212 / 252
211.カービン家の乱 前編
しおりを挟む「ふふ、うふふ、ふふふふ、ふふっうふふ」
「いや笑い事じゃないぞ、カリア。本当に。本当に笑い事じゃないんだ」
ルービー侯爵家のタウンハウスの応接室には、一組の男女がいた。
扇子で顔を隠してお上品に……しかし静かながら完全に爆笑しているカリア・ルービーと、カービン家次男ジャクロンである。
婚約者の夕食に呼ばれたジャクロンが、夕食後に談笑している図、ではあるのだが。
「父上のあの怒り具合はすさまじかった。子供の頃、俺と兄上がワインセラーでケンカして父上のワインを十六本割った時と同じくらい怒っていた」
なぜそんなところでケンカを、という疑問はあるが、それもまた今のカリアには笑い話である。
「だから笑い事じゃないんだよ。人死にが出かねないほどの怒りだぞ」
その人死にとは、ワインセラーでケンカした元凶の二人だろうか。
それは怒りの元凶は生きた心地がしなっただろう。
「はあっ」
散々笑った後、ようやくカリアは一息ついた。
「無責任に笑える他人事って面白いわね」
「俺にとっては身内事だけどな」
「――睨んだ通りね?」
「――こんなに急だとは思わなかったがな」
たった今、ジャクロンから末の弟が家出した話を聞いたところである。
もう一ヵ月前になるだろうか。
いよいよあの時の相談事の答えが出た、ということだろう。
末弟は王城に騎士を退職する旨の書類を提出し、最低限の荷物を持って家を出たそうだ。
それが昨日の話で、昨日から騎士団長……いや、父親フィリック・カービンは、末息子の突然の行動に怒り狂い、職権乱用も甚だしい個人的理由から全騎士隊に末息子の捜索命令を出そうとしたところを、長兄に止められ殴り合いのケンカに発展、止めようと間に入ったジャクロンも巻き込まれかけたそうだ。
いや、フィリックが怒るのも当然だろう、とカリアは思う。
騎士団長の息子が騎士になるなど、どうしても人事に疑いを持たれる行為だ。
親の贔屓目で入団しただの、コネ就職だのと、言われかねない。
だからこそ、フィリックはただの騎士志望にはありえないほど厳しく、息子を育てたのだ。
誰にも文句は言わせないほどの実力を付けさせるために。
きっと必要以上に厳しく接していたのも、フィリックの本意ではなかったはずだ。何度も話したことがあるカリアは、それくらいは見抜いている。
――そんな親心を踏みにじった末息子の行為は、それはもう腹に据えかねるものがあったはずだ。
ましてや騎士になったばかりの新人がやったのである。
父親としても騎士隊の責任者としても、顔に泥を塗られたに等しい行為だ。
そして、末息子はそれがわからないほど愚かでもなかったはずだが。
つまり――そういうことだ。
「騎士の身分も家も捨てて、庶民の女の下へ……か。ちょっとしたロマンスね」
「本当に笑い事じゃないからな」
「でももう笑い事にするしかないんじゃない?」
辞表は提出されているそうだ。
受理されているかはわからないが、出す決意をした末息子がそれを撤回するのは並大抵の説得では聞き入れないだろう。
何より、やる気のない者を戻したところで、邪魔なだけだ。
それならもう、末息子の好きにさせるのが一番いいとカリアは思うのだが。
ここで「女のために生きたいと軟弱なことを言い出しましてな。好きに生きろと言ってやりましたよガハハ」とでも笑えば、フィリックの大物ぶりを主張できそうなものだが。
……まあ、それこそ身内だから許せないのかもしれないが。カリアは他人事だから。
「それで? フレートゲルト様は今どこに?」
「ルービー家の経営するレストランの下働きに入っていると聞いているが、心当たりは?」
「あら。本当に来たのね」
末息子……フレートゲルトの出奔は、カリアがそそのかしたわけではない。
ただ、「もしもの時はルービー家で雇う」と言ったことがあるだけだ。
あの時はリップサービスの面が強かったが、別に本当に頼ってくれても構わなかった。
「わたくしは聞いていないけれど」
昨日の話らしいので、報告が遅れているだけか。
それとも、カリアの名前を出さずに潜り込んだから、店からの報告義務に抵触していないか。下働きが増えたくらいで一々報告は求めない。
どちらにしろ、カリアは聞いていない情報だ。
「それにしてもフレートゲルト様はすぐに見つかったのね? フィリック様はなんと?」
「まだ報せていない」
「ではこれからどうするの?」
「兄上も俺も決めかねているんだ……連れ戻すべきか、それともこのまま放置するか。なんなら王都からこっそり出してもいいと思うんだ。
