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プロローグ的な
曹長、会長と出会う②
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「まずは我が家を案内しよう。腹は減っておらぬか? 用意できるものであれば、すぐにでも用意いたす。見栄を張れるのは今回だけであろうがな」
「お気遣い頂き、ありがとうございます」
「それで、いかがでしょうか」
ホルツの低い嗄れ声が、純粋に、苦々し気に、微笑み合う二人を裂く。それは「水に流してくれるのかどうか」を確認する言葉で間違いなかった。
「隊長殿、もうそれを気にする必要など無かろう。この島にいる限りならば漏れはせぬ」
「いえなりません。責任は必ず誰かが負う、それが我々の矜持であります故」
窘めるリリアをきっぱりと否定する。上官の会話に割り込むのは規律に違反する行為であり、罵倒で済んだのは僥倖だともいえる。だが、それだけではない。
(もう良いって言ってんのに何故罰を受けようとする!? それに、島に住まわせるって何だ!? 何を言ってるんだ隊長、リリア区長も!)
鶴の一声は偉大ということは理解している。リリアが望めば事はそのように運ぶ、それが彼女の立場であるからだ。だというのにホルツは対抗し、甘んじることは許さない姿勢を取る。
アハトは動揺を隠そうと表情筋に力を込めるが、それは徒労に終わってしまう。目ざとく見出した十架の瞳が、悪戯心の色に染まったのだ。
「一つ、お願いを聞いて下さるのならば」
「なんなりと」
「そこの男、少し借りても良いですか?」
指をアハトへ向けながら嘆願する。堪え切れなくなったのか、その口元が歪に捻じ曲がり、微かにぷぷっという音が噴き出した。
(はあ!?)
驚愕しているアハトは無視され、ホルツはどこか誇らしげな柔和な表情で快諾する。
「どうぞどうぞ。彼は本日非番です、煮るなり焼くなりご自由に。曹長、行ってくれるな」
「で、ですが──」
「命令だ」
「──ッ!」
「分かっているな?」
「…………了解」
糸目から放たれた底知れぬ殺意から、この身を守る為には頷くしかなかった。
「曹長殿もこられるか。よかろう、祭りには早いが今宵は宴だ」
「いえ、お気遣いなく……」
一点の曇りも無いリリアの微笑み。うなだれるように会釈すると、彼女に抱き着いていたままだったマリンが裾を引っ張って声をあげる。
「お姉様、私も行っていい?」
「うむ良いぞ。良いのだが……一度家に帰られてはどうだ。クリスタが心配しておろう」
「そっかー!」
優しく宥められたマリンは、何度も振り返りながら海岸から去って行く。下校時刻はとうに過ぎており、いつまでも帰らないことを姉であるクリスタがどれだけ心配しているのか、理解出来ないアハトではなかった。
(それだけじゃないだろうがな)
「では参るぞトーカ。曹長殿にとっては見慣れた屋敷であろうがな」
「えっ」
「どうした?」
「男を連れ込んだりしているのですか、もしかして同る──ゲッホゲホ」
「よさぬか、淫らな関係など結んでおらぬ。これでも区長故な、島についての会議やらで軍の方々を招くこともあるのだ」
「とは言いつつ……」
「不満顔だな、いかがいたした」
「いえ、なんでも」
猥談に近い話を交わしながら歩き出す二人。アハトは道を認知している存在であるが故に、案内など必要ないと判断されたようだ。
命令ではある、しかし納得がいかない──立ち竦んでしまっていた体が、誰かに押される。
「くれぐれも粗相の無いように……同志中尉にも黙っていろ」
ホルツが囁く。
「それは──」
「下士官は疑問など抱かずに従えばいい。それくらい分かっているだろう、アハト・カヴェナンター曹長」
冷たい声が、心臓を鷲掴みにした。
「へぇぇ……美しいですね」
ファオラベル島の街並みを見て、十架は感嘆の声を漏らす。
石畳みの通路を挟むように点々と軒を連ねるのは、石、レンガ、木造の家屋。それらの比率は島の中心、すなわち高台、そこに築かれた区長の屋敷へ近づくごとに変遷していく。
「美しいだけではないぞ、長年の歴史を刻んでおる」
「歴史?」
「離島故な、資源も土地も限られているのだ。皆が先祖代々の家を継ぎ、手を加え、今日まで耐え忍んできた。トーカの世界ならば世界遺産とやらに登録されてもなんら不思議ではない」
「良く知ってますね」
「区長故な」
呑気な事を言い合いながらも、その足は速め。十架が纏う異世界の服は、決して多いとは言えない島民たちの注目をどうしても浴びてしまうためだ。
無用な混乱を避ける為であることは理解出来るので、アハトもそれに倣い、十架の横に並んで歩き続ける。両脇をアハトとリリアに固められ、十架はお姫様気分を楽しんでいた。
(呑気なヤツ……しかし、区長は何を考えている?)
