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冬
昔話1
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長く苦しかったテストも終えて、クリスマス会当日。橋口くんの親戚がやっているというそのお店は、通りに面した細長いビルの地下にあった。
隠れ家みたいな階段を下りて木製の扉を開くと、最初に目に入るのは魔法のランプめいた吊り照明。ごつごつした壁には、外国の写真が無造作に貼られている。
「ひーちゃん、こっちだよ」
角居ちゃんの声に名前を呼ばれて、私は急いで奥の席へと向かった。
多分、私で最後の参加者だ。急に家に親戚がくることになって、料理の手伝いをさせられていたらすっかり遅くなってしまった。
「遅くなってごめん」
「大丈夫大丈夫、他にも遅れた奴いたから」
「雪ちゃんも10分遅れだったしね」
「あれはしょうがないんだって、バスが全っ然進まなくて」
連絡は入れていたけど気をつかってくれたのか、私たちのテーブルの料理にはあまり手がつけられていない。
本当ごめんね、と謝りながら見回した店内に、黒崎くんの顔はなかった。
最初は長居しないつもりだった。
外はもう真っ暗だし、親戚も来ているし、少しだけでいいかなって。だけど、いざ話し始めるとまたたく間に時間がすぎていって、ジュースを取りに行く間すら惜しいほどだった。
初めのうちはテストの出来やクリスマス、年末年始の話が中心だったけど、だんだん恋愛方面の話に傾いていって。
ひそひそ声から始まった会話は雪乃の彼氏の話をきっかけに盛り上がり始め、角居ちゃんが大学生と付き合っていると暴露した瞬間、最高風速を迎えた。
どこで知り合ったの、どんな人なの、どっちが告白したの。矢継ぎ早に飛ぶ質問に、角居ちゃんはいつも通りのゆったりした口調で答えていた。
こういうところに彼氏は惹かれたのだろうか。どこか芯のある、揺らがない微笑を見ながら考える。
半ば暴露大会と化したテーブルを抜け出して、私は外の風に当たりにいった。
ふと時計を見たら、時刻は終了まであと少し。ついさっき扉をくぐったような気がするのに、楽しい時間は本当に足が速い。
みんなも同じなのか、出口へ向かう道すがら、あちこちで話し足りないねという声が聞こえてきた。
家に連絡して、この後カラオケに参加するから遅くなると伝える。
とっておきのお酒でも開けたのか、通話先のお父さんはあまりろれつが回っていなかった。『心配だから駅まで迎えにいく』と言ってくれたものの今の状態じゃ駅で眠ってしまいそうで、私のほうが心配になる。
「……寒い」
夜の風は冷たい。
ここ数日でまた気温が下がったみだいで、クリスマスを飛びこえて年の瀬を意識してしまう。
楽しい一日だった。
年の終わりに、花が咲いたような夜。たくさん食べて、たくさん話して、たくさん笑って。
来て良かった。心からそう思うのに、何かが足りなかった。
(わかっている)
何が足りないか、誰が足りないか。
こんなにも楽しいのに、あの人のことを考えると胸の底がぎゅうと痛くなる。
来るはずなかった。来たらいいとも思わなかった。楽しくないのに、わざわざやって来る必要なんてない。
一人の時間を大切にしたい、じっくり趣味に打ち込みたい、家族と過ごす時間を大切にしたい。色々な人がいるのだから、あの人もどこかで心地良い時間を過ごしているのなら、それ以上のことはない。ない、けど。
(幸せを感じる時なんて、あるんだろうか)
瞼の裏に、五月からずっと見上げてきた横顔が浮かぶ。
いつも俯いて、何も言わなくて、傷だらけで。決してあたためられない両手だけが、過去に触れられるのだとでも言うように。それが。そうやって生き続けることが、あの人の望みなんだろうか。
びゅうと吹き上がった風に、くしゃみが重なる。
戻ろう。
行き場のない気持ちを断ち切ってきびすを返すと、ちょうど扉から出てきた橋口くんと鉢合わせになった。
「あ、日原。家の手伝いしてたんだって? お疲れさん」
「橋口くんこそ、幹事お疲れ様」
明るい声に、ふっと笑みが生まれる。
どちらかと言えば小柄な橋口くんだけど、今日は私服のせいか何だか大人っぽく見える。ふだんあまり男の子と話をしない私はちょっと緊張してしまって、意味もなくカーディガンをかき合わせながら言葉を続けた。
「今日ね、楽しかった。ありがとう」
「幹事って言っても俺、なんもしてねえよ。場所準備しただけだし」
「そんなことないよ、橋口くんが企画してくれなかったらこんな機会なかっただろうし、料理もおいしかった」
嬉しそうに頷く橋口くん。
「おじさん、昔でかい店で働いててさ。割とボリューム重視だから女子には微妙かなって思ったけど、好評で安心した」
「みんなすっごく褒めてたよ。特に串焼き、橋口くんが言ってた通り―――」
口にしてから思い出す。その言葉が、誰に向けられていたものだったか。