君ならどうする? どうしたらいいと思う?」
カリアの答えは決まっている。
「行かせなさいな。無理やり戻してもまたすぐ出て行くだけでしょ?」
「面白がってないよな?」
「これは本音」
違う言い方をすれば、フレートゲルトはもう捨てたのだ。
もしカリアが捨てられた方になるなら、未練がましく探したりすがったり「戻ってこい」などと言ったりはしない。
騎士にまで上りつめた男が決めたことである。
もうどうしようもないだろう。
こうなった以上、できることは限られる。
「フィリック様はどこまで知っているの? フレートゲルト様が家を出た理由は?」
「兄上が話したと思うが」
「え? オズマイズ様はフレートゲルト様の悩みを知っていたの?」
「え? 知っているんじゃないのか?」
「え?」
「え?」
…………
「あなたの家庭のことをあなたが知らないなら、私が知るわけないでしょう」
「いや、……その……そうだ」
難しい顔で直近の過去を思い起こしていたジャクロンは、そういえばと思い当たる。
父は怒り狂っていた。
兄は怒り狂う父を必死で宥めていた。拳で。
自分はその間に割って入って止めた。
母の乱入でその場は収まり解散となったが……
「そういえば、父上は『とにかくフレートゲルトを呼べ、いないなら探してこい』とばかり言っていた。
具体的な出て行った内容までは、触れてなかった気がする……」
――よし、とカリアは扇子をぱちんと閉じて立ち上がった。
「わたくしも口添えするから、これからカービン家へ行きましょう。もし知らないなら、一刻も早くフィリック様に事情を話すべきだわ」
「え? 君まで来るのか?」
「あなたたちは身内だけでは話ができないでしょう? わたくしのような余所者とも身内とも言えない第三者がいた方が、少なくともフィリック様は落ち着いて話せると思うわ」
確かにそうかもしれない、とジャクロンは考える。
フィリックは騎士団長であると同時に、政治家でもある。体面はとても気にする。
「こういう時だから歓迎はしないかもしれないぞ」
「構わないわ。近いうちに身内になるんだし、お互い下手な遠慮はそろそろ必要ないでしょう」
二人はカービン家にやってきた。
もう夜だが、遅すぎるという時間ではない。もうすぐ身内になるカリアなら、まだ非常識ではない時間だろう。
そして、確かにいい顔はしない……自棄酒でもやっていたのか少々赤ら顔のフィリックは、カービン家にやってきたカリアをいい顔はしていないが歓迎し、話があるという要求も聞き入れてくれた。
怪我をしている長男オズマイズと、次男にして婚約者のジャクロン。
政治や息子たちの教育に関しては口出ししなかったが、事この問題には母親として参加しているナーシャ。
そんな末息子を欠いたカービン一家が揃った応接室で、カリアは「あくまでも自分が知る限りのことですが」と前置きして話す。
約一ヵ月前に、フレートゲルトから聞いていた悩みを、そのまま包み隠さず披露した。
「まさか……」
話せることは大してない。
だが、フィリックの顔色は次第に悪くなっていった――明らかに何らかの心当たりがある反応である。
「あなた」
静かなナーシャ婦人の言葉に、フィリックは大きく動揺した。
「しっ知らん! 私は何も知らん!」
完全に知っている者の反応である。
いつもの騎士団長と同一人物とは思えないほどの取り乱し方だ。
「何を隠しているの? 言いなさい」
「知らん! この話はでき――」
「子供たちを連れて実家に帰るわよ!?」
勢いで乗り切ろうとしていたフィリックに、婦人の声がモーニングスターの鉄球のごとく殴りかかる。
「息子たちが自分から騎士になりたいと言ったから、育て方に関しては任せたわ! でも今回は騎士じゃなくてわたしの息子の話よ! そしてこの子たちにとっては大事な弟の話だわ!
家族の話ができないなら、あなたは一人で暮らしなさい!」
強い。
いつもはフィリックを立てて何も言わないことが多いが――芯の強さはフィリックに負けていない。
息子たちの芯の強さは、父親ではなく母親似なのかもしれないと思えるほどに。
「い、いや……待ってくれナーシャ。違う話も絡んで――」
「言い訳はいらない。今すぐ話さないなら出て行きます」
「言う! わかった言う! 話すから!」
外様に等しいカリアも驚いているが。
二十年前後この家で暮らして来た息子たちも、こんな両親の姿は初めて見た。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる