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40.客人が来るそうだ
しおりを挟む「早かったな」
あ、アーレ・エ・ラジャがまだ家にいた。
「手が掛からなかったからな。向こうも怪我人は増えていなかった」
まだ早朝である。
アーレ・エ・ラジャたちの食事を用意すると、彼女たちが食べている間に、私は怪我人の診察をしている。
最近は、夜の酒席を経て雑魚寝して朝を迎えるというパターンで、女性の戦士たちが入り浸っている。
帰らなくていいのかと一度聞いたことがあるが、一人を除いた全員が独身なのだそうだ。その一人も、今は集落が割れているせいで別居中だという。仲違いしているわけではないが、なんとなく一緒に住みづらくなったらしい。
戦の季節が始まって、一ヵ月以上が過ぎようとしていた。
最初こそ不安を抱え心配ばかりしていたが、なんだかんだで私もこの生活に慣れてきていた。
そして、いつもは私が怪我人を診ている間に、アーレ・エ・ラジャを含めた女性の戦士たちは狩りに出ているのだが……
今日は、アーレ・エ・ラジャだけが残っていた。
他の戦士がいないので、もしかしたら、私の帰りを待っていたのかもしれない。何か用事だろうか?
「ロークの様子はどうだった?」
「ずいぶん落ち着いてきている気はするけど、まだ山は越えてないと思う」
ロークとは、向こうの集落の怪我人である。例の腹に穴を開けてしまった、死にかけた戦士のことだ。
いや、まだ、今も死にかけていると思う。それくらいの大怪我だ。正直なぜあれで生きているのか不思議なくらいだ。
「もう十日くらいそんなことを言っていないか?」
「……そう言えばそうだな。言ってるね」
様子を見る限りでは、本当に毎日危険なのだ。
「今日が山だ」が毎日続いているのだ。
確かに十日ほど、私自身が同じことを言っている気がするが……まだまだ予断を許さない状況ではあると思う。……本当になぜまだ生きているのかな、彼は。不思議だ。臓器を損傷しているから食事もままならず、酒ばかり呑んでいるはずなのに。本当に不思議だ。
「まあ、できるだけのことはしてやってくれ。ロークは優秀な戦士だ。できれば生きていてほしい」
それは同感だが。
生きているのが不思議ではあるが、死んでほしいとは思わない。
「でな、実はレインを待っていたのだ」
だろうな。
夜の酒宴による乱れっぷりが嘘のように、翌日にはしゃんと起きて朝早くから戦へ向かうのだ。思えばこういった真面目な戦士の行動も不思議な部類に入るかもしれない。というか本当に酒が強い。あれだけ呑めば普通は翌日にも残りそうなものなのに。
……あ、思い出した。酒と言えば――
「飢栗鼠族から連絡があった。今日我に……いや、ナナカナに会いに来るのだ。一緒に用件を聞いておいてくれ」
ん?
「飢栗鼠族?」
というと、確か大狩猟で獲物を追い込むために協力を頼んだとかなんとか、言っていたかな……ちょっと記憶に自信がないが。
「リスの加護を持つ部族だ。力は弱いがすばしっこく頭がいい。あいつらは強さだけで価値を見る戦士が嫌いでな、話す相手を選ぶのだ」
ああ、だからナナカナか。
「私も会った方がいいのか?」
「あいつらは力は弱いが頭がよく、そして器用だ。――おまえとは話が合うんじゃないか?」
……なるほど。私のような部族と考えていいのか。
「他に気になることがあればナナカナに聞いておけ。我は行く」
「ああ、いってらっしゃい――あ、ちょっと待った」
私は咄嗟に、目の前を通り過ぎようとしたアーレ・エ・ラジャの手を取った。
「お、なんだ? 飯でも忘れたか?」
昼食の弁当なら全員に渡してある。そしてそれはアーレ・エ・ラジャの腰にちゃんと結わえてある。
確かに忘れ物ではあるが、それではない。
「――お、おい……!」
私は彼女の前に跪き、取っていた彼女の手の甲に唇を寄せた。
「あなたの無事を祈っている。いってらっしゃい」
「……う、うむ……」
動揺し、頬を赤く染め、油切れの絡繰りのようにギギッと可動部が軋むようなぎくしゃくした動きで、アーレ・エ・ラジャは歩いて行く。
……喜んでいたかはわからないが、嫌がってはいなかったと、己惚れていいだろうか。
――つい最近、エラメという戦士に「夫婦とまでは言わないけど、たまにはアーレに恋人みたいなことはしてやって。喜ぶから」と言われたことを思い出したのだ。
喜ぶかどうかはさておき、私だって年頃の入り婿候補である。
すぐそこに嫁候補がいるなら、多少はなんだかんだあっていいと思うし、むしろ何かしたいと思う。
とはいえ、ここのところずっと、それこそそれを言ったエラメも含めて、この家には戦士たちが入り浸っていたので、何かやる間なんてなかった。何をするにしろ人前でするようなことでもないし。
…………
なんというか、ここのところの忙しさを鑑みるに、夏の間は私たちの仲は進展しないかもしれないな。
この時期は、何かするには適さない。
戦士には戦に集中してもらいたいし、戦士以外は戦士を支えることに全力を注ぎたい。
最近は特に、己のやるべきことがわかってきた気がする。
彼女らが全力で戦えるようにすること。
傷つき疲れた戦士たちを出迎え、栄養価が高く美味しい食事を用意して待ち、明日への英気を養ってもらう。
彼女らの戦いを支える……これもまた戦いだと私は思う。
アーレ・エ・ラジャが戦っているように、私も私の戦を、全力で戦い抜きたい。
――さて、それはともかく。
飢栗鼠族という客が来るそうなので、迎える準備をしないとな。ナナカナはどこだろう? 洗濯だろうか?
あ、それとさっき思い出したんだよな。酒だ酒。
しばらくして、食器洗いと洗濯を済ませてきたナナカナと合流し、これから来るという飢栗鼠族の話を聞いてみる。
「レインなら大丈夫」
あまり詳しく教えてくれず、ナナカナはそれだけ答えた。
「飢栗鼠族は用心深いから、一番安全で見通しがいい昼頃に来ると思う。飯を用意しておこう」
「用心深いんだろう? こっちの用意した食事を食べるのか?」
「古いしきたりだけど――そちらを信用します、だからこちらも信用してください、って。食べ物を用意して振る舞うってそういう意味があるんだよ」
なるほど。
他の部族っていうハードルを、そういう通例で越えてきたのか。この規模の集落だもんな、よその部族に裏切りとか襲撃とかされたら致命傷になりかねないしな。
「ところでレイン、その壷って」
「三ヵ月くらい前に酒を仕込んだだろう? 取ってきたんだ」
従来の仕込み方をせず新しい酒を作ろうと、色々と条件を変えて仕込んだものだ。どんな風に仕上がっているのか楽しみである。
「味見しようよ」
「さすがに子供は呑んじゃ駄目」
これは一旦私の家に隠しておこう。最近の戦士の呑みっぷりからして、このくらいの量を出しても一日でなくなるだろう。もっと改良も加えたいし色々試したいので、私だけ呑むことにする。
仕上がりは気になるが、呑むのは夜だな。
「引きずっても駄目だぞ! 私は家庭内暴力に屈しない! ……ああっ」
ちょっと引きずられたが、いつまでも遊んでいるわけにはいかないと泣いて説得し、客の分も含めて昼食の準備をする。
――ナナカナの予想通り、昼時を狙ったかのように、小柄な男がやってきた。
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