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50.もう一度族長を決める
しおりを挟む「命拾いしたな」
幸か不幸か、ジータたち男性の戦士は、すでに狩りに出ていた。
ジータの家に殴り込みを掛けて、本人不在の中で彼の嫁たちを驚かせたアーレ・エ・ラジャは、忌々しげに舌打ちした。
なんだかとっても凛々しく雄々しく蛮族感を発揮する彼女の逞しくも頼りがいのある背中に追いついた私は、「とりあえず一旦引き上げよう」と彼女の手を取る。
「戻るのか? ――ジータに伝えておけ。帰ってきたら殴り倒すと」
「やめなさい」
私はそんなことを求めてないから。殴り合いじゃなくて話し合いをするんだ。
「――アーレ」
もう強引にでもさっさと連れ出した方がいいと思った私は、少し強引にアーレ・エ・ラジャの手を引く――が。
ジータの嫁の一人が声を掛けてきたので、彼女はぴくりとも動かなかった。力が強い。私より小柄なのに。まったく。実に逞しくて頼もしい嫁である。
「なんだ」
ぐいぐい引っ張る私など気にも留めず、アーレ・エ・ラジャは声を掛けてきた女性に問う。
「ジータの嫁になるなら早くしてよ」
「は?」
うーん。
なんだろう。
気のせい……では、ないと思うが。
ジータの嫁の声は険を含んでいて、アーレ・エ・ラジャを非難する色が込められている……気がする。
「ならんと言っているだろう。何度も何度も。おまえたちもジータもなぜ我の話を聞かんのだ。いいかげんにしろよ。おまえたちのせいで我の予定も止まっているのだぞ」
相手が非難しているせいか、アーレ・エ・ラジャの返答もかなり刺々しい。
「だったら早くそこの男と番になりなさいよ。あんたがはっきりしないからこんなややこしいことになってるんじゃない」
「――おまえもバカなのか!? 何度も何度もジータとは結婚しないと言っているだろうが! ジータがごねているからややこしいことになっているといつ理解できるんだ!?」
「ちょ、ちょっと待った! さすがに手を出すのは!」
ずかずかと歩み寄ろうとするアーレ・エ・ラジャに抱き着くようにして、私は彼女の歩みを拒む。
「我のせいか!? 違うだろう!? どいつもこいつもふざけた理屈を捏ねおって!」
いや……うん。
その、あれだよな。
この衝突は、きっと、長く付き合いのある同胞……白蛇族同士にしかわからないやつなんだろうな。
旦那がほかの女に夢中であることを、嫁が何も思わないわけがないだろう。たとえ多妻制が認められている文化があっても。
「ふざけてるのはあんたでしょ! アーレ!」
あ、ちょっと、待って!
アーレ・エ・ラジャは止まってくれたが、代わりとばかりに向こうからやってきた。ジータの嫁は完全に怒りに満ちている。
「あんたが族長なんでしょ! いつまで男たちに遠慮してるの!? こんな時族長だったらどうするか――わかるでしょ!?」
…………
居た堪れない。
今私はどうすることもできない。
「私たちの族長はなんなの!? 白蛇族のどういう存在なの!? 族長なら半端な優しさなんて早く捨てなさいよ! そんなものは毒にしかならないのよ! ジータごと捨てなさい!」
極力存在感を消すことしかできない私の腕から、抑えていたアーレ・エ・ラジャの身体から力が抜けたのを感じた。
「いいのか?」
苛立ちとも敵意とも殺意とも違う、真面目な声だった。
「それをやったら、本当に集落は壊れるかもしれない。それをやれと言うのか?」
「バカ」
詰め寄ってきたジータの嫁は、……泣きながら笑った。
「――その程度で壊れるほど弱くないことくらい知っているでしょ? あんたは白蛇族を変えるために族長になって、一人前になるために男も連れてきた。あとはやるだけでしょ? 早く変えてよ」
その時のアーレ・エ・ラジャと彼女の会話は、よくわからなかった。
でも、意味はすぐにわかった。
その日の夕方だった。
大狩猟の時に集まった広場に、白蛇族のほぼ全員が集まっていた。
中央に戦士たちたち。
男女に分かれていて、やはり男性の戦士の方が多い。さすがに半年もいれば、あまり接点のなかった向こうの戦士の顔もだいたい見ていると思う。
