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68.誰とも知れぬ怒りを買っていた
しおりを挟む「おお、婆様。来たのか」
夕方、狩りから戻ってきたアーレはひとまず私に抱き着きアバラを圧迫すると、それから部屋でくつろいでいる婆様に声を掛ける。
「おかえり。冬の間、世話になるよ」
もはや我が家かというくつろぎ具合だが、アーレは気にせず「身体の調子はどうだ」と、久しぶりに会う親戚を迎えるかのようだ。
「今のところは問題ないな。寒さが老骨に堪えるのはこれからじゃ」
アーレの足を拭いて家の中に送り、私も台所に戻る。
今日は肉と野菜の切れ端をたっぷり使った具沢山スープである。
長時間煮込んだ、少し肉が残った牛骨がポイントだ。こういう骨付き肉、シンプルだけど旨いんだよな。灰汁がすごいけど。
まだ夕方なのに、足元に寒波が流れてきている。
最近は夜が冷え込むようになったので、汁物は人気がある。さすがのナナカナもこの時期は冷製スープを作れとは言わない。
「酒を取ってきたぞ……お、婆様か」
と、ちょっと遅れてやってきたのはいつものタタララである。
「どこの薄着のババアかと思った」
「薄着はお互い様じゃろうが。まあいい、呑もう」
パッと見でわからなかったのは、婆様が頭蓋骨帽子を取っているからだろう。……にしてもナチュラルに薄着のババアとか言わないでほしいんだが。いやその通りではあるけど。
「ナナカナ、豆を」
「うん」
すでに塩茹でしてざるに上げていた豆を皿に盛り、酒盛りを始める女たちに運ぶ。
「なんじゃこりゃ」
「塩で茹でた豆だ。結構うまいぞ。酒にも合う」
「ほーう――うん、悪くないな。思ったより瑞々しくていいではないか」
ポイントは茹ですぎないことである。
夕食の仕上げをしつつ、女性たちの話に耳を傾ける。
「それで婆様、もうそろそろ狩り納めをしてもいいと思うんだが」
「獲物はおらんか?」
「めっきり減った。あと一週間というところだ」
「わかった。一週間後を目途に、集落の様子を見てから日取りを決めよう」
狩り納めか。
言葉通りの意味で言うなら、今年の狩りは終わりということか。
昨日も今日も狩りの獲物は持ち帰ってきているが、季節柄狩りづらくなってきているらしい。
「狩り納めって、なんか儀式とかするのか?」
と、私の隣で「この骨は私が食べるから。私のだから」と目を付けている骨付き肉を念押しするナナカナに聞いてみる。
「するよ。カテナ様に酒を供えて、一年無事に過ごせたことを感謝するんだよ」
だそうだ。
「それで今年の儀式は終わりだよ」
へえ、一年間の最後の儀式か。
……酒を供える、か。
「酒の実ってまだ採れるかな?」
「採れるというか、秋の間にたくさん採ってると思うよ。白蛇族の大人は酒がないと生きていけない人たちだから」
なんだろう。そう言われるとダメ人間ばかりの部族みたいだが。
「何? また作るの?」
「ああ。せっかくだし仕込んでみようかと思って」
神蛇カテナ様が呑み散らかしたせいで、味見できていないものもあるからな。婆様考案の鉢植え畑も気になるし、酒も結構気になっている。
仕掛けるだけで簡単にできるので、また挑戦はしてみたい。
こうして、婆様がいる日常が始まった。
本人の宣言通り、あれをしろこれをしろとこき使われ出したが、同時に非常に勉強になった。
特に、薬草と調剤。
そして病気の見立ては、絶対に憶えておくべき大事なことである。
婆様に付き合って病人や怪我人の下へ行ったり、婆様の指示で今年最後になる野菜の収穫を手伝い次に植える時のための土作りをし、ナマズの養殖池の様子を見たり。
ナナカナが「レインと婆様は仲がいいね」と言った直後にアーレが怒りだして生涯初の夫婦喧嘩となったり、縞大根が人型に育つ理由は地霊の影響を受けるからという意外な答えを教えてもらったり、古くから伝わる神話を聞いたり。
