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6 かたいか、やわらかいか
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寒くもないのに、会社では上着をずっと着ていた。気を抜くとしっぽがすぐだらりとしてしまうのを隠すためだった。
こんな元気のないものをぶらぶらとぶらさげていた日には、周囲に体調が悪いのではと勘違いをさせてしまう。
癒し的存在の年下の同僚が、意味のわからないことを言ってきたのが原因です、なんて言えるはずもない。
昨日の様子からすると、次田が田中とえんについて誰かに何かをふきこまれたか(誰に?)、勝手に何か誤解したか、とにかくまちがった思いこみをしているのは明白だった。
何度かメッセージを送ってみたが、無視され、それが、自分が思っている以上のダメージとなっている。
しかし、いい大人が思春期の少年みたいに好きとか嫌いとか誤解とかで悩むなど、くそ恥ずかしい。
こんな日はランニングするか、飲むか、だ。
田中は結局ミホの店に行ってみることにした。本当なら次田を誘って行くつもりだった……。
ミホはカウンターの中で「あっ、田中さん~」と手を振った。今日もすごい頭をしている。盛った髪に本物そっくりの原寸大のフルーツがぶっささっている。それを客らしき何人かが携帯を向け、真剣な様子で写真をとっている。
「チビは」
「保育園決まったんだ~。それに夜はもともと娘夫婦のとこだよ」
「そうか」
店にいる嬢たちは、ミホ同様髪を盛っている者もいたが、普通の頭の者もいる。早い時間なので客もまばらだ。
カウンターに座り、おしぼりをもらって、それほど広くない店内を見渡すと、目に飛びこむような鮮やかな黄色のワンピースを着ている大きな女が、腕組&仁王立ちでこちらを睨んでいるのに気づいた。のけぞった。
「おま」
「来たら殺すって言っただろ!!」
「だから! なんでお前は、笑顔一つ作れないのにこんな仕事をするんだ!」
「あはは、そこ!」
ミホが腹を抱えて笑っている。
「やるならちゃんとやれ、と俺は言ってるんだ!」
「うるせえ、いちいち口出しすんな!」
「まあまあまあまあ、えんちゃんもたまーに、ごくたまーに笑うこともあるんだからー」
「はあ?? こいつの笑顔はレアメタルか!? もっと採掘されて流通しろ!! 前っから思っていたが、周りがこいつを甘やかしすぎなんだよ! あ、見てみろ、ほら、都合が悪くなるとすぐにむくれて、この態度!」
「まあまあまあまあ、こんな地方のゆるゆるスナックで、やいやい言わないの、田中」
仲裁にはいったミホにすすめられるままに何杯か飲んだ。いつもよりまわるのが早い。
黄色いワンピース。妖怪ばあさんの着ていたものと同じものなのだが、まったく印象が違う。背の高いえんが着ると、スカート丈がミニになって、長くてまっすぐな脚のほとんどが露出している。
その突きでた二本の脚と、つるっとしたメイク顔を見ていたら、なおさらむかむかしてくる。
気づけば手をのばして、えんの頬を思いっきりつねっていた。
結果、大乱闘になった。
「こんな楽しそうなえんちゃん久しぶりに見た。田中のことがだーい好きなんだね~」
「あはは田中、今ビクッとしたあはは、だいぶストレス爆発」
「イヌ種の人っておもしろいね」
「田中が変なだけじゃないの?」
「かわいい~両想いじゃんよ~」
泥酔してしまった田中は、嬢や他の客が言っている声を耳が拾って、「変なのは君たちだろ、しっぽもないくせに。耳も動かないくせに」と心の中で反論する。
だいたいなんだ、こいつが俺のことを好きなわけなんかないだろう。
初めて会った時からずっと睨んだりしっぽを痛くつかまれたり、ろくな態度をとられてない。好きなら好かれたいと、最大限にいい自分、いい部分を見せようとすればいいじゃないか。
まぶたは重くて開かない。しかし断じて寝てなんかいない、目が開かないだけ、そろそろ帰らねば明日も仕事が、と思い、でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけこのままで、と思う。
がんばらなければ。
自分が何か一つでも失敗したら、「だからイヌ種は」と言われる。ちょっと真顔でいるだけで「怖い」と言われる。
