蛮族の王子様 ~指先王子、女族長に婿入りする~

南野海風

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163.黒糸を使う

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 オーカの傍にいたいというミフィを残して、神事シラの間を出たところで、ヨーゼは口笛を吹いた。
 
 と――山頂から大きな灰色が落ちるように飛んできた。

 灰色の鷹である。
 両翼を広げた大きさはかなりのもので、通常の鷹よりも一回りか二回りは大きいと思う。

 鷹は一気に急降下してきて私たちの傍で急停止し、ばさばさと羽ばたいて私たちを見下ろすように宙を漂う。

「エオゾ様」

 ヨーゼが声を掛けて左腕を伸ばすと、鷹がその上に止まった。

 おお……物の本によると、どこかの国には鷹を操る鷹匠なるものがいると書いてあった。まさにこんな感じなのだろう。

 まあ、こちらは鷹ではなく、鷹の形をした神の使いだが。

「俺たちの客だ。しばらくここに住むことを認めてほしい」

 鷹――エオゾ様は、じっと私を見詰めている。錆鷹サク・トコン族の皆に似た鋭い目である。

 可愛さ勝負では圧倒的にカテナ様の勝利だが、格好良さでは比べ物にならないな。
 鷹って格好いいな。実物を間近でちゃんと見たのは初めてだ。

白蛇エ・ラジャ族のレインです。しばしの逗留をお願いします」

 私がそう言うと、エオゾ様の意思が伝わってくる。

 ――謝罪。
 ――感謝。
 ――怒りを鎮めよ。

 どうやらエオゾ様には、私がここにいる経緯がわかっているようだ。あと安定の「怒りを鎮めよ」の気遣いもあった。

 どの道逃げられないし、少々関わってしまった以上はできる限りのことはしたい。

 恐らく、数日中にはアーレがここに乗り込んで来るだろうしな。
 今、私が焦って不用意な行動を起こす理由はないだろう。

 まあ、その辺はともかくだ。

「エオゾ様。相談したいことがあるのですが」

 昨夜、オーカの治療を頼まれて一夜。
 その間ずっと考えていた。

 錆鷹サク・トコン族の見立て通り、オーカが助かる見込みは低い。
 私が連れて来られたのも、オーカの命を諦めきれないから。藁にもすがるような気持ちからだ。

 そして私自身も、彼は助からないと思う。

 もし助かる可能性があるなら、私の指先の力を越えるものか、あるいはその先にある力を使うしかない。
 幸い私には切り札がある。
 これを使えば、なんとかなるかもしれない。

 ただ、私は切り札の使い方がわからない。

 だから――




 ヨーゼの腕に止まったままのエオゾ様の指示で、再び神事シラの間にやってきた。私なんてかなり短時間で行ったり来たりしていることになる。

 この場所は加護が特に強いので、……まあつまり、私に意思を伝えやすいそうだ。
 私の中にある空を飛ぶ蜥蜴エペ・ア・ダラの加護が怒っているせいで、どうも神の使いの声を拒絶しているらしいので。

「悪いがエオゾ様と二人きりにしてもらえるか?」

 ヨーゼと、さっきはオーカの傍に残っていたミフィに外してもらい、オーカの傍らに止まったエオゾ様の前に跪く。

「――この指の力を、どうにか使えるようになりませんか?」

 左手の、黒い薬指と小指を見せる。
 エオゾ様はじっとそれを見て、語り掛けてくる。

 ――想像しろ。
 ――どのように使いたいか。
 ――どのように使えると思うか。
 ――それは神の作りし物。
 ――何事にも。如何様にも。
 ――想像を創造し形とせよ。
 ――嫁。
 ――止めてくれない?

 想像しろ。
 何事にも、如何様にも、か。

 …………

「嫁は止めるつもりですけど、嫁が大人しく引くかどうかはちょっと約束できません……」

 何せ私も怖いくらいだ。
 アーレがどんな報復をするつもりなのか……子供に手を出すのだけは止めたい。後から彼女自身が後悔しそうだから。

「……まあ、たぶん大丈夫だと思います。たぶん……」

 集落には婆様とナナカナがいる。
 きっとうまいことアーレを説得して、ひとまず皆殺し以外のうまい報復方法を提案してくれていることを願いたい。

 私もいくつか、アーレを止める言葉を考えておこうとは思う。

 だが、今はオーカの治療が最優先だ。
 今すぐ処置しないと彼は死ぬし、アーレが来るのはまだ時間が掛かるだろうしな。

「……如何様にも、か」

 黒くなっている指を見る。

 私はこれをどう使えばいいのだろう?
 如何様にも、ということは、きっとできることは多いのだろう。

 しかし怪我の治療に使うとなると、……どんな使い方だ?

 …………

 そもそもこの指は、元はなんだった?
 元はオロダ様の、爪になるはずだったはずの彼の方の一部だ。

 それは糸として吐き出され、私の欠損した指を形作った。

 オロダ様が出した糸が形となり、この指になった。

 そうか。
 糸にはできそうだ。
 元々が糸でできた指だから。

 そして、その糸はもはやの己の身体であるかのように、馴染んでいる。
 色こそ黒いが、痛覚も触覚もあるのだ。

 これはちゃんと私の指になっている。

 つまり……人の身体にもなる、ということ、か。

 ――見えてきた。

「エオゾ様、ありがとうございました」

 思考に耽る私を見守っていたエオゾ様は、少し首を傾げた。

 ――極限られた時、ここでのみ。
 ――汝に我が鷹の目を授ける。
 ――見よ。遠く。近く。仔細に。見たい物を。

「……?」

 いまいちよくわからなかったが、エオゾ様の鋭い瞳の奥に力を感じた。
 そして、飛んで行ってしまった。




「鷹の目? ……まあいい」

 私は黒い指に触れる。

「これは糸。これは糸。糸だ。糸なんだ。私の望みで解けるはずだ。これは糸だ」

 何度も何度も自分に言い聞かせ、指をさすり、解いていく・・・・・
 固く結ばれている糸を、優しく解いていく・・・・・

 指がほどける。
 伸びていく。
 ほころぶ。
 指が……糸になっていく。

「……よし」

 できた。
 本当にできた。

 さする手をどけて見れば、黒い薬指と小指が、まるで溶けたかのように左手からぶら下がっている。

 糸に戻ったのだ。

 不思議なもので、こうなっても指の感覚が残っているんだよな。痛くもないし。どういう仕組みでどうなっているんだろう。

 いや、考えたってわからないか。
 これこそ本当に神の御業なのだから。 

「――さあ、始めるか」

 初めてのことなので、手探りもいいところだが。

 しかし、感覚的に「できる」とわかる。
 もしかしたら、この指を通してオロダ様の意思もかすかに届いているのかもしれない。

 だからきっと「できる」はずだ。

 この糸を使って、まずは深い胸の傷を縫ってしまおう。

 なぜだかわからないが、傷口がよく見える。
 どこを縫えばいいのか「見ればわかる」。

 今ならできそうだ。



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