解の出ない逡巡も束の間、やはり狭い島である。
視界一杯に大きく左右に広がるレンガ造りの建物、その玄関へと辿り着いた。
「洋館……」
「私の屋敷である。安心せよ、外見は少しばかりみすぼらしいが、中は清潔を保っておる。住めば都である、トーカよ」
「良く知ってますね」
「区長故な」
ふんすと鼻を鳴らした屋敷の主は口をあんぐりさせたままの十架の手を引き、古色蒼然とした雰囲気を纏うそこへ踏み入っていく。人間の通用口としてはあまりにも巨大なドアをノックすると、不快な音を立てながら、ゆっくりと開かれていった。
「お帰りなさいませ、リリア様」
出迎えたのは一人の召使。
「様……?」
「使用人である、他にもう一人おるぞ。紹介したいのだが、まあ、それは後で構わぬだろう。スターク、ただちに夕食を用意せよ。まずは一息つけるのが先だ」
「畏まりました、しばしお待ちを」
バトラーにしては幼すぎ、フットマンにしては背が低い、長めの髪を耳元でくくった使用人。アハトはそれなりに交流しており、突然な来訪にもさして疑問は持っていない様子で主人の命令に従った。終始俯いて対応していたが、一瞬だけ十架へと興味に染まった視線を投げたのをアハトは見逃さなかった。
「男の子……? 男の娘……? どっちにしろ食べちゃいたい……!」
「トーカの守備範囲は広いであるな」
「いえそんなことは」
「鼻血が垂れておるぞ」
「いえそんなまさか」
十架は夢にも思わなかった現実への緊張が限界点を超えたのか、醜悪な本心がここぞとばかりに溢れるようになった。
それらを受け流しつつ廊下を歩き続く。アハトはこの屋敷には無駄とも言えるほどに多くの部屋があること、それだけに廊下が広いこと、リリアが主に使用するのは三階の執務室で、その隣には寝室があることを知っていた。
「さて、用意が済むまで食堂で団欒としゃれこもうか」
食堂は一階にあることも。
やけにオープンな性格は区長として褒められるものではないが、それ故に信頼を勝ち得るのだろう──アハトはそう思いながらも、食事への招待を丁重に断ろうとした時、
「あ、ちょっとよろしいですか」
女子高生が口を挟んだ。
「何であるかな?」
「先に部屋を見たいのですが。よろしいでしょうか?」
「そんなことか、構わぬ構わぬ。一々伺いをかける必要も無いぞ、他人行儀はやめてくれ」
「それは嬉しいのですが──」
「忘れてはおらぬか? トーカ、貴殿は既に私の娘なのだからな」
何の気も感じられない言葉を受け、十架は顔を赤らめる。
「はい……リリアさん」
「ん、む、まぁ、良い。私のほうこそ、娘だと呼ぶのはやはり、面映ゆいものがあるしな」
「じゃあ、リリアお姉様」
「やめんか」
「リリアお母様」
「むう……想像してたより琴線に触れぬな」
「リリア」
「好きに呼ぶが良い」
「ではリリア、屋敷を探索させていただきます」
「うむ。今日は無礼講である、トーカの好きにせよ」
生意気な娘に若干呆れながらも、リリアは微笑みを返して送り出す。
(そういえば、区長の浮いた話なんて聞いたことねえな。女性としての魅力は十分あるし、長としての威厳だってあるのに)
この島に越してきて2年経つが、一度も耳に入ってきていない。カリスマこそあれ、やはりその言葉遣いがネックなのだろうか。
「軍人さん、あなたも一緒に来て下さる?」
「は?」
思考している最中に声を掛けられ、変に上擦った声を発してしまう。
「おぉ、あまりに空気過ぎて忘れておったぞ曹長殿。そう言えば、トーカが指名したのであったな」
「指名だなんておやめ下さい。彼には借りがありますので、それを返すのが先かと思いまして」
「ほほう?」
にやりと嗤うリリア。
(何を企んでやがる!?)
「では、私は食事の席を整えるとするか、スターク一人に任せてはおけぬ。ああ曹長殿、部屋を見繕ったら掃除を手伝ってやってはくれぬだろうか」
身を翻しながらも鋭い視線を向け、刺されたアハトは肯定するしかなかった。
「エスコートをお願いします。曹長殿」
小悪魔的な表情を浮かべる十架。その瞳が見据えるのは未知で、不可視で、ありもしない明日。
十架はアハトを引っ張り回して一階から三階、隅から隅まで未使用であり立ち入って良い部屋を開け、散々迷った挙句、二階にある一室を自分の執務室、その隣を寝室とすることに決定した。
(てっきり三階を選ぶと思っていたが……馬鹿となんたらは高い場所が好きだし)
決して口には出せない思考を振り払い、今は只解放されることを願って雑巾で床を拭く。納得はいかないがやはり軍人、命令されると体が動いてしまうものである。
「あーつっかれた~。もういいでしょ、おわりおわり」
それまで黙々と寝室の清掃作業をしていた十架が突如声をあげ、手にしていた箒を放り投げた。すぐさまベッドへと身を投げ、だらしなく手足を大の字に伸ばす。
「で、何の用だよ」
大方の埃を取り除いたことを確認してから少女へ尋ねる。
まさか掃除に付き合わせるが為に連れ回されたとは到底思えなかったからだ。
「土下座」
「は?」
くぐもった声が聞こえた。
「土下座して」
「なんだと?」
「地面に這いつくばれって言ってるの」
「…………」
アハトが声を失っていると、むくりと身を起こした十架が不満を露に悪態をつく。
「誠意を見せろって言ってるのよ。それで全部チャラにしてあげるからさあ」
「お前……!」
傲岸さをたっぷりと含んだ微笑みを浮かべ、小悪魔は続けた。
「ここまで連れてきた理由、分かってるでしょ? 人前でさせることだけは勘弁したげたんだからさぁ」
「……ッ!」
「軍人さんって大変ねぇ、上司の命令は順守しないといけないんだからぁ。ホルツっておっさん、あんたのことかなり気に入ってるみたいじゃん? 無理難題でも吹っ掛けて、剥げ散らかしてやろうかしら」
くつくつという不快な笑い声。
それがアハトの臓腑を握り締めるかのように、棘をもって脳裏に木霊した。
「調子に乗るな……ッ!」
今回の一件で裏切られたような思いもあるが、これまでの自分を支えてくれた上司を馬鹿にされることは、アハトには我慢できなかった。自然と右手に祈りが込められ、それは雷という奇跡を発現させる種となる。
「軍人の刻薄!」
言霊は点火装置。すぐさま種は芽を出し、巨大な稲妻まで膨れ上がる。
(やべぇ、隊長からは手を出すなって言われてたな……いや、ビビらせることくらい構わねえだろ!)