そして、戦士たちを囲むようにして、女性たちや戦士じゃない男たち、子供たちが見守っている。
私もその中の一人である。
ナナカナと並んでこの光景を見ている。
「おいアーレ、急に呼び出してなんのつもりだ」
男性の戦士たちが、狩猟から戻ってきてすぐである。
返り血を浴びているジータを先頭に、少々気が立っている戦士たちが、不機嫌さも露わに集まった。
「じき冬が来る。あっという間だ」
アーレ・エ・ラジャの呼び出しに答えて。
「その前に、いいかげんに決着をつけようと思ってな」
と、彼女は一歩前に出る。
「――白蛇族の族長は我だ。我一人だ。それを証明する」
アーレ・エ・ラジャが徐に左手を上げると、傍にいたタタララが木製の鉈剣を持たせる。
「我とタタララの二人で相手をする。おまえたち全員で掛かってこい。
――勝った方が族長だ。最も強い者が族長だ。もうごちゃごちゃ言わせない。認めないなど許さない」
集落がざわめいた。
私も驚いた。
ここで何をするかなんて、何も聞いていなかったから。
ただアーレ・エ・ラジャに「最後まで見守ってくれ」と言われただけだ。
「たった二人でだと!?」
「ふざけるのも大概にしろよ! 女のくせに!」
狩りの直後だけに気が昂っている男性の戦士からは殺気走った野次が飛ぶが、アーレ・エ・ラジャとタタララは一切怯まないし退くこともない。
一緒にいた女性の戦士たちは下がり、本当にその場に二人だけ残された。
「黙れ!!」
殺気を塗りつぶすような重く強烈な殺気とともに、アーレ・エ・ラジャが一喝した。
「ふざけていないから二人だ! 我一人では勝てるかどうかわからんから、安全策でタタララに手伝わせるのだ!
いいか? 万に一つも勝ち目があると思うなよ?
今からおまえたちの戦士の誇りを打ち砕いてやるからな!」
そう、確かに言っていた。
族長には、白蛇族で一番強い戦士がなるものだ、と。
だが、いろんな要素が重なり、男性の戦士たちが一番強かったアーレ・エ・ラジャを認めなかった……というのが、集落が割れた理由である。
その後、なぜ集落が割れたままだったかと言えば――そう、ジータの嫁が言った通り、アーレ・エ・ラジャの優しさだったのだろう。
力で抑え込めばよかったのだ。
最初からずっと、その解決方法はアーレ・エ・ラジャの頭にあったのだろう。
しかしそれは同時に、男性の戦士たちに力を見せつけ、証明するという意味である。
男性の戦士が中心となり、白蛇族は生き続けてきた。
アーレ・エ・ラジャが力を証明してしまうと、彼らの誇りを傷つけることになる。
だからやらなかったのだ。
それが原因で、集落が割れる以上に、収拾がつかなくなる可能性もあったから。
男性の戦士たちが全員この集落から去るだとか、力を証明してもアーレ・エ・ラジャに従うことをよしとしないだとか、そんな取り返しのつかない状況になることも考えられた。
だが、アーレ・エ・ラジャは覚悟を決めた。
集落が壊れてもいい……いや、何をしても壊れないことを信じて、この勝負に臨んだ。
もう一度行われた、族長を決める戦い。
今度はなんの言い訳もできない、二人対約五十人。
開始の合図さえなく、自然と始まったそれは――ひたすらに凄惨だった。
打たれても怯まず突き進むアーレ・エ・ラジャに、彼女の動作の一切を邪魔させないタタララの動き。
二人対、約五十人。
一方的な戦力差に思えたが、いざ始まってみれば違う意味で一方的だった。
アーレ・エ・ラジャは強い。
単純に、ただただ強い。
彼女が腕を振るうたびに、戦士が一人、また一人と倒れていった。
そんな彼女を自由に、動きやすいように立ち回るタタララの器用さは、長い時間を掛けて培った阿吽の呼吸というものだろう。
気が付けば、立っているのは二人だけだった。
私は駆けた。
満身創痍の彼女の下に。
そして、強く抱きしめた。
――戦いがどうとか、強いとか関係なく、ただアーレが傷つく姿を見続けるのが辛かった。
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