表と裏と狭間の世界

雫流 漣。

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パングとの出会い

貧しき集落

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どこか近くで轟々と水の流れる音がする。
ここはどこだろう。
ヒイラギ荘?
いや、ヒイラギ荘であるわけがない。
あそこは安アパートだがもう少し暖かいし、近くに川はない。
目をつぶりながらカイは記憶の糸をたどる。

駅前通り…ゲームセンター…
金髪の…悪魔のような瞳…
ナイフの煌めき…
夢?
そうかこれは悪い夢なんだ…

起き上がろうとしてカイは思わず呻き声を漏らした。
体中に痛みが走る。

(すべて現実におこったことなんだ)
カイは実感した。

中途半端に起き上がった格好で、恐る恐る目を開く。
薄暗がりの中、カイは見たこともない部屋の中にいた。
そこを室内と呼べるなら、の話だが。

日は落ちているらしい。
暗闇…テレビの明かりだけがぼんやりと室内の一角を照らしている。

(ここはどこだ?)

カイは脱出経路を探そうと暗がりの中で素早く目を動かした。
テレビ番組がCMに切り替わり、一瞬部屋が明るくなる。
そのとき壁面から、フライパンの柄や折れたハンガーが突き出しているのが…見えた気がした。
空き箱や壊れた機械らしきものも重ねられていたような…

(なんだ、ここは…)

考える間もなく、テレビ画面が暗転して部屋がまた見えにくくなった。

「おはようさん」

突然の呼びかけに肝を冷やす。
慌てて反対側を向くと、大きな黒い影が目にとまった。
その塊はもごもごと動いている。
どうやら人影のようだが…床に座ってこちらを見ているらしい。

(敵か味方か)

カイは身構えた。
…が、立ち上がった男の姿に絶句した。
巨漢、かなりの大男だ。
こんなのが相手ではひとたまりもない。
しかもこちらに歩み寄って来る大男の胸元にはべったりと…

(…血!?)

どす黒い染みを見て身震いするカイ。

「電気つけるだか」
男が大股でどかどか歩き…ぱちんと音がして裸電球に明かりが灯る。

(あっ…)
思わず声を上げそうになった。 

端から端まで十メートルあるかないかの正方形の部屋。
中央はガランとしており、物はすべて壁際に押しやられている。
出入り口を除く壁という壁が天井まで物で隠れ、それが室内をぐるりと一周。

積み上げられた物はトースターや電子レンジ、ラジカセなどの電化製品が特に目立つのだが、どれも本体が割れたり配線が突き出したりで壊れている感じ。

だが、だいたいからして…

(このゴミ溜めみたいな場所に電気が通っているのか?)

テレビの裏から伸びている配線を目で辿う。
コードの先端はステンレス製の料理用ボウルの辺りで途絶えている。
容器の中になにやら透明な液体が入っていて、プラグが無造作に突っ込まれているのだ。

(………!?)

液体は電気を発生する化学薬品かなにかなのだろうか。
どの電化製品のプラグも同じように、瓶や缶の口に差し込まれている。

天井を見上げると、電球から伸びた長いコードの先は、やはりガラス製の花瓶の中へ。

「これは一体…」

そこら中、粗大ごみ置き場のごとく物が溢れかえっていながら室内に粗野な雰囲気はない。
むしろ、この部屋は主にしか分からない緻密な法則によって整理整頓されている気さえする。
うまく言えないが全体が秩序だっているのだ。
細部を見渡せば見渡すほど、落ち着くようななんともいえない感覚…
カイは不思議な安堵を感じ始めていた。

「腹は減ってねえだか?」

大男に質問されてはっとした。
部屋に魅入られていて謎の大男の存在を一瞬、忘れていたのだ。

「そんな怖がんな」
困った顔をし、顎ヒゲに指を突っ込んでボリボリ掻きながら大男が言った。

「オイラはパングだ。おまえさんは?」

自分はこの男に名前を聞かれているのだ、と気がついて慌ててつぶやく。
「…カイ…ロバーツ」

「カイか。いい名前だがな」

パングがにっこりする。
目の前の男を怖がらせないように静かに声を抑えて。

無理して笑顔を作っているのか、微妙に顔が引きつっている。
体型に不釣り合いな大男の繊細さが可笑しくなって思わず微笑むカイ。

それに気がついて、パングも今度は…無意識に本物の笑顔を見せる。
人なつっこい、小さな皺だらけの目。

親近感。

(この男は信用できる)

不思議な現象の起きている謎だらけの部屋にいるというのに、根拠もなくそう思う。
そう考えながら、目の前の木訥な大男を観察すると…
色々なことがわかってきた。

胸元の染みは血ではなく、なんとも可愛らしい乙女テイスト溢れるアップリケであること。

体に似合わず細やかな気配りをする男であること。
(これはカイにコーヒーを手渡すときに、わざわざ遠回りして怪我をしていない左手にカップを差し出したことで気がついた)

傷ついたカイを危ういところでパングが救ってくれたらしい。

自分の置かれた状況を早く理解したくて矢継ぎ早に質問を浴びせかけるカイ。
パングはその一つ一つに丁寧に答えていった。
不器用な人間にありがちな言葉少なさで。

異様な匂いと轟々と唸る水音の正体は近くを流れるドブ川だということもわかった。
ドブ川はそのまま地下の下水排に繋がっているのだが、あまりの臭いに誰しもが避けて通りたがる。
しかも川沿いのこの通りは、碁盤の目のように複雑に入り組んだ町の中の単なる一つに過ぎない。

町中にありながら誰も気にとめない、記憶から存在を抹消された地域。
だからこそと言うべきか、この辺りに自然と集落ができ、パングのような浮浪者がこれ幸いと寄りあわさった。

大人ひとり横になるのがやっとの狭い風除け風の住みかから、拾ってきた木材でしっかりと組み上げられたログハウス、はたまた凸凹のトタンで囲われた納屋のようなものまで、様々な仕様の住居が並んでいるという。
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