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11.借りただけですけど何か問題でも?
しおりを挟む狙っていた黒斑魚を、あっと言う間に三匹捕獲することができた。
緑の乙女ロゼットが繰る舟の速度と、アイスの氷で作った投槍。
この二つのカードが揃えば、魚を狩ることなど造作もない。
出発時に立ち寄った海辺の村に戻ると、行きに桟橋の上で釣りをしていた老人が、そのままの格好で釣りを続けていた。
「おーいじーちゃーん」
ロゼットが、釣りをしている老人に声を掛けた。
「お? ……うおおっ!? ねえちゃんたち、本当に取ったんか!?」
この老人は、浜釣り用の舟を貸してくれた元猟師である。
歳のせいでもう漁には出ないらしいが、生まれてから死ぬまで漁村にいた彼は、もう海から離れる気はないのだろう。
天気がよければ毎日来ているという釣りも、趣味というよりは生活の一部なのかもしれない。
「約束通りさばいてくれる? みんなで食べようよ」
舟を借りたりなんだりはロゼットが交渉したのでアイスは知らないが、どうやらそういう約束で舟を借りたらしい。
「お、おおう! いいともさ! ……しかしすげぇのう。わしゃ生涯で黒斑魚を釣ったのは三回しかないが、今目の前に三尾も並んでやがらぁ。二匹並んでるのさえ見たことねぇのによ」
ちなみに黒斑魚は、三匹とも氷漬けにしてある。
透明な氷の箱に閉じ込められた黒い斑模様も鮮やかな巨大魚は、かなりの存在感である。
見慣れない女たちと、見たこともないような大きな魚を見て、その辺にいた子供たちが集まってくる。
「おい小僧ども、おっかさん呼んで来い! 黒斑を食うぞ!」
老人の言葉を聞き、子供たちはわーっと走り去った。
「で、下処理は? ……してねえのか! 血抜きくらいしやがれ! 滅多に獲れねえ上物だぞ! ったく最近の若ぇのは!」
よぼよぼでニコニコしていた好々爺、という体だった老人なのに、今はキリッと引き締まった顔になり、心なしか声が大きく動作が機敏になっていた。
どうやら、奥底で眠っていた猟師の血が、眠りから覚めたようだ。
余談だが、「最近の若いのは」と言われた瞬間、アイスはちょっと嬉しかった。
子供たちに呼ばれてきた老若男女を問わない女どもが、歓声を上げて黒斑魚の解体に取り掛かった。ちなみに若い男たちは今は漁に出ている時間である。
さすが漁師の嫁たち。瞬く間に巨大魚はバラバラになっていった。
「おい、食え! 食え食え! 一番うめぇど!」
かつては乙女と呼ばれただろう腰の曲がった老婆が、これまた若い頃を取り戻したような張りのある声で、独特の血の臭いを嗅ぎながら解体ショーを見ていたアイスらを呼ぶ。
どうやら、黒斑魚の骨の周りに残った魚肉を、スプーンでこそいで食べろと言っているようだ。
「中落ちだね。いただきまーす」
ロゼットは知っているようだが、アイスとイリオにはさっぱりである。まあ魚肉であることは間違いないので、ロゼットに続いて食べてみた。
「……美味い」
それ以外の言葉が出ないほどに、美味かった。
一度食べたことがある刺身とは比べ物にならないほど、脂の乗りも味も香りも品が良い気がする。
アイスが深い味を堪能する横で、イリオが二口目を食べていた。ロゼットはもりもり食べていた。
そのまま海辺で煮たり焼いたりして黒斑魚を堪能し、昼食を済ませた。
「いやあ、満足満足」
いつの間にか酒を飲み始めていたロゼットとアイスたちは、そこで別れた。
「あら。お礼なんて良かったのに」
まず、元・水の乙女メープルの下を訪ねる。と言っても数日前にも同じようにやってきたのだが。
とある国の片田舎で、普通の村人として暮らしているメープルは、かつて戦乙女だったと言われても誰も信じないほど普通の村人となっている。
戦乙女として新人だった頃のアイスと、引退間近だったメープル。
重なった任期は短かったが、氷の使い方や制御を教わった恩師の一人でもある。気も合うようで、今でもそれなりの付き合いが続いている。