早まった行動を再び取ってしまったが、今更引き返すことなど出来ないと判断。手を出しさえしなければ良いのだ。
もしもの際は正当防衛にもなる──そう睨んでいたアハトだったが、動揺するどころか薄く笑い続けている十架を目撃して息を呑む。
「私のような罪も無い一般人に向かって軍人様が手を挙げたとあればぁ、より大きな風紀の乱れを招くのでは?(キリッ)」
「風紀だとォ!? ふざけたことを──」
お前が言うな──続く筈だった言葉は、耳元を掠った小さな羽音によって霧散した。
直後、ぬるりと流れる暖かい何かの感触が、頬を伝って落ちていく。何事かと左手で確かめると、僅かだが真っ赤な血液がこびり付いていた。
「命令する。で、土下座するの? しないの?」
「…………何しやがった」
くすくす笑う十架の右手は、アハトには理解出来ないが、銃の形を形成していた。そこから放たれた魔力の弾丸が、頬を掠って空間を切り裂いた。
「土下座したら教えてあげる」
口元を歪ませて、心底楽しそうに微笑む。
屈服など更々する気など無いが、ここで折れなければ二発目が発射され、脳が破壊されるのでは──そんな思考が、アハトの体をじめりとした不快な感触で蝕んでいく。
「無法者に頭を下げるのは嫌? プライドなんて捨てちゃいなさいよ、遅れた文明の異世界人」
「てめぇ……! 何も齎すことも出来ない糞餓鬼が、俺たちを馬鹿にするのか! 区長に報告する、今すぐ放り出せってな!」
「まぁまぁまぁまぁ」
寝室を出て行こうとしたアハトの体を、飛び起きた十架の声が押し留めた。その手が銃の形を解いていないことが何よりの脅威であった為でもあるが。
「それが本性だろ異世界人! 風紀だ何だと言いながら、ただ争うが為に……ッ!」
そこまで口に出してしまってから、ホルツに厳命されたことを思い出し、噤む。
雷光もちりじりに掻き消え、黙ってしまうアハト。それを見て、十架は大きなため息を吐いた。
「とにかく、区長には報告させてもらう。お前は危険な武器を持ってるってな」
それくらいなら構わないし、紛れもない真実。確信を秘めて十架へ告げた。
(ここで口封じに殺されたとして構わねえ、確実にセンチネルが動く。無抵抗で殺られる気なんざないが)
本来は頼りたくも無いもう一人の上司に助けを求めようと画策する。
彼女ならばこの混乱を収束させるだけの権限と行動力がある、きっとホルツも言い負かしてくれる筈だった。
「…………とりあえず一発ヤッて黙らしとくか、いい加減ウザイし」
そう小さく呟いた十架の言葉は、顔面から血の気が引いたアハトには聞こえない。
すぐさまベッドから立ち上がり、すすすとアハトの元へと歩を進める。もちろん手元は解かず、いつでも命令の言霊を発射できる体勢であった。
「この事はお互いの為にぃ、秘密ってことで終わらせましょうよぉ」
つくった甘い声音と共に、立ち竦んだアハトの体へと急接近。嗅いだこともない香水の香りに、アハトは眩暈のような感覚を覚えた。直後に十架の手は伸び、まさぐりはじめる。
「触るなッ!」
「きゃんっ」
弾丸を食らう恐怖よりも羞恥心が上回り、乱暴にその手を払いのける。
「ほほぉ……なかなかの身長。17……19……いや、もっとあるかも。ライフリングは右回りで間違いない!」
警戒を強めたアハトに向かい、まるで動じていない様子で再び接近してくる十架。
その胸元ははだけていた。
「もちろんタダとは言わないよぉ♪ あなたが黙っててくれるのならぁ、十架の生徒会長ま〇こ、いっぱいずぼずぼしてもいいよ♪」
欲に飢えた獣が、そこにいた。
「するわけないだろうが異世界人! 顔の平たい女が!」
「…………」
強く返すと、十架は途端に沈黙。心なしかジト目。さらに目を細めて冷たい視線を送りながら、
「じゃあ、お話を、しましょう」
そう言いながら衣服の乱れをなおし、ベッドの淵へ腰かけた。
「話だと……?」
「そう、お話」
ぽんぽんと片手を叩いて隣に座るよう促すが、アハトは無言を答えとして返す。
少しばかり残念そうな表情を浮かべ、十架はお話を開始する。
「あなたはどこで、私が異世界人だという確証を得たの? この制服だろうけれど、どこで知識を得たの?」
見たこともない真剣な顔だった。
(何を考えている? 俺が素直に答えるとでも思ってんのかこの女……)
「どうか教えて欲しいの」
静まっていた血液が逆流しかける──が、思いつめた十架の声音に、これくらいならば構わないだろうと判断し、大きな溜息を吐いてから告げる。
「…………十字軍へ選抜された者は専門的な教育を受ける」
「なるほど、だからマリンちゃんは何も知らないと」
途端に後悔。舌打ちは我慢。
これ以上追求されるのは避けなければならない。
「情報統制なんてしているんだ。それは何の為?」
「…………言えない」
「誰に望まれてここへ来た。また戦争がしたいのか。あの言葉の意味は何?」
「…………言えない」
「隊長さんは誤魔化してたけれど、異世界人が嫌われている本当の理由は何?」
「…………言えない」
「リリアさんが得体の知れない異世界人を、こんな立派な屋敷に泊めてくれる理由は何?」
「…………知らない」
「知らない?」
今度こそ舌打ち。
