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66.婆様の名は

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 婆様。

 白蛇エ・ラジャ族の集落にやってきて、何に一番驚いたかと言われれば、彼女である。

 思えば、こちら・・・に来る前に私が漠然と思い描いていた、もっとも想像通りに蛮族らしい人だった。
 いや、私の思い描く蛮族感を余裕で上回る衝撃だった。

 トレードマークにしては行き過ぎな動物の頭蓋骨をかぶり、何の意味があるのか烏のような黒い羽を付けたケープをまとい、これまた何かの動物の頭蓋骨を持ち手につけた杖をついて歩く、現白蛇エ・ラジャ族の最年長の老婆。
 確か四十四歳と聞いていたが、夏の始めに四十五歳になっていた。

 この白蛇エ・ラジャ族の集落に来て半年。
 当初の予定に添って、女族長アーレと結婚した今、繰り上がるようにして私が一番気になる人物になった。

 少し前までは、アーレとの結婚がもっとも気になっていた。
 だがそれが解消された今、次点に存在していた彼女の存在が上がってきた。

 そもそも、私は婆様の名前さえ知らないのである。
 職業も怪しいところがある。
 祈祷もするし、調剤もするし、医師のようなこともしている。祭事の際は人前に出て仕切るし、色々と兼ねすぎていていまいち役割がわからない。

 先日晴れて私は白蛇エ・ラジャ族の一員となり、婆様にも名前で呼ばれるようになった。
 今の私なら、多少は打ち解けて話せると思う。

 色々と気になる噂も聞いているので、その辺の話も聞きたい。

 聞きたい、が……




「――ふう、やれやれ。どっこいしょ」

 ナナカナと一緒にずしりとのしかかる背嚢を背負い、婆様とともに家に戻ってきた。

 婆様は私たちに預けた荷物そっちのけで、さっさと家……アーレの住む本家に上がり込むと、囲炉裏の傍に腰を下ろした。
 日中はまだ温かいが、夜はもう火を入れている。それを見越しての場所取りだろう。

「わしはちょっと一休みするよ。ナナカナ、茶をくれ」

「うん」

 婆様の対応はナナカナに任せて、私は彼女の荷物を空き家に運び込んでおく。荷解きは……まあ、自分でやるだろう。
 薬草や粉薬といった扱いが難しいものもありそうなので、下手に触れない方がいいだろう。

「おーいレインー」

 あ、なんか呼んでる。

「昼は土塊魚グレ・ラーにしとくれー」

 ……余所者対応しか知らなかった私からすると、結構な驚きである。婆様って本来はああいうタイプなんだな。

 とりあえず、ナマズ自体は養殖池にいるので調達はできる。
 だが砂を吐かせる時間が必要なのなので、今すぐ出すのは無理である。

 早速ごろりと横になっていた婆様に、その旨を伝えた。




 朝から働く私とナナカナを尻目に、婆様はうつらうつらと昼寝をしていて。
 彼女が起きたのは昼食時だった。

「毎年この時期が一番楽じゃ。今年は冬も楽ができそうじゃしなぁ」

 はあ、そうですか。
 まあ普段から医師として忙しいみたいだし、たまには骨休めも必要なんだろう。

「それにしてもおまえの作る飯はうまいな。アーレとナナカナが羨ましいわい」

 はあ、それはどうも。

 ――それよりだ。

 ようやく話ができるタイミングが来たと思う。
 色々気になっていることを聞いてみよう。

「婆様って、名前はなんていうんだ?」

「あ? 知らんのか?」

 ご機嫌な様子でシチューもどきとローストビーフもどきを交互に楽しみつつ、少々の酒を嗜んでいた婆様が、一転して不機嫌そうになった。

「あ、婆様。私も知らない」

「はあ?」

 ナナカナがそんなことを言ったのには、婆様と一緒に私も驚いた。

「だって私が物心ついた頃から、婆様は婆様って呼ばれてたから。割と最近までババサマって名前だと思ってた」

「はあ、そうかい……わしはネフィートトという名じゃ。ネフィ様と呼んでいいぞ」

「婆様の方がいいかな」

「そうだね。婆様の方がもう慣れてるしね」

 婆様改めネフィートトからのやはり婆様で落ち着き、次の質問に入る。

「その頭蓋骨はなんの意味があるんだ?」

「これか?」

 こつこつ、と指先で頭にかぶっているソレを差す。

「そういえば、いつだったかナナカナには聞かれたことがあるのう」

「うん。聞いたことある」

 どうやらナナカナはすでに質問したことがあるらしい。

「それまでは婆様は装飾の趣味が悪いと思ってた」

 ファッションセンスか。……ファッションでやっているなら確かにちょっと、なんだ、アレだとは思うが。

「――これは古くから伝わる夢見狼アー・サラ・ローの頭蓋骨と言われておる」

 婆様は木製スプーンを置いて、かぶっていた頭蓋骨を取った。

 ……こうして見ると、本当に普通の、黒髪が美しい女性なんだよな。若い頃は相当な美人だったのだろうと思わせる、初老の女性だ。

「わしが子供の頃に年寄りだったババアの、先代か先々代か、それとももっと前か……とにかく数えきれない祈祷師オーブ・ルの手を渡ってきた古い物じゃ。実際は何の骨なのかはわからんが――」

 彼女は私を見る。
 底の見えない不思議な輝きの黒い双眸が、私を見据える。

「わしもおまえに聞きたいことがあった。――おまえ、魔道に通じておるじゃろう?」

 ん? ああ……うん。

「近いけど、正確にはちょっと違うんだ」

 私は魔法は使えない。魔法に精通しているわけでもない。
 ただ、指先に聖女の力が宿っているだけだ。

 そして、いつの段階かは知らないが、婆様はそれを感じ取っていたようだ。

「そうか? まあ良い――これはな、魔道に通じる者がかぶると、聞こえない声が聞こえるようになるんじゃ」

 …………

「風の声だったり、御霊の声だったり、地霊の声だったり。もしかしたらそれ以外の何かでもあるかもしれん。
 白蛇エ・ラジャ族に伝わる祈祷は、それらの声を聞いて、それに対応することで成り立っておる。

 おまえがこの集落に来た時も、声は聞こえたぞ。敵に非ず、白蛇エ・ラジャ族の益になる、とな」

 ……へえ。
 嘘みたいな、というか、正直眉唾物の話でしかないが……

 聞こえない声が聞こえる、か。
 つまりそういう魔道具、という考え方でいいのだろうか。

 不思議な話だが、嘘だの狂言だのとも、ちょっと言い難いところがある。
 そうじゃなければ、ここまで信頼を得る人物にはなっていないだろうから。

「おまえもかぶってみるか? おまえならきっと何かが聞こえるぞ」

「気になるけど、今はいいかな」

 それより気になることがある。
 というか、婆様に関しては一番気になっていたことだ。




「婆様。若い頃は、霊海の森の向こう・・・で暮らしていたって本当か?」

 森の向こう・・・
 ここから見た、向こう側・・・・

 つまり、私が住んでいた地である。

「で……なんか大恋愛をして帰ってきたとかなんとか聞いたんだが」

 本人が何度も何度も話しているだけに、それっぽい話は色々聞いたが。

 でも、誰に聞いても、多少内容が違ったりうろ覚えだったりで、はっきりしなかったんだよな。

 だったらこの際、本人に聞くのが早いだろう。

 それに――もし婆様が暮らしていた場所がフロンサードなら、あながち無関係でもないかもしれないのだ。

 大雑把に聞いた時から、この話はずっと気になっていた。



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