そして消えゆく君の声

厚焼タマゴ

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仮面2

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 秋の空は高い。
 抜けるような青空に、鰯雲が群れている。
 
 絶好の文化祭日和。私は喧騒を離れた屋上で、中庭を彩る模擬店を眺めていた。

 多くの人が行き交う校内は、よそいきの服を着たみたいに華やかだ。お弁当売りみたいな浅い箱を首にかけて何か売り歩いている化学部、真っ赤な腕章をつけて慌ただしく歩き回る生徒会の男の子と、後を追う女の子。

 お揃いの黒いパーカーを着たダンス同好会。そして、たくさんのお客さん。一人一人の姿や声が学校中の賑やかさにつながって、染まりきらない落葉樹の代わりに色を添えている。
 
 こういう雰囲気は大好き。楽しくて、明るくて。
 
 うちのクラスの模擬店は和風喫茶店で、私は調理役。日頃は全く目立たない自分が厨房に立って、手際いいねなんて褒められるのはなんだかくすぐったくて、でも誇らしかった。
 
 なのに、休憩時間をもらった私がおとずれたのは地上でなく、ここだった。
 
 階段を降りる途中で「あの人」の気配を感じた瞬間、たまらない胸苦しさが押し寄せてきて。酸素を求めるように空の見える場所を目指した。
 
(避ける理由なんて、ないのに)
 
 心のなかで呟きながら見下ろしたのは波打つ横断幕の下、校舎と広場をつなぐ外廊下。
 舞台の宣伝中なんだろう、チラシを手にした演劇部の女の子たちが一生懸命何かを話していた。

 あの人……征一さんと。
 
 黒崎くんの話を聞いて以来、私はずっと、征一さんのことを考えていた。というより、勝手に頭に浮かんできた。
 
 何でも持っているのに、何もない征一さん。空っぽってどんな感じなんだろう。征一さんの目には、どんな世界が見えているんだろう。 
 そう考え始めると、底の見えない穴を覗き込んでいるような、深い深い穴の中から真っ暗な目の征一さんがこちらを見上げているような、ひどく不安な気持ちになって。けれど、考えることをやめられなかった。
 
 色とりどりのドレスを着た女の子に囲まれている征一さんは暗い灰色の制服を来ているのに、誰よりも物語にふさわしかった。
 チラシを手に取る仕草も歪んだリボンを直してあげる指先も驚くほど無駄がないのにどこか優美で、磁石みたいに吸い寄せられてしまう。
  
 そう、物語の王子様。
 優しくて格好よくて、何ひとつ欠点のない……虚構の存在。
 
 溜め息に、ドアの開く音が重なる。振りかえると、コンクリートに長い影が伸びていた。驚きと戸惑いに満ちた目と視線が合って。
 
「黒崎くん」
 
 名前を呼ぶと、気まずそうに下を向く。来ていたんだ。朝から見かけないから休んだのだとばかり。
 
「……」
 
 ドアノブに指をかけたまま、数秒。迷うように靴の裏でコンクリートを擦ってから、黒崎くんはこちらへ歩み寄ってきた。
 
「休憩?」
「うん。少し人に酔って」
 
 言いかけて、小さな声で言い直す。
 
「……ひょっとしたら、来ないかなって思ってた」
 
 
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