それは本当に知らないことだった。アハトはただホルツの命令に従っているだけであり、それ以外のことは何も知らない。
「ふーん……そう。ねえ、えっと、アハト?」
「気安く呼ぶな」
「そこは早いのね」
十架は悔し気に眉間を歪める。
「じゃあ、曹長さん。曹長さんは、小説とか読んだことはある?」
これまでの真剣な表情と打って変わり、柔和なものを浮かべながら尋ねてくる。
「…………ある」
「そっか。それってさ、筆者がいて、読者がいて、何かを伝える為につくられた、一つの世界だっていうことは分かるかな」
「…………なんとなく」
自分でも意外なほど、素直な思いが口に出た。
「全て役目があるんだよ。人の優しさを伝えたい、人の恐ろしさを伝えたい、自然の豊かさを伝えたい、世界の怖さを伝えたい。スマホ太郎だってそう、みんな役目があってつくられる。あれは頭の弱い人間の自慰を助ける世界の表れ」
「…………」
「伝えたいことを全て書き終わったら、役目が終わったら、その世界はどうなると思う?」
「…………分からない」
十架が言わんとしていることは何となく分かる。が、それを口にすることなど到底できない。
それを言ったら、自分の存在を疑ってしまうからだ。
何の為にここにいるのか。
「私も分からない。結局はね、考えるだけ無駄なの。私が元居た世界だって、本当に現実だと言われても確証なんて誰も抱いていない。水槽の脳って分かる? あと哲学ゾンビ」
「…………分からない」
「そうね、ごめんなさい。何も馬鹿になんてしてないの、あっちの世界でも、そんなの考えてるのは頭のおかしい人くらいだから。まあそれは置いておいて」
なんでもないように続ける。
「それでも、私はここにいる。息が出来て、痛みを感じて、あなたとお喋り出来る私がいる」
「…………それが?」
「夢だと思ってたけれど、紛れもない現実。ねえ、あなたはそこにいる?」
「…………それは」
「確かにいるよ。ちゃんと自分の意思をもって、私に敵対した。ただの都合の良いモブなんかじゃない」
「…………どういう意味だ」
「あっそうだ、この世界に堕とされた先任たち。その人たちは、役目が終わったからいなくなったんだって」
「…………誰から聞いた」
「それがあなたたちの知りたいこと? このカードは持ってたほうがいいかな」
「…………」
「そうでもなさそう。ま、いいや。今日は疲れたし、もう休みませんか?」
「…………」
本当に疲れたわけではないだろうが、十架は再びベッドへ寝転ぶ。
その後空気の変わりように呆然とするアハトに向かって頭だけ動かし、悪戯心満々の微笑みを見せつけて呟いた。
「広大な屋敷に美女と美少女、男は我慢できるはずもなく……流石に、バリバリのエリート軍人さんはそんなことしませんか」
襲いたいなら襲え、その対価に情報を寄越せ──言外にそう言い、実らなかった十架は自嘲気味に微笑んだ。
「…………お前は利用されようとしてんだぞ」
何故かそんな言葉が出てしまった。
ふざけた顔、呑気な顔、真剣な顔、様々な顔を見せるこの少女の事が、アハトの中で理解出来ない不思議な感情を湧き立たせる。
「何の為にでしょうか?」
「…………知らない」
「そうですか。まぁ、それは構わないのです。今は只、私にはそれだけの価値がある、という事実が嬉しいのです」
十架は天井へと視線を投げ、隠されてしまった空を仰ぐ。
「…………」
「誰かに必要とされている。ただ体ではなく、存在全てを。それはあっちの世界では到底味わうことが出来ない、女王としての甘美な祝福。曹長さん、あなたの瞳には私という存在が、どう映っているのでしょうか」
後半は尻すぼみに、自信なさげに尋ねる。
しおらしいそれが嫌になり、拒絶する様に背を向けた。
「精々用心しろ、ソノザキトーカ」
「やっと名前を呼んでくれましたね、アハト・カヴェナンター」
寝室を抜けようとしたアハトの背に、硬い声が突き刺さる。
「昼間の敵は夜の友。あなたくらいは、私を信用してくれると信じたいのですが」
「誰も信用なんかしない。お前は何を言ってるんだ」
「魔法使いはこう言いました。完全に切り離された異世界など存在しないと。必ず根では繋がっていると。ここは一体どこなのですか……?」
震えた声に、眩暈のような衝撃が襲ってくるのを感じた。
「そんなこと、誰も知らない」
「そうですね。お休みなさい、アハトさん」
振り返った視界には、顔を腕で隠した少女が一人。
今度こそ立ち止まることはなく、アハトは寝室を後にした。
「お気遣い頂き、ありがとうございます」
「それで、いかがでしょうか」
ホルツの低い嗄れ声が、純粋に、苦々し気に、微笑み合う二人を裂く。それは「水に流してくれるのかどうか」を確認する言葉で間違いなかった。
「隊長殿、もうそれを気にする必要など無かろう。この島にいる限りならば漏れはせぬ」
「いえなりません。責任は必ず誰かが負う、それが我々の矜持であります故」
窘めるリリアをきっぱりと否定する。上官の会話に割り込むのは規律に違反する行為であり、罵倒で済んだのは僥倖だともいえる。だが、それだけではない。
(もう良いって言ってんのに何故罰を受けようとする!? それに、島に住まわせるって何だ!? 何を言ってるんだ隊長、リリア区長も!)
