そして消えゆく君の声

厚焼タマゴ

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秋の道4

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 木々の揺れる音が、私を現実へと引き戻す。
 
「幸記は、何て」
 
 地上を見ている私には、後ろに立つ黒崎くんの顔は見えない。
 それは黒崎くんも同じで、たった数メートルの距離は互いの心を表すように、決して縮まらない。
 
「…………」
 
 だから私は問いには答えず、女の子と征一さんのやり取りを眺めた。
 チラシを指でなぞる征一さんに、何か説明している女の子。強い風にはためくオーガンジーのドレス。舞い上がる木の葉。
 やがて時計を見た女の子たちがシンデレラみたいに慌てて走りだして、辺りに誰もいなくなった時、不意に征一さんが顔を上げた。
 
 何気なく空を仰ぎ……私に気付いたのだろう、チラシに口元を隠された顔には瞬時に飾り気のない笑みが浮かぶ。
 いつもと同じ優しげな表情。みんなが想像する征一さんの笑顔。
 でもほんの数秒、視線を感じるまでの本当に短い時間。

 そこにあったのは確かな無だった。
 
「!」
 
 私は弾かれたように手すりから離れた。

 あんな顔をする人を初めて見た。何もない、何もかも死に絶えた空っぽの器。風に煽られた前髪の下あらわれた二つの目は、奈落のように真っ暗だった。
 
「どうした」
「気付かれた、かも」
 
 声が掠れる。
 あれが本当の征一さん。場にふさわしい表情を集めて、貼り付けて、張り子のように重ねていく。

 どれほどたくさんのパターンを集めても、全部模造品だ。征一さんから生まれたものでなければ、意味なんてない。意味がなくても、他の方法なんてない。
 
「慣れてるだろ。見られるのなんて」
「そう……だよね」
「どうせ、何とも思ってないんだ」
 
 足元のコンクリートを擦る靴の音。ずっと同じ位置にある気配。私たちの距離が縮まることはない。
 
「黒崎くん、後夜祭でないの?」
「面倒くさい」
「楽しいよ」
「どうでもいい」
 
 変わらない。変われない。
 臆病な心は時に向き合いかけて、また背を向ける。指先を伸ばしかけて、怯えて、立ち止まって。それでも。
 
「私は、出てほしいな」
「…………」
「黒崎くんと一緒にいたい」
 
 距離は縮まらない。
 けれど、離れない。
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