それは橋口くんも同じだったのだろう、手に持っていた携帯をポケットにしまうと。
「黒崎、やっぱ来なかったな」
ぽつりと呟いた。
隠れ家みたいな階段を下りて木製の扉を開くと、最初に目に入るのは魔法のランプめいた吊り照明。ごつごつした壁には、外国の写真が無造作に貼られている。
「ひーちゃん、こっちだよ」
角居ちゃんの声に名前を呼ばれて、私は急いで奥の席へと向かった。
多分、私で最後の参加者だ。急に家に親戚がくることになって、料理の手伝いをさせられていたらすっかり遅くなってしまった。
「遅くなってごめん」
「大丈夫大丈夫、他にも遅れた奴いたから」
「雪ちゃんも10分遅れだったしね」
「あれはしょうがないんだって、バスが全っ然進まなくて」
連絡は入れていたけど気をつかってくれたのか、私たちのテーブルの料理にはあまり手がつけられていない。
本当ごめんね、と謝りながら見回した店内に、黒崎くんの顔はなかった。
最初は長居しないつもりだった。
外はもう真っ暗だし、親戚も来ているし、少しだけでいいかなって。だけど、いざ話し始めるとまたたく間に時間がすぎていって、ジュースを取りに行く間すら惜しいほどだった。
初めのうちはテストの出来やクリスマス、年末年始の話が中心だったけど、だんだん恋愛方面の話に傾いていって。
ひそひそ声から始まった会話は雪乃の彼氏の話をきっかけに盛り上がり始め、角居ちゃんが大学生と付き合っていると暴露した瞬間、最高風速を迎えた。
どこで知り合ったの、どんな人なの、どっちが告白したの。矢継ぎ早に飛ぶ質問に、角居ちゃんはいつも通りのゆったりした口調で答えていた。
こういうところに彼氏は惹かれたのだろうか。どこか芯のある、揺らがない微笑を見ながら考える。
半ば暴露大会と化したテーブルを抜け出して、私は外の風に当たりにいった。
ふと時計を見たら、時刻は終了まであと少し。ついさっき扉をくぐったような気がするのに、楽しい時間は本当に足が速い。
みんなも同じなのか、出口へ向かう道すがら、あちこちで話し足りないねという声が聞こえてきた。
家に連絡して、この後カラオケに参加するから遅くなると伝える。
とっておきのお酒でも開けたのか、通話先のお父さんはあまりろれつが回っていなかった。『心配だから駅まで迎えにいく』と言ってくれたものの今の状態じゃ駅で眠ってしまいそうで、私のほうが心配になる。
「……寒い」
夜の風は冷たい。
ここ数日でまた気温が下がったみだいで、クリスマスを飛びこえて年の瀬を意識してしまう。
楽しい一日だった。
年の終わりに、花が咲いたような夜。たくさん食べて、たくさん話して、たくさん笑って。
来て良かった。心からそう思うのに、何かが足りなかった。
(わかっている)
何が足りないか、誰が足りないか。
こんなにも楽しいのに、あの人のことを考えると胸の底がぎゅうと痛くなる。
来るはずなかった。来たらいいとも思わなかった。楽しくないのに、わざわざやって来る必要なんてない。
一人の時間を大切にしたい、じっくり趣味に打ち込みたい、家族と過ごす時間を大切にしたい。色々な人がいるのだから、あの人もどこかで心地良い時間を過ごしているのなら、それ以上のことはない。ない、けど。
(幸せを感じる時なんて、あるんだろうか)
瞼の裏に、五月からずっと見上げてきた横顔が浮かぶ。
いつも俯いて、何も言わなくて、傷だらけで。決してあたためられない両手だけが、過去に触れられるのだとでも言うように。それが。そうやって生き続けることが、あの人の望みなんだろうか。
びゅうと吹き上がった風に、くしゃみが重なる。
戻ろう。
行き場のない気持ちを断ち切ってきびすを返すと、ちょうど扉から出てきた橋口くんと鉢合わせになった。
「あ、日原。家の手伝いしてたんだって? お疲れさん」
「橋口くんこそ、幹事お疲れ様」
明るい声に、ふっと笑みが生まれる。
どちらかと言えば小柄な橋口くんだけど、今日は私服のせいか何だか大人っぽく見える。ふだんあまり男の子と話をしない私はちょっと緊張してしまって、意味もなくカーディガンをかき合わせながら言葉を続けた。
「今日ね、楽しかった。ありがとう」
「幹事って言っても俺、なんもしてねえよ。場所準備しただけだし」
「そんなことないよ、橋口くんが企画してくれなかったらこんな機会なかっただろうし、料理もおいしかった」
嬉しそうに頷く橋口くん。
「おじさん、昔でかい店で働いててさ。割とボリューム重視だから女子には微妙かなって思ったけど、好評で安心した」
「みんなすっごく褒めてたよ。特に串焼き、橋口くんが言ってた通り―――」
口にしてから思い出す。その言葉が、誰に向けられていたものだったか。
それは橋口くんも同じだったのだろう、手に持っていた携帯をポケットにしまうと。
「黒崎、やっぱ来なかったな」
ぽつりと呟いた。
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