鶴の一声は偉大ということは理解している。リリアが望めば事はそのように運ぶ、それが彼女の立場であるからだ。だというのにホルツは対抗し、甘んじることは許さない姿勢を取る。
アハトは動揺を隠そうと表情筋に力を込めるが、それは徒労に終わってしまう。目ざとく見出した十架の瞳が、悪戯心の色に染まったのだ。
「一つ、お願いを聞いて下さるのならば」
「なんなりと」
「そこの男、少し借りても良いですか?」
指をアハトへ向けながら嘆願する。堪え切れなくなったのか、その口元が歪に捻じ曲がり、微かにぷぷっという音が噴き出した。
(はあ!?)
驚愕しているアハトは無視され、ホルツはどこか誇らしげな柔和な表情で快諾する。
「どうぞどうぞ。彼は本日非番です、煮るなり焼くなりご自由に。曹長、行ってくれるな」
「で、ですが──」
「命令だ」
「──ッ!」
「分かっているな?」
「…………了解」
糸目から放たれた底知れぬ殺意から、この身を守る為には頷くしかなかった。
「曹長殿もこられるか。よかろう、祭りには早いが今宵は宴だ」
「いえ、お気遣いなく……」
一点の曇りも無いリリアの微笑み。うなだれるように会釈すると、彼女に抱き着いていたままだったマリンが裾を引っ張って声をあげる。
「お姉様、私も行っていい?」
「うむ良いぞ。良いのだが……一度家に帰られてはどうだ。クリスタが心配しておろう」
「そっかー!」
優しく宥められたマリンは、何度も振り返りながら海岸から去って行く。下校時刻はとうに過ぎており、いつまでも帰らないことを姉であるクリスタがどれだけ心配しているのか、理解出来ないアハトではなかった。
(それだけじゃないだろうがな)
「では参るぞトーカ。曹長殿にとっては見慣れた屋敷であろうがな」
「えっ」
「どうした?」
「男を連れ込んだりしているのですか、もしかして同る──ゲッホゲホ」
「よさぬか、淫らな関係など結んでおらぬ。これでも区長故な、島についての会議やらで軍の方々を招くこともあるのだ」
「とは言いつつ……」
「不満顔だな、いかがいたした」
「いえ、なんでも」
猥談に近い話を交わしながら歩き出す二人。アハトは道を認知している存在であるが故に、案内など必要ないと判断されたようだ。
命令ではある、しかし納得がいかない──立ち竦んでしまっていた体が、誰かに押される。
「くれぐれも粗相の無いように……同志中尉にも黙っていろ」
ホルツが囁く。
「それは──」
「下士官は疑問など抱かずに従えばいい。それくらい分かっているだろう、アハト・カヴェナンター曹長」
冷たい声が、心臓を鷲掴みにした。
「へぇぇ……美しいですね」
ファオラベル島の街並みを見て、十架は感嘆の声を漏らす。
石畳みの通路を挟むように点々と軒を連ねるのは、石、レンガ、木造の家屋。それらの比率は島の中心、すなわち高台、そこに築かれた区長の屋敷へ近づくごとに変遷していく。
「美しいだけではないぞ、長年の歴史を刻んでおる」
「歴史?」
「離島故な、資源も土地も限られているのだ。皆が先祖代々の家を継ぎ、手を加え、今日まで耐え忍んできた。トーカの世界ならば世界遺産とやらに登録されてもなんら不思議ではない」
「良く知ってますね」
「区長故な」
呑気な事を言い合いながらも、その足は速め。十架が纏う異世界の服は、決して多いとは言えない島民たちの注目をどうしても浴びてしまうためだ。
無用な混乱を避ける為であることは理解出来るので、アハトもそれに倣い、十架の横に並んで歩き続ける。両脇をアハトとリリアに固められ、十架はお姫様気分を楽しんでいた。
(呑気なヤツ……しかし、区長は何を考えている?)
