そして消えゆく君の声

厚焼タマゴ

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ずっと、あなたが3

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「よっ……と」
 
 数センチの段差をこえて古びた青色のベンチに腰を下ろすと、雨粒が次々と透明な屋根を伝っていくのが見えた。
 黒崎くんは傘を畳もうとも、横に座ろうともせずに、ただその場に立ち尽くしている。 
 
「黒崎くん、教えて」
 
 こんな風に視線を交わしたのは、屋上での一件以来かもしれない。向き合った瞳が、ピントを合わせたカメラみたいにお互いに集中している。
 吹き抜ける風に押し出されて、私は問いかけた。
  
「どうして私を、避けてたの」
 
 ビクリとする痩せた肩。
  
「……避けてなんか」 
「嘘。私、ずっとずっと不安だったんだよ」
 
 きゅっと唇を噛んで、手の中の革鞄を握り締める口をついた言葉は詰問しているみたいな強い語調で、自分の声じゃないみたいだった。

 私、どうして怒っているんだろう。
 不安の反動? 悲しかったから? 寂しかったから? 心のなかがぐちゃぐちゃで、よくわからない。
  
「三人で出かけて、やっと黒崎くんに近づけたと思ったのに。私が何かしたんだったら謝ることだってできるけど、黒崎くん何も言ってくれないんだもん。わかんないよ」
「避けてないって言ってんだろ、しゃべる理由がなかっただけだ」
「理由ならあるよ、黒崎くんを知りたいっていう理由が」
 
 一息に言い切って、数秒遅れで熱くなる頬。
 ひょっとして、私はとても恥ずかしいことを言っているのかもしれない。だって、この言い方じゃ完全に。
 
 でも、今言わないと。
 伝えないと。
  
「黒崎くんのこともっと知りたいし、たくさん話したい。家のことだけじゃなくて、趣味の話とか何が好きかとか。初めて話した時からそう思ってた」 
「そういうのは、幸記に言ってやればいい」
「もちろん幸記くんは大切な友達だよ、でも、今話しているのは黒崎くんのことだから、黒崎くんに聞いてほしいの」
 
 話せば話すほど、黒崎くんの表情がこわばっていくのがわかる。丸みのない頬が硬化しているのは、きっと、寒いからじゃない。
 
「……聞く話も喋る話もない、人の領域に入ろうとするな」
「もちろん、無理に入ろうなんて思わないよ。でも」
「大体、なんで一々気にかけるんだよ。無視しとけばいいだろ、俺なんて」
「無視なんてできないよ、だって」
 
 ちっとも弱まらない雨が、ザアッと屋根を叩く。湿った空気は刺すように冷たいのに、身体が、心が、がどうしようもなく熱くて。
 全身を突き動かす激情。それでも、胸に引っかかった言葉を口に出すのには時間がかかった。
 
 息を吸って、吐いて。
 飛び出そうになる心臓を、片手で押えながら。

「好きだから」
 
 屋根の縁からこぼれた雫が空き缶を鳴らす。警鐘じみた、短い間隔で。
 
 
「好きだから、放っておくなんてできない」
 
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