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カメラマン
しおりを挟む建物の中も、人であふれていた。
全ての扉が開け放たれ、壁に寄せられたテーブルの上に、綺麗に飾り付けられた料理が並べられている。
「うわぁ」
近くで目にして、思わず感嘆の声を上げてしまった。
生ハムにリンゴのコンポート、カラフルなピクルス、アボカドと小海老のカクテル、オレンジ色のパンケーキ、小海老のフリット、カラフルビーンズのサラダ、
スモークチキン、野菜のサラダバー、お魚のポワレにラタトゥイユが添えてあって、チキン、ポーク、ビーフが、それぞれ中華風、和風、洋風に味つけられている。スープ、パスタ、ピザ。それに、プチケーキやフレッシュフルーツのデザートまで。
テーブルに料理を運んで来てくれる人が、コックコートに長いエプロンをつけた恰好をしているので、どこからか料理人を呼んでキッチンで調理してもらっているのかもしれない。
それにしても。
彩り鮮やかに、これほど綺麗に盛り付けてあるのだから、一流の料理人なんだろう。
見た目も、すごく美味しそうで――あ、味見がしたい。
「食べていいよ?」
じっと料理を見つめていたら、悠兄ちゃんがお皿を渡してくれた。
「このピクルス、すごく食べやすい」
「ん……和風出汁かな? 微かに昆布の香りがしない?」
「ピクルスに、昆布か。やっぱり、プロは違うね」
などと、二人で料理を品評していたところへ、「ユウヤ」と後ろから声をかけた男性がいた。見た目からして三十代後半といったところだろうか。
顎鬚をかっこいい形にそろえ、皮でアクセントをつけた白の三つ揃えのスーツにハンチング帽のその人は編集長さんで、悠兄ちゃんをこの雑誌に引っ張ってくれた、いわば恩人のような人だと紹介された。
「やっと、お出まし、だな」
編集長さんが、揶揄するような視線を私に向けると、悠兄ちゃんは、わずかに頬を紅潮させ「そんなんじゃないですって」と焦って反論する。
そんな悠兄ちゃんをさらに冷やかすように、編集長さんは私に向かって話しかけてきた。
「こいつ、主役の一人だってのに、パーティが始まったときから、ずっと――」
「あー、もう、いいですから!」
恥ずかしそうに編集長の台詞を遮る悠兄ちゃんの肩に、反対側から白い腕が乗せられた。
そちらに向きなおった悠兄ちゃんは、さっきとは違った居心地の悪そうな表情になる。
編集長さんに対して見せたのが、自分よりも上の者に対する気恥しさみたいなものだとすると、白いスーツの人に対しては、いたずら仲間の同級生に取澄ましているところを見られたような――けれど、どちらもイメージさせるのは中学生くらいの男の子という点では共通している。
悠兄ちゃんがこんな顔できるってことは、きっと、この二人とは上手く付き合っていけている証拠なのだろう。
「あらー、ユウヤ、その娘ね」
白スーツの人が、持っていた一眼レフのカメラで私たちをパシャパシャと撮る。
キース・ジャレット――カメラマンと紹介された彼は、薄い金色の長い巻き毛にエメラルド色の瞳が綺麗で、背が高い。撮る側にしておくのがもったいないほどの美丈夫。
白のスーツにえんじ色のシャツが嫌味ではなく似合っていて、シャッターを切る指先は細く長く、男性なのに女性的でもある。
日本が長いのか、日本語も上手。
私の着物が珍しかったのか、ハイテンションで私(と着物を)褒めた後、手にしていたカメラで再び私を撮り始めた。
立て続けに鳴るシャッター音に、ちょっと怯む。
「キース。勝手に撮るなよ」
悠兄ちゃんが、不機嫌そうに私とカメラを構えているキースさんの間に立ちはだかった。
「ユウヤのガールフレンド?」
その言葉に、私の心臓がドクンと跳ねる。