解の出ない逡巡も束の間、やはり狭い島である。
視界一杯に大きく左右に広がるレンガ造りの建物、その玄関へと辿り着いた。
「洋館……」
「私の屋敷である。安心せよ、外見は少しばかりみすぼらしいが、中は清潔を保っておる。住めば都である、トーカよ」
「良く知ってますね」
「区長故な」
ふんすと鼻を鳴らした屋敷の主は口をあんぐりさせたままの十架の手を引き、古色蒼然とした雰囲気を纏うそこへ踏み入っていく。人間の通用口としてはあまりにも巨大なドアをノックすると、不快な音を立てながら、ゆっくりと開かれていった。
「お帰りなさいませ、リリア様」
出迎えたのは一人の召使。
「様……?」
「使用人である、他にもう一人おるぞ。紹介したいのだが、まあ、それは後で構わぬだろう。スターク、ただちに夕食を用意せよ。まずは一息つけるのが先だ」
「畏まりました、しばしお待ちを」
バトラーにしては幼すぎ、フットマンにしては背が低い、長めの髪を耳元でくくった使用人。アハトはそれなりに交流しており、突然な来訪にもさして疑問は持っていない様子で主人の命令に従った。終始俯いて対応していたが、一瞬だけ十架へと興味に染まった視線を投げたのをアハトは見逃さなかった。
「男の子……? 男の娘……? どっちにしろ食べちゃいたい……!」
「トーカの守備範囲は広いであるな」
「いえそんなことは」
「鼻血が垂れておるぞ」
「いえそんなまさか」
十架は夢にも思わなかった現実への緊張が限界点を超えたのか、醜悪な本心がここぞとばかりに溢れるようになった。
それらを受け流しつつ廊下を歩き続く。アハトはこの屋敷には無駄とも言えるほどに多くの部屋があること、それだけに廊下が広いこと、リリアが主に使用するのは三階の執務室で、その隣には寝室があることを知っていた。
「さて、用意が済むまで食堂で団欒としゃれこもうか」
食堂は一階にあることも。
やけにオープンな性格は区長として褒められるものではないが、それ故に信頼を勝ち得るのだろう──アハトはそう思いながらも、食事への招待を丁重に断ろうとした時、
「あ、ちょっとよろしいですか」
女子高生が口を挟んだ。
「何であるかな?」
「先に部屋を見たいのですが。よろしいでしょうか?」
「そんなことか、構わぬ構わぬ。一々伺いをかける必要も無いぞ、他人行儀はやめてくれ」
「それは嬉しいのですが──」
「忘れてはおらぬか? トーカ、貴殿は既に私の娘なのだからな」
何の気も感じられない言葉を受け、十架は顔を赤らめる。
「はい……リリアさん」
「ん、む、まぁ、良い。私のほうこそ、娘だと呼ぶのはやはり、面映ゆいものがあるしな」
「じゃあ、リリアお姉様」
「やめんか」
「リリアお母様」
「むう……想像してたより琴線に触れぬな」
「リリア」
「好きに呼ぶが良い」
「ではリリア、屋敷を探索させていただきます」
「うむ。今日は無礼講である、トーカの好きにせよ」
生意気な娘に若干呆れながらも、リリアは微笑みを返して送り出す。
(そういえば、区長の浮いた話なんて聞いたことねえな。女性としての魅力は十分あるし、長としての威厳だってあるのに)
この島に越してきて2年経つが、一度も耳に入ってきていない。カリスマこそあれ、やはりその言葉遣いがネックなのだろうか。
「軍人さん、あなたも一緒に来て下さる?」
「は?」
思考している最中に声を掛けられ、変に上擦った声を発してしまう。
「おぉ、あまりに空気過ぎて忘れておったぞ曹長殿。そう言えば、トーカが指名したのであったな」
「指名だなんておやめ下さい。彼には借りがありますので、それを返すのが先かと思いまして」
「ほほう?」
にやりと嗤うリリア。
(何を企んでやがる!?)
「では、私は食事の席を整えるとするか、スターク一人に任せてはおけぬ。ああ曹長殿、部屋を見繕ったら掃除を手伝ってやってはくれぬだろうか」
身を翻しながらも鋭い視線を向け、刺されたアハトは肯定するしかなかった。
「エスコートをお願いします。曹長殿」
小悪魔的な表情を浮かべる十架。その瞳が見据えるのは未知で、不可視で、ありもしない明日。
十架はアハトを引っ張り回して一階から三階、隅から隅まで未使用であり立ち入って良い部屋を開け、散々迷った挙句、二階にある一室を自分の執務室、その隣を寝室とすることに決定した。
(てっきり三階を選ぶと思っていたが……馬鹿となんたらは高い場所が好きだし)
決して口には出せない思考を振り払い、今は只解放されることを願って雑巾で床を拭く。納得はいかないがやはり軍人、命令されると体が動いてしまうものである。
「あーつっかれた~。もういいでしょ、おわりおわり」
それまで黙々と寝室の清掃作業をしていた十架が突如声をあげ、手にしていた箒を放り投げた。すぐさまベッドへと身を投げ、だらしなく手足を大の字に伸ばす。
「で、何の用だよ」
大方の埃を取り除いたことを確認してから少女へ尋ねる。
まさか掃除に付き合わせるが為に連れ回されたとは到底思えなかったからだ。
「土下座」
「は?」
くぐもった声が聞こえた。
「土下座して」
「なんだと?」
「地面に這いつくばれって言ってるの」
「…………」
アハトが声を失っていると、むくりと身を起こした十架が不満を露に悪態をつく。
「誠意を見せろって言ってるのよ。それで全部チャラにしてあげるからさあ」
「お前……!」
傲岸さをたっぷりと含んだ微笑みを浮かべ、小悪魔は続けた。
「ここまで連れてきた理由、分かってるでしょ? 人前でさせることだけは勘弁したげたんだからさぁ」
「……ッ!」
「軍人さんって大変ねぇ、上司の命令は順守しないといけないんだからぁ。ホルツっておっさん、あんたのことかなり気に入ってるみたいじゃん? 無理難題でも吹っ掛けて、剥げ散らかしてやろうかしら」
くつくつという不快な笑い声。
それがアハトの臓腑を握り締めるかのように、棘をもって脳裏に木霊した。
「調子に乗るな……ッ!」
今回の一件で裏切られたような思いもあるが、これまでの自分を支えてくれた上司を馬鹿にされることは、アハトには我慢できなかった。自然と右手に祈りが込められ、それは雷という奇跡を発現させる種となる。
「軍人の刻薄!」
言霊は点火装置。すぐさま種は芽を出し、巨大な稲妻まで膨れ上がる。
(やべぇ、隊長からは手を出すなって言われてたな……いや、ビビらせることくらい構わねえだろ!)
