腹立たしいのか、女の子はさっきよりもワントーン高い大きな声をはり上げた。
「えっらそうに。あんた、なんか勘違いしてんじゃないの?」
「……!」
悪意でいっぱいの言葉に心臓が跳ね上がる。なのに黒崎くんは何も言わない。女の子の口元が蔑むように持ち上がっても。さらに言葉を重ねようと口を開いても。
「自分のこと特別だとか思ってるなら、それ間違ってるから。何の取り得もない出来損ないのくせに」
違う。
「周りに何て言われてるのか知らないの? D組の子が言ってたよ、クラスの雰囲気悪くしてるって」
そんなことない。
「はっきり言うけど、あんたなんか何で存在してんのか分からないゴミだし、いなくてもい――」
「あ、あの、やめてください!」
ひどい言葉に耐えきれず、気付いたら私は二人の間に割って入っていた。
「は?」
「…………」
冷たい視線でこちらを睨む女の子と、ほんの少し目を見開いた黒崎くん。緊迫していた空気がますます重たくなって、失敗したって思わなかったわけじゃないけど。
それでも、今の言葉はあんまりだ。
「今の、すこし言いすぎじゃないですか?」
「誰アンタ、関係ないのに割りこんでこないでよ」
「私、D組の人間です。たまたま話してる声が聞こえて……」
「だからって何で部外者が首突っこんでんの? 誰も呼んでないんだけど」
きつい口調が怖い。怖い、けど。
「確かに部外者ですけど、その、いくら腹が立っても言うべきでないことってあって」
「うざいなー。こいつもさっき言ってたでしょ、事実を言っただけって」
「っ事実じゃないです! 黒崎くんは……」
いらなくなんてない! そう言い返すつもりだった。けれど、しどろもどろな言葉は扉から近づいてきた足音に遮られて。
「?」
静かな靴音は、不思議とよくひびいた。靴音ひとつとっても存在感がある人なんて、学校中さがしても数人いるかいないか。ましてや、この状況に現れそうな人なんて。
「割り込んでごめん。近くを通ったら、たまたま話し声が聞こえたから」
同時に振り返った私たちの前で、その人は校門前で見たのと同じおだやかな笑みを浮かべた。
「秀二、何かあった?」
そう。
黒崎くんのお兄さん、黒崎征一さんが。
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