ガールフレンドってところだけ、とてもきれいな英語の発音だった。たぶん『恋人』の意味の方だろう。
そんな風に、見えるのだろうか。
けれど、悠兄ちゃんはあっさり「――じゃないけど」と笑顔で否定した。
日本の『女の友達』っていう意味でも間違ってはいるから、悠兄ちゃんの否定は正しいのだけど。こんな風に軽く言い切られると、なんとなく寂しい。
気を落とした私の肩を、悠兄ちゃんが引き寄せた。
「――けど、俺の一番大事なやつ。だから、手を出したら、キースでも許さないよ」
落ちかけた気持ちが、反動をつけて再び急上昇した。
肩に置かれた手に、鼓動が伝わるのではないかというくらい、心臓がばくばくし始める。
冗談だっていうのは、分かっている。
分かってはいても、その一言に胸を射抜かれ、これまでずっと秘めてきたものが傷口から滴り落ちそうになる。
もしもここがパーティ会場ではなく、私と悠兄ちゃんの二人っきりだったら、私はすべてをぶつけていたかもしれない。
――あの男のことも、この甘い気持ちも。
そこへ、キースさんの明るい声が響いて、私は慌ててその傷口に蓋をした。
「そんなかわいい子、一人占めは、ずるいわ、ユウヤ」
「うるせ。オカマのお前には、絶対渡せない」
「ひどい。アタシ、オカマじゃないのにー」と泣き真似をしてみせるキースさんに悠兄ちゃんが「アタシって言ってる時点でオカマだろ」と突っ込んだ。
その二人のじゃれ合う様子がなんだかかわいらしくて、私は思わず吹き出してしまう。
私に向き直ったキースさんの笑顔は、艶やかという以外にぴったりくる言葉がない。
「凛とした表情もクールだけど、笑顔も、チャーミング。――ねえ、二階でゆっくり話さない?」
しなやかな指先が、私の頤の方へ伸びてきて、ふわりとその形をなぞった。
「二階?」
「そ。二階。ベッドルームがいくつかあるの」
それから、くいっとキースさんに引き寄せられて、すとんと胸の中に収まり、頬に唇を寄せられる。
――え? え? ええっ!?
そのなめらかな一連の動作の後、何が起こったのか反芻してみて頭に一気に血がのぼった。
外国では普通のことなんだろうけど、でも。
「てめっ。どさくさまぎれに誘ってんじゃねぇよ。綾から離れろ」
「あらん、ユウヤ、妬いてる?」
突然のことに体が固まって驚いて動けない私を悠兄ちゃんが引っ張り、キースさんから引き離した。
同時に、キースさんは編集長さんに「そのへんにしとけ、キース」と羽交い締めにされる。
編集長さんに後ろ向きに引きずられるままになりながらも彼は、悪びれることなく――というか、悠兄ちゃんにどやされるのが楽しそうに――額に指に本を立て、「じゃ、またね、アーヤ」とその場を離れていった。
「素敵な人ね、キースさん」
「はぁ――っ!? まさか、あんなのが、好みか?」
その顔が心配性のお父さんって感じだったので、私はまた思わず笑ってしまった。
「ううん、そうじゃなくて――いい人って、意味で。あんな人がカメラマンだったら、緊張せずに撮影ができるんじゃないかなって」
撮影ではなかったけど、おかげで、自分が場違いなところにいるのではないかという緊張が少し解れた。
「確かに、悪い奴じゃないな。ああ見えても、すごく気を遣うタイプだし。特に、いい写真を撮るためなら、なんでもする――」
言いながら悠兄ちゃんの視線が私の胸元で止まる。視線を落とすと着物の合わせのところに、薄い小さな紙が挟まっていた。
引っ張り出してみると、名刺サイズの半透明の紙に『カメラマン キース・ジャレット』と印刷されていて、その下に手書きで携帯電話の番号が書かれている。
横からそれを覗き込んだ悠兄ちゃんが、小さく舌打ちした。
「気をつけろよ」
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