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05.白蛇姫、指先王子を導く
しおりを挟むなかなかの拾い物だ、とアーレは思った。
レインティエと名乗った男と少し話をして、アーレは想像より上の男が来たことに、内心驚きもして喜びもしていた。
特に、弱いことがいい。
強さには自信がないと本人が言うだけあって、恐らく戦士見習いの子供より弱いだろう。
重要なのは、あまり弱いことを恥じる様子がないことだ。
集落の男のような自尊心が、この男にはない。それだけでも拾い物だが――死ぬ覚悟をしてきたと言ったことと、ナナカナとちゃんと話ができるというのも評価できる。
ナナカナとタタララがレインティエをどう思っているかはわからないが、アーレとしては、夫婦となることを前向きに考えたいと腹を決めた。
…………
「……どうした?」
ただ、「自分と一緒に生きて死んでくれるか?」と問い「そのつもりだ」と答えたレインティエが、急に胸やらズボンやら尻やら触ったかと思えば堅い表情で動かなくなった、という挙動不審さは気になるが。
なんだろう。何かの儀式だろうか。
「いや、……ちょ、ちょっとこのまま待っ…………いや、なんでもない。気にしないでくれ。はは。うん。気にしないで。いずれわかるから」
完全なる愛想笑いである。
気にするなというのが無理なほどに無理した、完全なる愛想笑いである。
――よくわからないが、誤魔化したいというならそれはそれでいい。
「ではレイン、おまえの言う通り話は道中しようか」
そう言って、アーレは彼方を指差す。
「おまえの仲間が心配そうに見ているぞ。早く行って安心させてやれ。それから出発だ」
体格の良い二人の男が、離れた場所からずっとこちらを見ている。レインティエの連れだろう。
「ああ、荷物を持ってくるから少し待っていてくれ。すぐに発とう」
「――どうだった?」
レインティエが一旦走り去るのを見送ると、アーレはナナカナとタタララを振り向く。
「すごく興奮した……!」
タタララの意見はあまり役に立ちそうにないが、少なくとも敵意を抱く相手とは見なさなかったようだ。
「あの男がアーレと番になるのか……美しい青い瞳だったな。これからアーレはあの瞳に見詰められるんだな」
「おまえの腹もしっかり見られていたぞ」
「わたしの腹などどうでもいい。……えっ、本当に見てた? いやらしい目で見てた?」
これ以上タタララと話していても仕方ないので、アーレはナナカナに目を向ける。
「どう思った?」
「……悪くないと思った」
「そう言う割には不満そうな顔だな」
「本当に夫婦になりそうだと思っただけ。娘としては、族長の生活が変わるのは不安がある」
生活が変わる。
確かに、同じ屋根の下に暮らす者が一人増えるとなれば、これまで通りというわけにもいかなくなるだろう。
「ましてや文化も常識も全然違う人が増える。もしかしたら白蛇族は良くも悪くも変わってしまうかもしれない」
浮かない顔をするナナカナに対し、アーレは呵々と笑った。
「変わる? いいことじゃないか。そもそも我らは良くも悪くも変わる必要がある。あの男がそのきっかけになるか、あるいは中心になるか……
先のことはわからんが、しかし、我はあの男は悪くないと思っている。集落へ連れて行き様子を見て、互いの気持ちが同じだったらレインを婿に取るぞ」
今が春で、秋くらいまで集落で共に過ごし。
冬になる前に意思を確認し、婿に取るかどうかを話し合う。
もしレインティエを婿に取らないのであれば、冬の前に、向こう側に還す。
――だいたいの予定は、それで決まりだ。
「待たせた」
しばし時を過ごすと、大きな革のリュックを背負い、黒い上着を着たレインティエが戻ってきた。
「もういいのか? 別れの挨拶は済ませたか?」
アーレの金色の瞳は、レインティエの後ろ……すぐそこまでレインティエを見送りに来ている男三人に向いている。
「ああ、大丈夫だ。元から行くつもりだったから、別れの挨拶はすでに終わっているんだ」
「そうか。――では行こうか」
アーレたちは身を翻し、霊海の森へとレインティエを誘う。
かつては一国の軍隊でさえ超えることができなかった、深山幽谷の森へ――
それからのこと。
なだらかな山を越え、激流の河を越え、渓谷を越え。
レインティエは毎日息切れしながら、険しい道なき道を歩むことになる。
婿入りが決まって半年は、しっかりと身体も鍛えてきた。
だが、それがあまり役に立っていない……いや、その想定を超えるほど過酷な旅だった。きっと鍛えていなかったら途中で音を上げていただろう。
「……すまないね」
「いいから。黙って歩いて」
子供であるナナカナに背嚢を持ってもらうというそれなりの屈辱も味わいつつ、やはり根本的な運動量や筋力の差があるのだろうかと考えつつ、レインティエは必至で歩き続ける。
途中で魔獣に襲われたりもしたが、アーレとタタララが本当に強いおかげで、危機感さえ抱く間もなく問題は解決していった。
「――うわっ」
霊海の森と言うだけあって、人ならざる……あるいは生物ならざる者も、ざらにいた。
夜、くたくたになった身でぼんやり火に当たっていると――すぐ横に透き通った人型の何かが立っていた。
ここに来るまでに、遠目では何度かそれっぽいものを見ているが、ここまで近くにいるのは初めてである。
「死者の霊だ。この森を越え、我らの地を抜け、更にその先の彼方へと向かうのだ」
そんなものはなんでもないと言わんばかりのアーレの説明を聞き、そういえば、とレインティエも思い出す。
「神々の住まう地……か」
婿入りに当たって、この霊海の森についても調べてきた。悪霊の類が出るというのは有名だが、眉唾としか思えないような逸話もあった。
その中でも有名なのが、「神々の住まう地」と呼ばれることもある、ということだ。
「そちらの地に神はいるのか?」
軽い気持ちで聞いてみたら、アーレも軽い口調で笑いながら答えた。
「我は会ったことも見たこともないが、本当にいるかもしれんぞ。現に神の使いなら集落にいるしな」
「えっ、本当か?」
「ああ。着いたら自分の目で確かめるといい」
大変で、戸惑うことも多く、見たことがないものばかりだった霊海の森をさまようこと、十三日。
レインティエは、無事、森を越えたのだった。
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