早まった行動を再び取ってしまったが、今更引き返すことなど出来ないと判断。手を出しさえしなければ良いのだ。
もしもの際は正当防衛にもなる──そう睨んでいたアハトだったが、動揺するどころか薄く笑い続けている十架を目撃して息を呑む。
「私のような罪も無い一般人に向かって軍人様が手を挙げたとあればぁ、より大きな風紀の乱れを招くのでは?(キリッ)」
「風紀だとォ!? ふざけたことを──」
お前が言うな──続く筈だった言葉は、耳元を掠った小さな羽音によって霧散した。
直後、ぬるりと流れる暖かい何かの感触が、頬を伝って落ちていく。何事かと左手で確かめると、僅かだが真っ赤な血液がこびり付いていた。
「命令する。で、土下座するの? しないの?」
「…………何しやがった」
くすくす笑う十架の右手は、アハトには理解出来ないが、銃の形を形成していた。そこから放たれた魔力の弾丸が、頬を掠って空間を切り裂いた。
「土下座したら教えてあげる」
口元を歪ませて、心底楽しそうに微笑む。
屈服など更々する気など無いが、ここで折れなければ二発目が発射され、脳が破壊されるのでは──そんな思考が、アハトの体をじめりとした不快な感触で蝕んでいく。
「無法者に頭を下げるのは嫌? プライドなんて捨てちゃいなさいよ、遅れた文明の異世界人」
「てめぇ……! 何も齎すことも出来ない糞餓鬼が、俺たちを馬鹿にするのか! 区長に報告する、今すぐ放り出せってな!」
「まぁまぁまぁまぁ」
寝室を出て行こうとしたアハトの体を、飛び起きた十架の声が押し留めた。その手が銃の形を解いていないことが何よりの脅威であった為でもあるが。
「それが本性だろ異世界人! 風紀だ何だと言いながら、ただ争うが為に……ッ!」
そこまで口に出してしまってから、ホルツに厳命されたことを思い出し、噤む。
雷光もちりじりに掻き消え、黙ってしまうアハト。それを見て、十架は大きなため息を吐いた。
「とにかく、区長には報告させてもらう。お前は危険な武器を持ってるってな」
それくらいなら構わないし、紛れもない真実。確信を秘めて十架へ告げた。
(ここで口封じに殺されたとして構わねえ、確実にセンチネルが動く。無抵抗で殺られる気なんざないが)
本来は頼りたくも無いもう一人の上司に助けを求めようと画策する。
彼女ならばこの混乱を収束させるだけの権限と行動力がある、きっとホルツも言い負かしてくれる筈だった。
「…………とりあえず一発ヤッて黙らしとくか、いい加減ウザイし」
そう小さく呟いた十架の言葉は、顔面から血の気が引いたアハトには聞こえない。
すぐさまベッドから立ち上がり、すすすとアハトの元へと歩を進める。もちろん手元は解かず、いつでも命令の言霊を発射できる体勢であった。
「この事はお互いの為にぃ、秘密ってことで終わらせましょうよぉ」
つくった甘い声音と共に、立ち竦んだアハトの体へと急接近。嗅いだこともない香水の香りに、アハトは眩暈のような感覚を覚えた。直後に十架の手は伸び、まさぐりはじめる。
「触るなッ!」
「きゃんっ」
弾丸を食らう恐怖よりも羞恥心が上回り、乱暴にその手を払いのける。
「ほほぉ……なかなかの身長。17……19……いや、もっとあるかも。ライフリングは右回りで間違いない!」
警戒を強めたアハトに向かい、まるで動じていない様子で再び接近してくる十架。
その胸元ははだけていた。
「もちろんタダとは言わないよぉ♪ あなたが黙っててくれるのならぁ、十架の生徒会長ま〇こ、いっぱいずぼずぼしてもいいよ♪」
欲に飢えた獣が、そこにいた。
「するわけないだろうが異世界人! 顔の平たい女が!」
「…………」
強く返すと、十架は途端に沈黙。心なしかジト目。さらに目を細めて冷たい視線を送りながら、
「じゃあ、お話を、しましょう」
そう言いながら衣服の乱れをなおし、ベッドの淵へ腰かけた。
「話だと……?」
「そう、お話」
ぽんぽんと片手を叩いて隣に座るよう促すが、アハトは無言を答えとして返す。
少しばかり残念そうな表情を浮かべ、十架はお話を開始する。
「あなたはどこで、私が異世界人だという確証を得たの? この制服だろうけれど、どこで知識を得たの?」
見たこともない真剣な顔だった。
(何を考えている? 俺が素直に答えるとでも思ってんのかこの女……)
「どうか教えて欲しいの」
静まっていた血液が逆流しかける──が、思いつめた十架の声音に、これくらいならば構わないだろうと判断し、大きな溜息を吐いてから告げる。
「…………十字軍へ選抜された者は専門的な教育を受ける」
「なるほど、だからマリンちゃんは何も知らないと」
途端に後悔。舌打ちは我慢。
これ以上追求されるのは避けなければならない。
「情報統制なんてしているんだ。それは何の為?」
「…………言えない」
「誰に望まれてここへ来た。また戦争がしたいのか。あの言葉の意味は何?」
「…………言えない」