保存効果がある大きな葉に包んだ、半冷凍の魚肉の塊をお礼にと渡すと、三十一歳主婦の元戦乙女は嬉しそうに受け取った。
「黒斑? 大好きよ」
「食べたことがあるのか?」
「もちろん。海の生き物はみんな好きだから」
水の乙女らしい発言である。
「食べられる上に美味しい生き物は特に大好きだから」
主婦らしい逞しさも感じさせる発言である。
「上がっていって」
「いや、遠慮しよう。これからブランマンジェ殿を訪ねるつもりだ」
「あ、そうなの。……まあ大丈夫だとは思うけれど」
「ああ、問題ない。大丈夫だ」
また改めて来ると伝え、早々にアイスたちは次の場所へと移動した。
いつも雪化粧をまとっている寒い地方にあるモランブン山脈のふもとに、神殿がある。
白狐神ココナを讃える、白の神殿と呼ばれるココナ神教の総本山である。
元・白の乙女ブランマンジェは、神殿から山頂へ向かう道の途中から脇道に逸れた先に、居を構えている。
いわゆる隠居生活をしているのである。
厳しい自然の環境ゆえに、人と人の助け合いを第一とし、難問を抱えている者、貧しく飢えた者、凍えた者と、あらゆる人を受け入れて一晩の屋根と食事を出すという教義を掲げている。
その姿、汗にまみれ泥に汚れようと、心は白く汚れなく。
飢えて震えて傷つき倒れた我は、飢えて震えて傷つき倒れた汝を助けよう。
そんな有名な一説があり、他人を救うことで自分も救われるという教えが基本にあるらしい。
アイスからすれば、あまり同調できない教義である。
己が救われていないと誰かを救うどころじゃないだろう、と思う。無駄に共倒れするのが教義なのかと疑問が残る。
もっと深い意味があるのかもしれないが、少なくとも、疑問を抱く時点であまり信者には向かないのだろう。
そのせいか、ブランマンジェとも、あんまり気が合わない。
光速移動で、木組みの山小屋の前に降り立つ。
そろそろ暑くなっている季節なのに、やはりこの地方はまだ雪が残っている。そして息が白くなるほど寒かった。
「ブラン殿。いるか」
何度かノックをして呼びかけると、中にいる人がのそのそとやってきて、ドアを開けた。
「……チッ。寒い奴が来たものですね」
顔を覗かせた老婆は、出会い頭に舌打ちした。
だがアイスは気にすることもなく、普通に挨拶した。
「お久しぶりです、ブラン殿。健常そうで何よりです」
しかし、気が合わないのに嫌いでも苦手でもないのだから、なんとも人間関係の不思議を感じさせる。
ブランマンジェがどう思っているかはわからないが、この少々偏屈な老婆を、アイスは嫌いではない。苦手でもない。
「健常なものですか。寒さが染みて身体中が痛いですね」
そんなことを言うが、元気そうではある。背筋も伸びた細い老婆で、実年齢より五歳は若く見える。
「これを。手土産の魚の肉です」
「へえ? アイスさんにしては気が効くこと」
「そうですか?」
「最近はもう、硬いものはダメですからね。魚肉はあまり縁がありませんが、この機会に試してみましょう」
渡そうとするが、ブランマンジェは手を出さずに、奥に引っ込んだ。
「老人に荷物を持たせるものじゃありませんよ。熱が逃げます、早く入りなさい」
失礼します、とアイスは続いた。イリオは「何度会っても苦手だなぁ」と思いながら入り、ドアを閉めた。
暖炉の熱にほっと息を吐き、出入り口まで客の出迎えに来た大型犬の頭を撫でる。ブランマンジェの人生に寄り添っている小熊のようなムク犬だ。この犬ももう結構な歳寄りのはずである。
「なぜでしょうね」
そしてなぜか非常にイリオが好きだ。犬はアイスへの挨拶はそこそこに、イリオにべったりである。
テーブルに着き、お茶を煎れているブランマンジェを待つ。イリオはグイグイと犬に押されて、暖炉の前に連れて行かれた。まあいつものことだ。
「――それで? 今度は何をしたんですか?」
お茶を持ってきたブランマンジェは、単刀直入に聞いてきた。
「干ばつの続く国に雨を降らせました」
その応えに、ブランマンジェは眉を寄せた。
「だから貴女は俗だと言うのです。