毛で覆われた身体やするどい爪、ぐっと大きく裂けた口は、サル種にはなじみがなく、野蛮なものに見えるらしい。
だから誰にでも優しく、ほがらかに、笑顔で接するよう、誤解されぬよう言葉をつくし気を使わなくては。
「おい、イヌリーマン、しっかりしろ」
レモン色のワンピース。長い髪。つるんとした肌。ぶっきらぼうな声。
飲みすぎたな、ハメをはずしすぎたと思いながらも、なんだか笑いたくなってきた。
この街に来てからずっと、どこか身構えている。
(意識的に優しく、礼儀正しく。やりすぎるほどやってで、ちょうどなのだ)
心地よい指が田中のほほ、鼻筋、耳をなで、水をのませてくれた。ネクタイをゆるめてくれる。今夜は飲んで暴れて言いたいことを言った。とてもすっきりした。
「お前も優しいとこあるんだな……普段からそれ、どんどんだしていけばいいのに」
「……」
手を伸ばして頭をなでる。触れる毛はイヌ種と違い、つややかでコシがあって、すべりがいい。
イヌ種の毛は細かくて、空気をふくんでふわふわだ。一方この長い毛はしっとりとしていて、固いのか柔らかいのか、強いのか弱いのか判別がつかない不思議な触り心地のよさがあり、何度も何度も繰り返しなでたくなる。
毛をまさぐっているうちに、その下にあるすべすべの首筋を発見する。
田中の身体の中で毛が生えていないのは手の平と足の裏、あとはちんちんと口の中くらいだというのに、腕の中にあるその身体は、頭以外、全身がすべすべとして頼りない。むきだしだ。そんな中、首筋が最も無防備に感じる。
そうだ、前、舐めた舌触りが心地よいなと思ったのだ。そんなこと、口が裂けても言えないけれど。
すべすべの身体を探索しているうちに、わずかだが、短い体毛のあるところにたどりついた。
ここだけ。変だ。
かわいい、かもしれない。
田中はくすっと笑い、思わずべろっとその部分を舐める。イヌ種同士の愛情表現は舌での毛づくろいにつきる。田中は深く考えずそうした。相手の身体がびくんと反応した。
相手がイヌ種だと、毛の流れにそったりかきまわしたりで、じゃれあうことからはじめてゆく。無毛の肌の場合は、これはこれで、舌に直接ふれる体温、匂い、ひっかかりのなさ、舌にひろがる味が、甘く、柔らかく、胸にせまる。
誰かとこんな風に一つのベッドで触れあうのは久しぶりだなあと思った。
こんな元気のないものをぶらぶらとぶらさげていた日には、周囲に体調が悪いのではと勘違いをさせてしまう。
癒し的存在の年下の同僚が、意味のわからないことを言ってきたのが原因です、なんて言えるはずもない。
昨日の様子からすると、次田が田中とえんについて誰かに何かをふきこまれたか(誰に?)、勝手に何か誤解したか、とにかくまちがった思いこみをしているのは明白だった。
何度かメッセージを送ってみたが、無視され、それが、自分が思っている以上のダメージとなっている。
しかし、いい大人が思春期の少年みたいに好きとか嫌いとか誤解とかで悩むなど、くそ恥ずかしい。
こんな日はランニングするか、飲むか、だ。
田中は結局ミホの店に行ってみることにした。本当なら次田を誘って行くつもりだった……。
ミホはカウンターの中で「あっ、田中さん~」と手を振った。今日もすごい頭をしている。盛った髪に本物そっくりの原寸大のフルーツがぶっささっている。それを客らしき何人かが携帯を向け、真剣な様子で写真をとっている。
「チビは」
「保育園決まったんだ~。それに夜はもともと娘夫婦のとこだよ」
「そうか」
店にいる嬢たちは、ミホ同様髪を盛っている者もいたが、普通の頭の者もいる。早い時間なので客もまばらだ。
カウンターに座り、おしぼりをもらって、それほど広くない店内を見渡すと、目に飛びこむような鮮やかな黄色のワンピースを着ている大きな女が、腕組&仁王立ちでこちらを睨んでいるのに気づいた。のけぞった。
「おま」
「来たら殺すって言っただろ!!」
「だから! なんでお前は、笑顔一つ作れないのにこんな仕事をするんだ!」
「あはは、そこ!」
ミホが腹を抱えて笑っている。
「やるならちゃんとやれ、と俺は言ってるんだ!」
「うるせえ、いちいち口出しすんな!」
「まあまあまあまあ、えんちゃんもたまーに、ごくたまーに笑うこともあるんだからー」
「はあ?? こいつの笑顔はレアメタルか!? もっと採掘されて流通しろ!! 前っから思っていたが、周りがこいつを甘やかしすぎなんだよ! あ、見てみろ、ほら、都合が悪くなるとすぐにむくれて、この態度!」