「隊長さんは誤魔化してたけれど、異世界人が嫌われている本当の理由は何?」
「…………言えない」
「リリアさんが得体の知れない異世界人を、こんな立派な屋敷に泊めてくれる理由は何?」
「…………知らない」
「知らない?」
今度こそ舌打ち。
それは本当に知らないことだった。アハトはただホルツの命令に従っているだけであり、それ以外のことは何も知らない。
「ふーん……そう。ねえ、えっと、アハト?」
「気安く呼ぶな」
「そこは早いのね」
十架は悔し気に眉間を歪める。
「じゃあ、曹長さん。曹長さんは、小説とか読んだことはある?」
これまでの真剣な表情と打って変わり、柔和なものを浮かべながら尋ねてくる。
「…………ある」
「そっか。それってさ、筆者がいて、読者がいて、何かを伝える為につくられた、一つの世界だっていうことは分かるかな」
「…………なんとなく」
自分でも意外なほど、素直な思いが口に出た。
「全て役目があるんだよ。人の優しさを伝えたい、人の恐ろしさを伝えたい、自然の豊かさを伝えたい、世界の怖さを伝えたい。スマホ太郎だってそう、みんな役目があってつくられる。あれは頭の弱い人間の自慰を助ける世界の表れ」
「…………」
「伝えたいことを全て書き終わったら、役目が終わったら、その世界はどうなると思う?」
「…………分からない」
十架が言わんとしていることは何となく分かる。が、それを口にすることなど到底できない。
それを言ったら、自分の存在を疑ってしまうからだ。
何の為にここにいるのか。
「私も分からない。結局はね、考えるだけ無駄なの。私が元居た世界だって、本当に現実だと言われても確証なんて誰も抱いていない。水槽の脳って分かる? あと哲学ゾンビ」
「…………分からない」
「そうね、ごめんなさい。何も馬鹿になんてしてないの、あっちの世界でも、そんなの考えてるのは頭のおかしい人くらいだから。まあそれは置いておいて」
なんでもないように続ける。
「それでも、私はここにいる。息が出来て、痛みを感じて、あなたとお喋り出来る私がいる」
「…………それが?」
「夢だと思ってたけれど、紛れもない現実。ねえ、あなたはそこにいる?」
「…………それは」
「確かにいるよ。ちゃんと自分の意思をもって、私に敵対した。ただの都合の良いモブなんかじゃない」
「…………どういう意味だ」
「あっそうだ、この世界に堕とされた先任たち。その人たちは、役目が終わったからいなくなったんだって」
「…………誰から聞いた」
「それがあなたたちの知りたいこと? このカードは持ってたほうがいいかな」
「…………」
「そうでもなさそう。ま、いいや。今日は疲れたし、もう休みませんか?」
「…………」
本当に疲れたわけではないだろうが、十架は再びベッドへ寝転ぶ。
その後空気の変わりように呆然とするアハトに向かって頭だけ動かし、悪戯心満々の微笑みを見せつけて呟いた。
「広大な屋敷に美女と美少女、男は我慢できるはずもなく……流石に、バリバリのエリート軍人さんはそんなことしませんか」
襲いたいなら襲え、その対価に情報を寄越せ──言外にそう言い、実らなかった十架は自嘲気味に微笑んだ。
「…………お前は利用されようとしてんだぞ」
何故かそんな言葉が出てしまった。
ふざけた顔、呑気な顔、真剣な顔、様々な顔を見せるこの少女の事が、アハトの中で理解出来ない不思議な感情を湧き立たせる。
「何の為にでしょうか?」
「…………知らない」
「そうですか。まぁ、それは構わないのです。今は只、私にはそれだけの価値がある、という事実が嬉しいのです」
十架は天井へと視線を投げ、隠されてしまった空を仰ぐ。
「…………」
「誰かに必要とされている。ただ体ではなく、存在全てを。それはあっちの世界では到底味わうことが出来ない、女王としての甘美な祝福。曹長さん、あなたの瞳には私という存在が、どう映っているのでしょうか」
後半は尻すぼみに、自信なさげに尋ねる。
しおらしいそれが嫌になり、拒絶する様に背を向けた。
「精々用心しろ、ソノザキトーカ」
「やっと名前を呼んでくれましたね、アハト・カヴェナンター」
寝室を抜けようとしたアハトの背に、硬い声が突き刺さる。
「昼間の敵は夜の友。あなたくらいは、私を信用してくれると信じたいのですが」
「誰も信用なんかしない。お前は何を言ってるんだ」
「魔法使いはこう言いました。完全に切り離された異世界など存在しないと。必ず根では繋がっていると。ここは一体どこなのですか……?」
震えた声に、眩暈のような衝撃が襲ってくるのを感じた。
「そんなこと、誰も知らない」
「そうですね。お休みなさい、アハトさん」
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今度こそ立ち止まることはなく、アハトは寝室を後にした。
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