やはり婆様はすごい人なのだろうと思う。
向こうで育っていれば、才女として知られる一角の人になっていたかもしれない。
見た目は蛮族そのものだが、その実知識は豊富で、彼女が言うことは私が知らないことばかりである。
しかし、やはり一番衝撃だったのは――
「――ほれ、試してみろ」
いつかの夜、酔った女たち三人が面白がって、私にあの頭蓋骨帽子をかぶれと迫ってきた時のことだ。
正直気は進まなかったが、興味がないと言えば嘘になる。
確か、アー・サラ・ロー……夢を見る狼という意味を持つ、動物の頭蓋骨だ。よく見ると確かに狼っぽい形である。犬っぽくもあるし。
これを頭にかぶると、魔道に通じる者なら、何者かの声が聞こえるのだとか。
この場合は、恐らくは魔力がある者なら、と言い換えることができるだろう。私は魔道にはまったく通じていないし魔法も使えないが、一応魔力らしきものはあるらしいから。
成人女性の頭が入るくらいだから、見た目は大きい。
だが大きさに反してそう重くない。
長年大切に扱われてきた、乾ききった骨はざらざらした手触りで、不思議な感覚は特にない。ただの物質という感じだ。
「――皮膚には疵が刻まれ、肉には業が宿り、骨には真価が残る。夢見狼の真の力を恐れ敬い、その力を借りるのじゃ」
と、婆様は酒をぐいっとやってニヤニヤしながらぐいっと口元を拭う。蛮族っぽい豪快さだ。
いや、婆様だけではなく、アーレもタタララも……ついでにナナカナも、じっと私を見ている。
早くやれと言わんばかりに。
……仕方ないな……
本当に気は進まないが、逃げられそうにないので、私は渡された頭蓋骨を頭に乗せてみた。
と――
最初は何もなかった。
眉唾ものの話だと思っていただけに、特に何も思わなかった。
「特に何も……っ!」
何もない、と言いかけたところで、目の前が真っ赤に染まった。赤く塗りつぶされた。
思わず頭蓋骨を取る、と……視界が戻ってきた。
…………
え? 今のが、声?
女性たちが「どうだった」と聞いてくるが、それには答えず、もう一度かぶってみた。
また、真っ赤に染まる。
ということは、この頭蓋骨が見せているもの、なのか?
赤一色のそれをじっと見つめる。
すると……周りから少しずつ暗くなっていき、最後には小さな赤い丸が残った。
それ以上の変化はなさそうなので、頭蓋骨を取った。
「――赤か。それは怒りじゃな」
見たままを述べると、婆様はそう言った。――なお、実際に声が聞こえることもあるし、視覚に訴えてくることもあるそうだ。そういうのを全部ひっくるめて「声」と言うらしい。
「フッフッフッ。レインよ、おまえは何かを怒らせたな?」
えっ。
不本意だし、そんな良い意味がないことをニヤニヤしながら言わないでほしいんだが。
「ここにきて私が怒らせたことがあるのは、ジータくらいだと思うが」
それ以外の心当たりがない。
誰かを、あるいは何かを怒らせるほどのことは、私はしていないと思う。それとも無自覚の内に何かしてしまったのだろうか。
「次第に収まってきたのじゃろう? ならば怒っているが様子を見ている、という感じじゃな。いきなり呪われたりはせんじゃろ」
呪い!?
「よかったな、アーレ。夫は誰かの怒りは買っておるが呪われるほど恨まれてはおらんようじゃ」
「あたりまえだ。私の婿だぞ。誰かに恨まれるような男ではない」
いやいや。
怒らせているだけでも、その、なんか、大事なんじゃないのか?
なんか面白い見せ物はもう終わり、みたいに次の話題にいってるけど。私は放置か。やりっぱなしで気になることだけ残して放置か。
……これだから酔っぱらいは。気がかりだけ作って。解決してくれよ。
そんな日々が過ぎて、狩り納めの儀式の日がやってくる。
これが終われば、節目となる。
白蛇族にとっては、秋から冬に代わる、境界線となるそうだ。
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