蛮族の王子様 ~指先王子、女族長に婿入りする~

南野海風

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32.白蛇姫、意識していることを意識する

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「――我は嫌われたのだろうか……」

 歩きながら簡単に経緯を説明したアーレは、歩きながらいつになく沈んだ声を漏らす。

 白蛇エ・ラジャ族の女としては、少し小柄な方に入るアーレだが、いつだって自信に溢れていたせいか、とても大きく頼もしく見えたものだが。

 しかし、今のアーレの背中は、とても小さく見える。
 それこそ、年相応のただの女のようだ。

「「……」」

 いつもの女たちなら、「だらしない」「意気地がない」「男の一人も口説けないのか」等々、不甲斐ないアーレを罵ったことだろう。
 不器用な女たちにできる励ましなんて、手っ取り早く怒らせるくらいしか思いつかないから。

 だが、言えなかった。
 アーレが本気で落ち込んでいるように見えたから。

 全員が、生まれた時から知り合いというくらい狭い集落暮らしであるのに、これほど落ち込んでいる姿など、誰も見たことがなかった。

「アーレ……」

 特に仲が良いタタララが、声を掛けられないほどだ。

「――だいたいわかった」

 女ばかりが十人も集まっているのに、皮肉なほどに静まり返ったそこに。
 唯一の夫持ちであるエラメが、ついに口を開いた。――正直言って誰もが待っていた。「おまえがどうにかしろ」と思っていたのだ。番の話など誰もわからないから。

「アーレはレインが好きになりかかってるのね」

「……ん? 何だと?」

 先頭を歩いていたアーレが、何を言っているんだという顔で振り返る。その隣のタタララも胸を押さえて振り返る。

「帰ったら謝ればいいのよ。言いすぎたって。番になるつもりでレインは白蛇族うちの集落に来たんでしょ? だったらよほどのことがなければ愛想を尽かされることはないと思うわ」

 エラメがレインティエと言葉を交わしたのは、大狩猟の宴の時である。
 それまで遠目で見かけることはあったが、特に用事もなかったので、声を掛けることはなかった。

 見たことのない料理の番をするレインティエに「これは何か」と訊ねたところ、捨てたりエサにしたりするしかない牛すじ肉を使った汁だと答えた。
 本当に変わったことをする男だと、エラメは思った。――汁はなかなかうまかったが。

 話してみた感じ、悪い印象はなかった。人当たりもよかったし、短気でもなさそうだったし。

 これならアーレを任せてもいいと思った。
 アーレ自身の我が強いだけに、我が強い男ではきっと合わない。その最低限の条件は満たしている、と。

 そして重要なのが、少なくともアーレよりは精神的に大人だと感じたことだ。
 頭のいいナナカナが懐いているなら、猶のことである。

 集落の男にはあまりない、レインのあの包容力なら、多少アーレが暴れてもそのまま受け入れるだろう。

 ならば――多少の悪口や小言を耳に入れたくらいでは、怒ることさえないと思う。

 それでも気になるなら、謝ればいい。簡単な話だ。

「謝る、か……」

 しかしアーレは、憂鬱そうに眉を寄せる。

「許してくれるだろうか」

 ――これだ。

 いつもは自信満々で、細かいことは気にするなと笑い飛ばすようなアーレが、こんな小さなことで思い悩んでいる。

 いや、小さくはないのか。
 レインティエの関わることのほとんどが、アーレにとっては小さくないのだろう。

 これはまさしく……とは思うが、エラメはそれは言わない。
 それは、自分で気づくべきことだと思うから。

「――あ! そうか! アーレの方がレインに惚れてるんだ!」

 しかし残念。
 若いし未婚だし好いた惚れたに縁がない、まだその辺の気遣いができない女も……いや、子供もいるのである。

「……えっ」

 驚いた顔をして固まったアーレの頬が、耳が、赤くなった。その隣でタタララの顔も赤くなった。

「我が、レインに、惚れ……?」

「あのアーレがついに男に惚れ……!」

 どうでもいいがなぜタタララまで反応しているのか。いや、今更か。

 呆然と、熱に浮かされたようにぼんやり視線を漂わせるアーレは、「いつからだ」だの「これが惚れるというアレなのか」だのとぶつぶつ小さく呟くと……

 急に意識を取り戻したのか、キリッと締まった顔と視線でエラメを射抜いた。

「――おいエラメ」

 その顔はまだ赤く、いつもの凛々しい族長ではなく、年相応の女に見える。
 異様に強く輝く金色の瞳以外は。

「男の落とし方を教えろ。男は何をしたら喜ぶ」

 いつだったか「男くらい一人で口説ける」と豪語していたアーレの、堂々たる前言撤回だった。

 つまり、もう手段を選ばない、という意味である。
 
 道理で輝きが違うはずである。
 あれは、獲物を狙う時のアーレの瞳だ。

「おまえはどうやって男を落とした? おまえが落とされたのか?」

 更には、色恋にまったく興味がなかったアーレが、そんなことを聞いてくる。

「アーレが聞いてるんだ、早く答えろ」

 タタララはなんなのか。タタララはアーレのなんなのか。

「――エラメって卑劣な手を使ってバートを落としたって聞いたことあるけど」

「――え? あたしはバートが必死でエラメを口説いたって聞いたけど」

「――きっとおっぱいだよ。絶対あのおっぱいを見せたり押し付けたりして落としたんだよ。男はおっぱいに弱いから。……にしてもおかしい……同じ物を食ってるのになぜこんなに差が……」

「――ずっと暇なんだけど。キノコ採りにいっていい?」

 アーレとエラメの会話を邪魔しないよう黙って事の次第を見守っていた女たちが、ついにぼそぼそと囁き出した。エラメとしてもなかなか放っておけない内容である。

 しかしまあ、とりあえずだ。

「アーレがやるべきことは、口説くとか落とすとかの前に、レインと二人きりの時間を作ることよ」

「二人きりの、時間……? ナナカナはいいのか?」

「いいの。むしろナナカナは気を遣ってくれると思う」

「そうか。いやしかし、二人きりと言っても……毎日とは言わんが家で二人きりになる時くらいあるぞ?」

「そうじゃなくて。――逢引きをしろと言っているのよ。二人で出掛けなさい」

「あ、あいびき……?」

「家の中で会えるのに、わざわざ人気のないところに行くだと……? なんの意味があるんだ? アーレが知りたがっているぞ、早く答えろ」

 知りたがっているのはタタララだろう。




 その日の狩りは、本当に仕事にならなかった。
 縄張りの確認をしながら、雨後に元気なキノコ類の採取をして回り、早めに帰途に着いた。



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