そして消えゆく君の声

厚焼タマゴ

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願い1

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 黒く塗りつぶされた風景に、記憶の断片が浮かんでは消える。

 繋いだ手。重なる影。鼓膜を撫でる優しい声。わだかまる雲が晴れるように息苦しさが遠のいて、顔を上げた先に見えた、柔らかな眼差し。

 あたたかな体温の記憶は触れようとすればするほど指の間からすり抜けて、やがて押し除けた肩の手触りへと変質する。

 落下する身体。鈍い音。悲鳴。サイレン。氷のように冷たい自分の手。意識を失う直前、兄が自分で足を踏み外したのだと説明したことは、後で知った。

 あの日、頭上を照らす星が永遠に潰えた。

 取り返せない。元通りにならない。全部自分が悪いのだと自己憐憫に浸ったところで何も変わらない。受け取る力のない相手への償いなど自己満足でしかないのだと、骨身に染みて知った。

 それでも、せめて奪ったものは自分も捨てければと思った。心の中の柔らかいものを削ぎ落として、何も考えずに生きるべきだと。
 心の持ちようなんて、それこそ自己満足だ。わかっていても、他の方法が思い浮かばなかった。喜びも、怒りも、苦痛も、救いも、ひとつひとつ胸の奥底に押し込んで、自分を取り巻くものから目を背けて。

 ――そうして、向き合うべきことから逃げていたのかもしれない。


『僕の願いは、』

 
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