神の力は、すべからく人が倒せない魔物を退治するためのもの。それ以外で使うことはただの私用。それも己が欲望を満たすだけの低俗なことです。
神より力を預かる戦乙女が、安易に神の力を振るう。
それは力を預けた神をも軽視する軽率極まりない行動ですよ」
ついさっき海を爆走した辺りは、まさにその通りだなとアイスは思った。
こういう説教を受けるのも、何度目になるだろう。
まあ、会えば嫌な顔をされるくらいには、たくさん……数え切れないほど、してきたとは思うが。
だが、アイスはブランマンジェの説教は嫌いじゃない。
眉をひそめて注意しているはずのブランマンジェが、どこか楽しそうで、そして嬉しそうにも見えるからだ。
もしかしたら、内心では、アイスの行動を肯定しているのかもしれない。
「どうせ言葉は届かないので、もういいです」
ブランマンジェの灰色の瞳に、白い炎が揺れる。
――と、アイスとブランマンジェの間に、握りこぶしを燃やしたくらいの大きさの白炎が生まれた。
「利己的な行いではないと、断罪の炎に誓えますか?」
アイスは躊躇なく白い炎に手を伸ばし、触れた。――ほんのり暖かいだけで、熱くもなんともない。
「少なくとも私は何一つ得はしていないと思う」
炎は、熱くない。
「結構。もういいです」
――これは、白の乙女が使う断罪の炎。
虚偽、虚構を燃やす幻の炎。様々な条件を付けて燃やすものを選べる、という特性を持つ。
戦乙女から引退したブランマンジェは、もう火種くらいの炎しか使えないが、嘘か本当かくらいはこれで判断できる。
戦乙女としての禁止事項を犯した者は、白の乙女に裁かれることが決められている。
現代の白の乙女はいない。
先代などはこの白炎が使えなかったり、戦乙女だった過去を隠して平穏に暮らしていたり、また残念なことになくなっていたりして、今はブランマンジェ以外いないのだ。
「氷の乙女アイス、貴女は私の食事を作って帰りなさい。そっちのメイドは薪を割ってください」
なんとも小さな罰が下された。
「ところでアイスさん」
台所に立つアイスに、小姑よろしくそのすぐ脇に立ち手元を見ながらニヤニヤするブランマンジェ。
「恋人はできましたか?」
ドン!
思わず力が入ってしまったアイスは、手にしていた包丁で力いっぱいじゃがいもを叩き切った。
「その様子ではダメだったようですね」
「……その辺のことは放っておいていただけませんか」
「フッフッ。まあまあ。まあこれを見なさい」
と、老婆はポケットから小冊子を出した。
「これは、とある国の作家が書いたという『恋人を作るための五十一の法則』という、モテない女性必携の書です」
なんと。
なんと!
そんな夢のような本が現存するというのか!
「それを読めば恋人ができるのか!?」
アイスはみなぎった。非常にみなぎった。
ブランマンジェは非常に老獪な笑みを浮かべた。
「ええ。きっとできるでしょう」
「ならばそれを譲ってくれるのだろうな!?」
譲るも譲らないも、なんと答えようがすでにアイスは強奪して持っていく気まんまんである。みなぎっているから。
「ええ、あげますよ。一言ちゃんと『ください』と言えば」
老獪な笑みが、更に深くなった。
「――『どんな男にも相手にされないこの寂しい行き遅れ女に、持っていることさえ恥ずかしい恋人の作り方を綴った本をぜひお譲りください』と言えば、あっ」
「帰るぞイリオ! 急げ!」
「えっ!? あ、はい!」
家から飛び出してきたアイスは、薪割りそっちのけで犬と遊んでいたイリオを呼び、
「――待ちなさい! これは完全なる強盗行為ですよ! どろぼーっ!」
家の中からそんな怒声が聞こえると同時に、光となって飛び去るのだった。
いくら行き遅れのモテない女でも、プライドはある。
手の届く範囲になければ、一秒の間も置かず、一言一句間違えることなく言い放ってやったところだ。
が。
手の届く範囲にあるなら話は別だ。
ただ普通に借りただけの夢の本を大切に胸に抱き、アイスはグレティワール王国へ帰るのだった。
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