「まあまあまあまあ、こんな地方のゆるゆるスナックで、やいやい言わないの、田中」
仲裁にはいったミホにすすめられるままに何杯か飲んだ。いつもよりまわるのが早い。
黄色いワンピース。妖怪ばあさんの着ていたものと同じものなのだが、まったく印象が違う。背の高いえんが着ると、スカート丈がミニになって、長くてまっすぐな脚のほとんどが露出している。
その突きでた二本の脚と、つるっとしたメイク顔を見ていたら、なおさらむかむかしてくる。
気づけば手をのばして、えんの頬を思いっきりつねっていた。
結果、大乱闘になった。
「こんな楽しそうなえんちゃん久しぶりに見た。田中のことがだーい好きなんだね~」
「あはは田中、今ビクッとしたあはは、だいぶストレス爆発」
「イヌ種の人っておもしろいね」
「田中が変なだけじゃないの?」
「かわいい~両想いじゃんよ~」
泥酔してしまった田中は、嬢や他の客が言っている声を耳が拾って、「変なのは君たちだろ、しっぽもないくせに。耳も動かないくせに」と心の中で反論する。
だいたいなんだ、こいつが俺のことを好きなわけなんかないだろう。
初めて会った時からずっと睨んだりしっぽを痛くつかまれたり、ろくな態度をとられてない。好きなら好かれたいと、最大限にいい自分、いい部分を見せようとすればいいじゃないか。
まぶたは重くて開かない。しかし断じて寝てなんかいない、目が開かないだけ、そろそろ帰らねば明日も仕事が、と思い、でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけこのままで、と思う。
がんばらなければ。
自分が何か一つでも失敗したら、「だからイヌ種は」と言われる。ちょっと真顔でいるだけで「怖い」と言われる。
毛で覆われた身体やするどい爪、ぐっと大きく裂けた口は、サル種にはなじみがなく、野蛮なものに見えるらしい。
だから誰にでも優しく、ほがらかに、笑顔で接するよう、誤解されぬよう言葉をつくし気を使わなくては。
「おい、イヌリーマン、しっかりしろ」
レモン色のワンピース。長い髪。つるんとした肌。ぶっきらぼうな声。
飲みすぎたな、ハメをはずしすぎたと思いながらも、なんだか笑いたくなってきた。
この街に来てからずっと、どこか身構えている。
(意識的に優しく、礼儀正しく。やりすぎるほどやってで、ちょうどなのだ)
心地よい指が田中のほほ、鼻筋、耳をなで、水をのませてくれた。ネクタイをゆるめてくれる。今夜は飲んで暴れて言いたいことを言った。とてもすっきりした。
「お前も優しいとこあるんだな……普段からそれ、どんどんだしていけばいいのに」
「……」
手を伸ばして頭をなでる。触れる毛はイヌ種と違い、つややかでコシがあって、すべりがいい。
イヌ種の毛は細かくて、空気をふくんでふわふわだ。一方この長い毛はしっとりとしていて、固いのか柔らかいのか、強いのか弱いのか判別がつかない不思議な触り心地のよさがあり、何度も何度も繰り返しなでたくなる。
毛をまさぐっているうちに、その下にあるすべすべの首筋を発見する。
田中の身体の中で毛が生えていないのは手の平と足の裏、あとはちんちんと口の中くらいだというのに、腕の中にあるその身体は、頭以外、全身がすべすべとして頼りない。むきだしだ。そんな中、首筋が最も無防備に感じる。
そうだ、前、舐めた舌触りが心地よいなと思ったのだ。そんなこと、口が裂けても言えないけれど。
すべすべの身体を探索しているうちに、わずかだが、短い体毛のあるところにたどりついた。
ここだけ。変だ。
かわいい、かもしれない。
田中はくすっと笑い、思わずべろっとその部分を舐める。イヌ種同士の愛情表現は舌での毛づくろいにつきる。田中は深く考えずそうした。相手の身体がびくんと反応した。
相手がイヌ種だと、毛の流れにそったりかきまわしたりで、じゃれあうことからはじめてゆく。無毛の肌の場合は、これはこれで、舌に直接ふれる体温、匂い、ひっかかりのなさ、舌にひろがる味が、甘く、柔らかく、胸にせまる。
誰かとこんな風に一つのベッドで触れあうのは久しぶりだなあと思った。
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